大銀杏ジュンコ  オオイチョウ・ジュンコ

女性として生きる知恵、大銀杏ジュンコがホンネで書きます。人を傷つけるためではなく、私の理解を深めるために。コメント歓迎!

うそをつく子供

2005-03-15 21:40:39 | 家族というカルト
大銀杏の小学校の卒業文集には、将来の夢は「外国に永住」と書いてあります。私は幼いころ海外で過ごし、幼稚園に入るころに日本に戻ったので、幼い日の万能感や幸福感は海外の生活に直結していました。幼稚園に入る前の記憶なんてないという方も多いでしょうけど、私はそれ以前の記憶も時間や季節や前後の出来事も含めてかなり覚えています。環境が大きく変わった場合、その前と後というはっきりした大きな枠組みが頭の中にできるためでしょうか。外国に永住というのは、今思えば日本に来るまでは私は幸せだったという意味だったのです。

幼い日の記憶がある理由としてもう一つ考えられるのは、私の人生をおそらく決定付けたトラウマが作られた日を境に警戒心というものを持つようになり、周囲の世界を注意深く観察するようになったことです。母が焼いたケーキのクリームを、姉にそそのかされて一緒に舐めてしまった時、「指の跡が小さい」ということで私一人のせいにされました。ショックだったのは叱られた事ではなく、自分は最初悪いことだから止めようと言ったけど姉に言い包められた、そして自分だけがやったんじゃないという必死の訴えをまったく信じて貰えなかったことでした。

幼児が泣き叫びながら訴えたことだから言葉もうまくなかったのでしょう。だけど信頼していた母から全く信じてもらえなかったこと、姉の「やってない」という主張はすんなり受け入れられたこと、つまり自分よりも姉を信用しているということは私にとってあってはならないことでした。そしてさらに家族全員の前で謝るように強要されたこと、そういうことで私は屈辱と恐怖を同時に味わいました。母は公平な裁定者ではない、母は自分の庇護者ではない、兄弟は信頼できない、自分は信用されていない。それまで自分が生きてきた幸せな世界が壊れるのを、まさに世界が終わるような気持ちで見たのです。

傍から見ればものすごく他愛ないことですが、その時の私は「母の見ていないところで靴を履いたまま家に上がったことがどうしてバレたんだろう?本当に母が言うように母は何でもわかっているのだろうか?」という疑問と格闘中でした。この一件で答えはノー。見えないところで起きたことは本当にはわかっていないことが明らかになりました。つまり彼女はウソをついていた、姉もウソをついて罪を免れた、ウソはついたもん勝ちなんだと私は思い知ったのです。そして私はウソをつく子供になりました。

私はウソを平気でつきました。そしてそれがばれて怒られている時で、いつも「本当は見てもいないくせに」とあの時自分を責めた母を責めていました。たぶん自分も気づかないような深い深い心の奥底で、ずっと。大銀杏はまさかあの時自分を間違って叱ったことをずっと怨んでいるわけではありません。間違いは誰にでもあるでしょう。問題なのは私が母の不完全さを暴いてからもずっと、自分は絶対に正しいと振る舞い続けたことです。それをキリスト教の教理を借りて私にに信じるように強要し続けたことなんです。ウソをつき続けようとしたことなんです。私はいつも分かりやすいうそをついていました。そのウソを頭から信じない母、そのウソを責める母を見て、私は何かを確認していた気がします。

少なくとも卒業文集に書いた自分の将来「外国に永住」は、ウソじゃありませんでした。たとえそれが家族ごと日本を切り捨てるために叶えられたものだとしても。

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