マングローブに一面覆われたユカタン半島の未開の地。
観光旅行の途中、小型飛行機の相席となったドンと、ルース、アリシアの母・娘、そしてパイロットのエステバンは、エンジン不調により、周囲から途絶したこの地に不時着する羽目となります。
しばらくは、救助が期待できない中で、飲料水の確保のため、怪我をしたエステバンと、アリシアを残して、ドンとルーシーはマングローブの奥地へと探査を試みますが、ドンが、柔らかい砂地に隠れた枝で膝を負傷して動けなくなってしまいます。
やむなく野営した彼らは、異星人の一団と遭遇するのですが、異星人からルースを守り逃げようとするドンに対して、ルースは意思疎通を図ろうとし、異星人が紛失した機器を見つけて、これを返すことと引き換えに、アリシアとエステバンの待つ場所へと運んでくれるよう頼みます。
異星人の助けにより、何とか無事に合流できたあと、宇宙の彼方へと立ち去ろうとする彼らに、この母・娘は、一緒に連れていってほしいと、驚きの行動にでます。
ティプトリーの数多い名編の中でも、女性解放運動が盛り上がった時代背景と、ティプトリーが実は女性であったことへの衝撃、彼女の数奇で劇的な生涯など様々な伝説的なことが付加されていき、この作品は、いわゆる短編ベスト10とかとは距離を置いているかもしれませんが、SF史的に、また、「ジェンダー」に関わって言及される、定番的な作品となっています。
「ヒューストン、ヒューストン、聞こえるか」にも感じることですが、男性読者にとっては、「男性」がマッチョな支配者にカテゴライズ化されてしまうのはどうなのよと思いつつも、本音のところでは、女性を見る目は一緒じゃないのと突き付けられているようで、何とも居心地の悪い思いになります。ドンに自らをなぞらえながら、心の底を見透かされているような、ぞわぞわするような嫌な感じを味わうのもまた格別です。
かといって、女性読者の留飲を下げるのかといえば、そんな単純なものでもありません。
この作品の発表当時は、ティプトリーは、SF界に出現した有望な「男性」新進作家として賞賛と期待を一身に集めていただけに、女性読者、とりわけフェミニスト界隈からは、男性なのに女性のエリアに妙にリアルに生々しく侵入してこられたという違和感やとまどいも強烈だったようです。また、女性を描ける男性作家の旗手として持ち上げていた側からも、はしごを外されたような困惑も相当のものであったことがうかがえます。
この母娘が異星人についていってしまうという突き抜けた結末も含めて、「異質感」極まりなく、いろいろな立場の人の価値観を思い切り揺さぶる作品として、今なお、インパクトをもっていますね。
ティプトリー独特の難解な修辞は抑えられているため、とっつきやすく、読みやすいので、「わな」のように、間口広く読者を集めて、想定外の場所へと連れて行ってしまう効果がより発揮されるように思います(日本の読者にとって、信頼高い伊藤典夫氏の訳というのもありがたいですね。)。
ルースは、女性をオポッサムに例えています。オポッサムは、強敵に襲われたときに、死んだふりをすることで有名らしいです。当時の男性優位の世界で、従順なふりをしているかもしれない女性に高をくくっていると、とんでもないしっぺ返しを食らうかもしれないというビジョンは斬新であったと思います。
自分に限ってそんなことはないと思っている男性諸氏こそ、気をつけないといけませんね。
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