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お寺ふぁん・続

写真撮ってきたから見て~♪ 程度の記事書いてま~す!

平成最後・・

2018-12-19 21:03:14 | 日記

“・・平成最後の○○” というのをちょくちょく見聞きする気がする。

 大半は努力してそうなったということじゃなく、ただ単に時が流れてそうなった・・というだけのことだろうけどね。

 しかし、これは余裕が持てて非常によいことだと思う。

 

 30年前、それこそ最後の昭和などというのは言葉にできなかった。

 テレビをつければ“本日の陛下、下血〇ml、体温〇度、脈拍・・”というテロップが流れていた。

 年末に向け忘年会も歌舞音曲の自粛という実質禁止措置がとられ、通りも閑散としていたと思う。なんとも気の重い時期だった。

 明けて新年、陛下の容体はますます重篤になったのかな? はればれとした年明けではなかった。

 

 そして1月7日、この日は土曜日だった。通勤電車の中で携帯ラジオを聞いていると崩御の報が流れた。

 当時は携帯電話さえ珍しく到底一般的とは言えなかった。企業の連絡用にショルダーホンとか配備してるところがあったかと・・つまり、“スマホで見た、知った”というのはあり得ないころだった。

 駅に下り、会社までの道すがらひそひそ話程度に話が聞こえる。

 なぜひそひそ・・この頃は“半ドン”という語が生きている時代で、土曜日はお昼で仕事を切り上げていた所が多かった。

 勤務先も半ドンだったのを1日勤務として隔週休日にしたてだった。他の会社もそういうのが多かったんじゃないかと思う。

 そして正月から初の土曜で通勤の人出は少なかった。それでひそひそとしか聞こえないくらいだったのだ。

 

 30年経っても忘れないこともある。

 こういう状況を見据えてか、開いている飯屋が少なく、材料仕入れの量も難しかったとは思う。 翌日曜は休業だし・・

 頼んだランチが出てくると、とてもまともな食事と言えなかった。

 残菜の寄せ集め、ごはんもちょっぴり、こんなんだったらオーダーのとき断れよ!というレベル。

 食べ終えた客との差歴然、値段は一緒、食い物の恨みは深い。

 

 昭和天皇の崩御というのは、お人柄なのかできるだけ静穏にという想いのなせることだったのかもしれない。

 出来過ぎてて “ほんとか?”と疑いたくなった記憶もある。

   当時は、元号は生活・仕事と密接だった。日付の補充は昭和が印刷済、数日後には消し線の上に平成と書いたゴム印が売り出されたほど・・

 

 大変不謹慎なことだけれど、“やっと長い夜が明けた”と感じた方も多かったんじゃないだろうか・・?

 そんなことを目のあたりにして今上天皇は、いつのことか予定できない自分の崩御を以て改元というのを避けたいと真剣にお考えだったのかもしれない。

 ”もうしんどい” はおまけ。

 自分自身は次の次の改元の折には、もう何にも関心を持てない身になっているか、最悪この世にいないかもしれないね・・

 

 現元号への改元の年、妻を娶り、冬には娘を授かった。自身の家庭の始まりの年だった・・

昭和64年(1989年1月1日~7日)に起きた出来事を収集してみよう。

 


元禄赤穂事件

2018-12-13 18:59:02 | 日記

“時に元禄15年12月14日江戸の夜風を震わせて・・・♪”

この日元赤穂藩の浪士が徒党を組んで本所の武家屋敷に討ち入った・・・

美談である・・が、どこまでほんとかわからんというのが最近の見方である。

12月14日は現在の暦では1月30日にあたるらしい。

年末ということでせわしさは当時の12月も現在の12月も同じようなものだろうけれど、季節的にはもう少し寒かったのかな・・?1月末だし。

 

“どこまでほんとかわからん”・・まず、天気。数日前に降雪があり残雪はあったようだけど当日は晴れ。

雪降りの表現をすることもあるようだけど、そうだと☓。 では、なぜ雪かというとその方が芝居受けするからとか。

数あるエピソード、相当しんどいものが多いみたいね。俵星玄蕃なる武勇の人物が討ち入りの障害となる加勢を橋の上で食い止めた・・そんな人実在しませ~ん!

・・ という今で言うフェイクのオンパレードらしいけど、お武家様に関わること、まして将軍様も一枚関わるということであれば詳しく知ることなどできない。

むしろ正しいとそれこそそっちの方が大問題、あくまで事実とはまったく無関係の“架空のお芝居ネタ”を前提として演じられるわけだから報道などとは著しく質が異なる。

では史実は・・? これも実際は難しいよね・・人の記憶を書き記したものだけが“証拠”

 

・・ここで現在の自分の話でお邪魔する。今年、マイカーに後付けでドラレコを付けた。

きっかけは事故まがい。塾カバンを持った小学生?が車の直前横断をした。

腰から下は見えていなかったのでほんとに直前、急ブレーキを踏みながらももうだめかと思った。

ごく短い時間だろうけど、非常に長い時間に感じた。車になんの衝撃もなく、その子は何もなかったかのように振り返りすらせず走り去った。

結局はそれがよかったんだと思う。車に気づいて立ち止まっていたら・・と今更ながら冷や汗が出る。

当たってしまえばどうであれ車が悪いのは自明。しかし、何の同情も得られることもなく、東名の煽り男のような眼を向けられるのは・・とせめてもの弁明材料をと付けた次第。

そして、付けた後で事故現場に遭遇した。“自分は目の前で見てたんだからなんでも証言できるよ!”そんな気分でいたんだけど、ドラレコを再生して愕然とした。

ファクトのドラレコと自身の脳内ドラレコとはまったくといっていいほど合致してなかった。もし、ほんとに証言していたとすれば偽証に近いものであった。

人の目、記憶など詳細が必要な場合には当てにならない。そんなことかな。(勿論、自分が劣るという点は棚にあげてま〜す^^;)

 

とても回りくどい書きようだけど、主題を以て書いたわけではないただの徒然書きなのでご容赦願いたい。

さらに続けると、文字ができてからの歴史というのは恣意性が強く「???」、所詮は勝者の記録とか受けねらいの脚色。

恣意性を排除したものとされても誤認、錯覚等があり依然「???」。

まして“これから起こることをよ~く見てて・・”ではなく、突如起こったことに関してどれほど正しく認識できるのか・・

スポーツの審判ですら機械での判定を求められる時代・・ 平成が終わったらスピードに着いていけないな~ 唯一現代っ子として着いていけてるところ・・活字離れかな~! 

 

・・やっぱ、雪降る中に山鹿流陣太鼓を打ち鳴らし、俵星が影で加勢してくれてる時代が良かったかも〜!!!

「赤穂浪士」の画像検索結果

 


残念めだか買出し 屏風岩 ねこうどん(のらや)

2018-12-08 07:16:13 | 日記

 ついにというか、いよいよ、とうとう・・・なんと言おうと冬日より、本格的な師走になりました。さぶ~

 

 

 めだかが弱ってきて半減、えび(ミナミヌマエビ)は全滅です。

 補充に走ります。月1回だけの販売です。・・が、今日は出店がありません。

 野菜の人に聞くと、来てるかもしれんから・・と探してきてくれました。

 残念、冬は下の方にじっとしてるんで販売休止、再開は4月か5月だそうです。

 

 何度も来てるのにこのお屋敷のことを知りませんでした。

 

 内部。 ひろ~い!

 地元の庄屋さんクラスの方の持ち物なんですかね?

 今は市に寄贈されて宝塚市の施設になっているそうです。

 

 

 冬です。先月15日からいのぶ~の肉解禁! ぶひぶひ・・

 

 さぎちゃんも寒かろ~ 魚もじっとしててなかなか捕れないよね。ひもじ~

 

 ここからほど近く猪名川の屏風岩に寄ります。

 民家の軒先を通るのであいさつをしたところ、碑について教えてもらいました。・・みんな来るよ・・と。

 残念、読めません。

 

  ご心配なく! でした。入り口に説明版が設置してあります。

 

 小屋の奥に入ったところが碑で、さらにもう少しで屏風を間近に見ます。

 

 荒々しい岸壁です。

 

 水の色がもう冬です。

 

 

 

 

 冬ばれの冬景色ですね。

 

 食事して帰宅します。

 

 

めだかのニューファミリー補充計画はしばらく中断です。

 

 

 


秋 神戸港 ルミナリエ

2018-12-04 11:45:42 | 日記

 もう2日、日曜日のことです。

 

 相楽園を出て坂を下ります。

 

 これはなんという樹でしょう?

 熟すと実がはぜて種が出るようです。

 

 途中、エスニックで昼食にします。

 

 むしどりはぱさぱさでどうもということが多いんですが、これはいいです。

 他はチンでしょうし、コメントなしですかね。

 オヤ? は米、ジャポニカではなく長粒種のインディカ、硬い米という予断があるんですが柔らかいです。それもスプーンで軽く押しただけでつぶれるくらい・・

 実は店に入ったとき、初めて嗅いだような・・記憶にあるような・・そんなにおい(かおり)がしてたんですが、このごはんのにおいでした。

 いつもこのにおいなのか、かたさもこうなのか・・? それを確かめるだけで再訪したい気分。

 

 

 

 山陽線に出ます。神戸までは神戸線という愛称があるようですけど、この区間はどうなんでしょう・・

 

  大外を貨物・・

  その内を普通電車が走ります。

 

 

 

  中華街を経由しますが、やはり人出多いです。なお、日本語はかなり少ないようです。

 

  港に出ました。

 

 

 

  別に・・たんなる大きな水溜りですが・・やっぱり海はいいです。

 

 

  海のエージェント!

 

  7日(金)から点灯するようです。準備万端ですね。


高野山 霊宝館

2018-11-06 20:03:44 | 日記

 高野山。平安の昔、修行のため中国に渡った空海が日本における修行適地を求めて中国の浜から法具である三鈷杵を投げたところ、高野山の三鈷の松の枝に引っかかっていたのを見つけ、適地と確信したという。

 スーパー三鈷杵であり、スーパースローの結果だね・・と、こういう風に書くこと自体罰当たりなんだろうけど、実際に有り得ないことにも関わらず不思議さは残る。松葉って普通二本だし、常緑樹だよね~(三鈷の松

は落葉するそうな)

 

 高野山は山の天辺なので紅葉が早い。だから行けたらという前提だけど11月の文化の日は紅葉狩りに来ていた。

 しかし、さすがに時季、ゆったりとした時間はとれない。ゆったりしたら帰路お山から下りるだけでも大変なことになってしまう。最初に来たときより随分と道路も改修されているとは思うんだけどね・・

 

 “いつでも来れる。シーズン外せばゆったりと・・”という思いでこれまでパスしていた霊宝館に今回寄ってみた。

 “本物”の仏像を目にする。仏教の地だから仏像があっても何の不思議もないけど、塔自体が仏なので、具象的な仏は意外な気もするし、やはりインパクトが違う。

 特に好きなのが愛染明王。写真は東京国立博物館の蔵。明王は荒々しい姿になる。

 私見だが、母なる胎蔵界と決然たる雄々しき金剛界。金剛界を表象するようなお姿ね。

 

 

 

 

  こちらが霊宝館所蔵のもの。(リーフレットから切り出し)

 見上げる高さに安置されていることから視線の高さがまったく違い、照明の作り出す陰影からも同じ像に見えない。現物の迫力は違う。

 

 最近、いにしえからの物が盗まれたり、油をかけられたり、果ては放火されるようなことを聞く。大きな寺院はいいんだろうけど、小さな寺院の宝物はレプリカや写真にしてこのような場所に安置しないとかけがえの

ないものが永久に損なわれてしまう心配をしますね。・・本来ありえないことなんでしょうけど・・・

 そして東京博物館の所蔵、奈良にあった大寺院にあったものとのこと。廃仏毀釈の弊で危うく薪になりかけたもの。寺院自体は破壊され、現在跡形も無い・・・