わしには,センス・オブ・ワンダーがないのか?

翻訳もののSF短編を主に,あらすじや感想など、気ままにぼちぼちと書き連ねています。

ファン・ゴッホによる<苦痛の王>の未完の肖像~イアン・マクドナルド②

2023-10-16 20:57:29 | 海外SF短編
「<苦痛の王>は、喜びと悲しみの両方を、涙と笑いの両方を、成功と失敗の両方を、正気と狂気の両方を知っている者でなくてはならない。人間であるということがどういうものなのかを正確に知っている人物でなければならない。どんなに恐ろしくてどんなにすばらしいものであるかを知っている人物でなければならない。きみのような人物だよ、フィンセント」

 未来の人類は、知恵と技術の発展による恵みを享受していましたが、一方で、自らを滅亡させてしまえるものも生み出すこととなり、心に巣くう恐れ、苦悩に苛まれ、犯罪、暴動、虐待等々、社会不安が極度に深刻化していました。
 そこから逃避するかのように、人々の間に、機能停止の休眠状態に陥る病が拡大し、残る人々は、その解決をAIに託します。AIは、その分身をすべての人の脳内に送り込み、その心を探り、あらゆることを知って、ついには全知全能の存在となり、「高く輝けるものたち」と称して世界を統括し、平等、公平な社会システムを構築し、核兵器をコンクリート詰めにするなど、苦しみの原因となるものの除去を粛々と進めます。
 それでも根絶できない苦痛に対しては、苦痛を与えた者に、すべて相応の別なる苦痛を科すという「応報システム」を完全運用することで対応することとし、「高く輝けるものたち」は、その審判者・執行者として、ランダムに選んだ、一人の航空機整備員の男ジャンを「苦痛の王」に指名します。
 AIの内部に再構成されて存在し、時空を自在に移動できる「苦痛の王」ジャンは、画家フィンセントを愛し、王の肖像画を描くに値すると認め、ヴィンセントの前に現れます。
 王は、フィンセントの苦痛を取り去り、苦痛ですら色彩として捉えられる感覚能力を与え、その才能をフルに発揮させようとします。
 フィンセントは、王との関わりは、自分の狂気のなせる業と畏れていますが、作品が世に認められない絶望と周囲からの孤立によって、次第に狂気へと引きずり込まれていきます。
 死期の近づくフィンセントは、苦痛を知らない者は人ではないと、苦痛の王から、苦痛を取り返そうとするのですが・・・。

 あらすじをなぞってみましたが、我ながら、これでは、作品の魅力を伝えられていないなあと思いますね。
 筋立てというよりも、狂気と苦悩から逃れることのできない人の定めというか、性のようなものを、色彩感にあふれ、イメージ豊かに幻想的に描き出す「魔術的リアリズム」の技を体感できるというのが、この作品の肝だろうと思います。
 翻訳も難しかったろうと推察しますが、浅井 修氏の訳業は、作品の魅力を十分に示してくれているのではないでしょうか。

 独特なイメージに満ちた世界を創り出すマクドナルドの作品は、難解で、肌合いが合わないと敬遠する向きも少なからずおられるのではと思いますが、この作品は、その生涯がよく知られているゴッホの著名なエピソードを軸にストーリーが動いているため、わかりやすく、SFとしての設定とも違和感なくマッチしており、作者の世界に素直に同化しやすいのではと思います。

 狂気と苦悩の天才として、ゴッホは大変魅力的な題材です。
 ゴッホの強烈で現実を超越したような色彩感覚を、この作品はうまく活用しており、また、自らの耳を切り取る行為に代表されるように、苦痛の権化ともいえるゴッホの存在感が、作者の幻想をしっかりと受け止めている「安定感」も感じました。
 同じく、ゴッホを題材としている、デイヴィッド・マレルの「オレンジは苦悩,ブルーは狂気」にも同じ感じを持ちましたね。

 サイデラバードシリーズが出版されたので、名編が数多くあるだけに、短篇集がまとめられるのではないかと期待していたのですが、あまりそんな機運もないのかな。

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