ニール・ゲイマンの短篇集「壊れやすいもの」は、ゲイマンの多才さ、多彩さを味わえ、また、ヒューゴー賞、ローカス賞を受賞した作品が多く含まれる高品質の作品集です。
いくつかの作品をご紹介します。
「翠色の習作」(2004年ヒューゴー賞、ローカス賞受賞)
シャーロック・ホームズの「クトゥルー」ものという、下手するとせっかくのキャラクターを台無しにしてしまいそうな、リスキーな企画ものですが、稀代のストーリーテラーであるゲイマンは、意表を突く設定を生み出し、チープな展開に陥ることを巧みにクリアしています。
ホームズもののパスティーシュとしても面白いし、「太古の存在」が「真っ当に」君臨する世界の不気味さを垣間見せてくれ、職人芸とでもいうべき、話の上手さを堪能することができます。
ホームズ・シリーズの長編「緋色の研究」と、とりわけ「シャーロック・ホームズの冒険」所載の名編「ボヘミアの醜聞」を読んでいると、なおのこと、ストーリーを楽しめること請け合いです。
さて、これがSFかと言われれば、パラレルワールドものではありますが、ハード的な要素はなく、既存の常識や価値観に揺さぶりをかけることを目的としているものというものではなく、エンタメのファンタジーとして、さくさくと読めるというところですかね。
「太古の存在」が、異形の怪物として押し寄せてくるというように、これ見よがしに、ごてごてと描くような愚は犯さず、既存の王室を継承して、世俗とは隔てられ、ベールのかかった支配によって君臨しているという描き方にしているのは、なるほどと思いました。
いわゆる「レプティリアン」の言説が、胡散臭いとは思いつつも興味を持ってしまう、そういう心理の不思議さとも共通するところがあるように感じました。
「十月の集まり」(2003年ローカス賞受賞)
各月を擬人化した12人が、定例会で、焚火を囲みながら、順番に話を披露します。
今回は、十月が担当で、とあるところに住む「みそっかす」と呼ばれる三男坊が、家出の冒険を行ううちに、ふと入り込んだ廃墟の街跡で、不思議な少年と友達になるのですが、・・・という、何とも哀感溢れるお話です。
結末は読者に委ねるというタイプのものなので、カタルシスを得ることはできないのですが、妙に心に染み入るんですね。
ブラッドベリに捧ぐと記されていますが、まさにそういう雰囲気の作品です。
「閉店時間」(2004年ローカス賞受賞)
廃邸の片隅に建てられた「おもちゃ小屋」で度胸試しをする少年たちのお話です。
スティーブン・キング風の作品で、趣味の悪さとショッカー部分は本家よりも薄味という感じですが、じわりと効いてくる怖さはなかなかのものです。
「・・・ちなみに、わたしたちは、あのおもちゃの家で遊ぶのを許されていなかった。父はあれを、わたしたちのために建てたわけじゃなかった」男は声を震わせた。・・・「父には父の楽しみがあったんだ」
意味深でぞくっとしますね。よくある設定の話ではありますが、要所要所の押さえどころが手際よく、引き締まった好短編です。
「パーティで女の子に話しかけるには」(2007年ローカス賞受賞)
少し毛色の異なる作品です。ティーンエイジャーのパーティに紛れ込んだヴィクと主人公は、可愛げな女の子たちといい仲になろうとしますが、彼女たちは、どうも普通でないずれた話をし、何かかみ合いません。
そのうち首尾よくしけこんだはずのヴィクが血相変えて、ここから逃げ出せと主人公のところに飛び込んでくるのですが・・・。
女の子たちの、妙な宇宙感覚にあふれるシュールな会話と、主人公らのリアルな軽薄さとが、フィットするようでフィットしない、ずれ具合が面白いですし、翻訳もそこのニュアンスをうまく伝えられているのではないでしょうか。
全31編。巻末には、作者が全編について後書きを記し、金原瑞人氏と、山尾悠子氏の解説までついているという、なかなかにもてなしのよい一冊です。
いくつかの作品をご紹介します。
「翠色の習作」(2004年ヒューゴー賞、ローカス賞受賞)
シャーロック・ホームズの「クトゥルー」ものという、下手するとせっかくのキャラクターを台無しにしてしまいそうな、リスキーな企画ものですが、稀代のストーリーテラーであるゲイマンは、意表を突く設定を生み出し、チープな展開に陥ることを巧みにクリアしています。
ホームズもののパスティーシュとしても面白いし、「太古の存在」が「真っ当に」君臨する世界の不気味さを垣間見せてくれ、職人芸とでもいうべき、話の上手さを堪能することができます。
ホームズ・シリーズの長編「緋色の研究」と、とりわけ「シャーロック・ホームズの冒険」所載の名編「ボヘミアの醜聞」を読んでいると、なおのこと、ストーリーを楽しめること請け合いです。
さて、これがSFかと言われれば、パラレルワールドものではありますが、ハード的な要素はなく、既存の常識や価値観に揺さぶりをかけることを目的としているものというものではなく、エンタメのファンタジーとして、さくさくと読めるというところですかね。
「太古の存在」が、異形の怪物として押し寄せてくるというように、これ見よがしに、ごてごてと描くような愚は犯さず、既存の王室を継承して、世俗とは隔てられ、ベールのかかった支配によって君臨しているという描き方にしているのは、なるほどと思いました。
いわゆる「レプティリアン」の言説が、胡散臭いとは思いつつも興味を持ってしまう、そういう心理の不思議さとも共通するところがあるように感じました。
「十月の集まり」(2003年ローカス賞受賞)
各月を擬人化した12人が、定例会で、焚火を囲みながら、順番に話を披露します。
今回は、十月が担当で、とあるところに住む「みそっかす」と呼ばれる三男坊が、家出の冒険を行ううちに、ふと入り込んだ廃墟の街跡で、不思議な少年と友達になるのですが、・・・という、何とも哀感溢れるお話です。
結末は読者に委ねるというタイプのものなので、カタルシスを得ることはできないのですが、妙に心に染み入るんですね。
ブラッドベリに捧ぐと記されていますが、まさにそういう雰囲気の作品です。
「閉店時間」(2004年ローカス賞受賞)
廃邸の片隅に建てられた「おもちゃ小屋」で度胸試しをする少年たちのお話です。
スティーブン・キング風の作品で、趣味の悪さとショッカー部分は本家よりも薄味という感じですが、じわりと効いてくる怖さはなかなかのものです。
「・・・ちなみに、わたしたちは、あのおもちゃの家で遊ぶのを許されていなかった。父はあれを、わたしたちのために建てたわけじゃなかった」男は声を震わせた。・・・「父には父の楽しみがあったんだ」
意味深でぞくっとしますね。よくある設定の話ではありますが、要所要所の押さえどころが手際よく、引き締まった好短編です。
「パーティで女の子に話しかけるには」(2007年ローカス賞受賞)
少し毛色の異なる作品です。ティーンエイジャーのパーティに紛れ込んだヴィクと主人公は、可愛げな女の子たちといい仲になろうとしますが、彼女たちは、どうも普通でないずれた話をし、何かかみ合いません。
そのうち首尾よくしけこんだはずのヴィクが血相変えて、ここから逃げ出せと主人公のところに飛び込んでくるのですが・・・。
女の子たちの、妙な宇宙感覚にあふれるシュールな会話と、主人公らのリアルな軽薄さとが、フィットするようでフィットしない、ずれ具合が面白いですし、翻訳もそこのニュアンスをうまく伝えられているのではないでしょうか。
全31編。巻末には、作者が全編について後書きを記し、金原瑞人氏と、山尾悠子氏の解説までついているという、なかなかにもてなしのよい一冊です。