このアカウントも容量を使い果たしてしまいました。
見ていただいてありがとうございました。
新しいアカウントで更新したいと思います。
まずは平成31年4月22日に行われました四天王寺聖霊会を載せてはじめます。
引き続きよろしくお願いします。
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米豪連絡線の遮断のため、日本軍はソロモン諸島のガダルカナル島に前進基地を作った。
突出部となり、もとより米軍の本格的反攻を意図していないため脆弱なものである。
飛行場ができあがろうかという時期、米軍はこれを奪取した。日本軍は強行偵察と踏んでいたため、対応が後手後手となっていた。
意地もあるだろうし、当地の戦略性も見逃せない。ここに日米両軍間の大消耗戦が展開された。
その中で喪失艦となった戦艦比叡、空母ホーネットに続き空母ワスプが発見されたという。
このチームは、戦艦武蔵も発見した。ま~よくやるもんだね・・
それぞれの艦に世界支配のカギとなるパーツが積んであったとか、莫大な財宝、重大な学術資料があるとかだったらとっくの昔に実現していたと思う。
今回は4000メートル超の深海、発見物は古びた鉄くずでしかない。学術的にどうかということも特段ないだろう。
国家事業としては成果がまったくコストに見合わない。それを民間でやったんだね。
壮大な無駄にロマンを感じる。
ワスプは正規空母、日本軍の潜水艦が重囲をくぐって雷撃し、鎮火不能の大火災を起こし自沈処分された。
このときはずれた魚雷は別グループの戦艦ノースカロライナ、駆逐艦オブライエンに命中したという。
それは別の潜水艦という説もあるらしいが不明。
ノースカロライナは修理のため戦線離脱、オブライエンも修理のため回航中雷撃で傷んでいたキールが折れ沈没した。
・・その残骸を見つけたからといって、ほんとどうということもないとは思うんだけどね・・
沈没はどちらのフネであれ大惨劇、発見は平和でいい・・・
それにしても米軍は自軍が攻撃に晒されて惨劇に遭う、そんなシーンも撮れていたんだね・・・ 余裕というか・・
先日第三次ソロモン海戦で沈んだ日本軍の戦艦比叡が発見されたニュースを見た。
今度はその海のご近所で空母ホーネットが発見されたそうな・・
ホーネットとはスズメバチの意、確かにぴったりの命名ね。
この艦の日本との因縁といえばなんといっても日本本土を初空襲したということだろう。
まだ日本軍優位で太平洋の戦いが展開されている時期に太平洋ベルトを順次爆撃していった。
しかも、双発陸上爆撃機で・・・ 写真はその発艦シーン。
日本はこの爆撃隊に手も足も出せず見送った。
被害もそこそこ、なんといっても精神的な被害が多大。
日本軍では自軍では不可能な双発機の発艦を(本当に不可能か)疑問視しながらも、発進は陸上と結論づけせざるを得なかった。
その”陸上”こそはミッドウェーに違いないとミッドウェー作戦の発動となる。
ホーネットは南太平洋で日本軍と相見えることとなり、就役1年そこそこで沈んだ。
飛行甲板に見えるポツポツが人、いかに大きなフネかわかる。
”これでもか、これでもか” という攻撃に耐え、友軍の自沈処分攻撃にも耐え強靭性を見せつけたらしい。
アメリカと日本とでは設計思想が異なる。
アメリカは戦えば必ずダメージを受ける、それをいかに軽減するか。
一方日本は攻撃は最大の防御、ダメージを受けないようにと攻撃力を一とした(カネも無いし・・)。被弾には弱い。
今後どれくらいプロジェクトを続けていくかわからないけど、戦闘というより思想の違いが実際に見えてくるんだろうな・・
旧日本海軍の戦艦「比叡」が発見されたとのニュースを見た。
何を今更・・という気も勿論あるが、ロマンには違いない。随分南の海に沈んだんだね。
日本軍は、南太平洋の楽園ニューカレドニア、フィジー、サモア方面への作戦を企図したが、“なぜか?”のズバリの答がこの地図かな。
連合軍の反攻拠点はオーストラリアであると見込み、米豪連絡線を遮断しておく。
その上でオーストラリア占領もあり得るという壮大な作戦だ。
太平洋戦争において、日本軍の緒戦は予想以上に順調に推移した。
そのため、第二段の作戦が計画されたが、緒戦の順調はとりもなおさず準備不足での第二段作戦への突入を意味していた。各作戦の整合性が取れていないのである。
当時有力な空母機動部隊を保有・運用できるのは日本とアメリカだけであり、日本の優位ははっきりと見えていた。それが油断であり、驕りとなっていく。
実戦を経験することにより、幾多の問題点が顕在化されたにも関わらず、結果オーライでスルーされたままミッドウェー作戦を決行した結果、海上兵力は致命的な損失を被ることとなった。
南太平洋で展開する作戦の戦闘力も大きく損なわれたのである。
地図を見ると島伝いソロモン諸島の南端付近に後に「餓島」と呼ばれることとなるガダルカナル島があり、日本軍はここに飛行場適地を見つけて設置を開始した。
この時点でこの島の重要性を強く意識したのは、基地設営を行っている日本軍ではなく、米軍の方であった。
喉元に突きつけられるナイフとなるこの島は脅威である。逆に奪えば絶好の反攻拠点とできる。
日本軍は、”そのうちにここへも(米軍が)来るやろな~” 程度ののんびりしたものであったに違いないと思う。工兵隊、要するに工事部隊だけがほとんど裸状態で設営工事を行っていた。
ツルハシとモッコというスタイルだから当然進捗は遅い。
1期工事ほぼ終了、そこに米軍が大挙上陸してきた。日本軍守備隊(ほとんど工兵)は、備蓄していた糧食さえ運搬することもできずに退避せざるを得ない状況になった。
敵のために飛行場を用意したことになる。
ここから日米両軍による陸海空の血みどろの島(飛行場)の奪い合い攻防が始まる。
強行偵察程度だろうと情勢判断を甘く見た日本軍に救われた向きも指摘されるが、物量を擁する米軍でも決して楽な戦いではなかった。
ただ、持てる国アメリカは、輸送船への攻撃を重視し、貧しい国日本は戦闘艦艇への攻撃を優先した。
米軍は大した被害を受けず揚陸された兵員、資器材、重機などにより、飛行場を整備拡充、着々と戦力を強化していった。
米軍は昼間悠々と輸送船から揚陸、日本軍は夜間こそこそと貨物収容力のない駆逐艦や潜水艦でほそぼそと補給。
奪回を図る日本軍は、一度成功している飛行場に対する戦艦の夜間艦砲射撃を再度行い、飛行機の発着を不能にして直後に大規模揚陸を行う作戦を立てる。
米軍は当然阻止するということで生起した海戦が第三次ソロモン開戦であり、you tubeでも再現映像が見られる。
このときの飛行場砲撃担当が戦艦比叡と霧島の姉妹艦である。
両軍大艦隊同士の混戦の中で比叡は被弾、舵機故障で自由が効かず、夜が明けて機能を失っていない飛行場からも含めさらなる猛攻を受ける。
救援またはそれが困難な場合の処分のため派遣された日本軍艦艇が漂流海域に至ったときには艦影が失われていた。
つまり誰にも看取られずに沈んだ戦艦が比叡であり、今回の発見記事となっているものである。
過去の戦闘記録を追うことは、別に戦争にこだわるものではなく、会社などの組織運営に役立つものなので有用だと思う。
しかし、新たな戦闘記録を残すことになるのは・・避けないとね。
【戦艦比叡】
比叡の同級と言われるのは、霧島、榛名、金剛の計4隻。
大正生まれであり、太平洋戦争時には既に”おばあちゃん”であるが、改装により近代化されていた。
12隻あった戦艦のうち、その優速性から活躍の場を得たのはこの級だけというのは過言でなく、それ故喪失も早かった。
2日後には霧島も喪失艦となった。
なんか少し落ち着いてきた気分です。
もう過去なんですが、備忘もあるので記事にします。
帰省から帰宅して初詣、箱根駅伝と新年を迎えていました。
年末、医師から容態の説明を受けていました。
”嚥下能力が極度に低下しているので食事が摂れない。食べさせると誤嚥してしまうので中止を指示している。
本人もベロで押して拒んでいる。”
”ずばり、どれくらいもつんでしょうか?”
”経口栄養が摂れないので点滴だけ。すると1〜3か月というところでしょう。
ただし、現在誤嚥性肺炎を起こしているんで、抗生物質を投与している。その効果次第という面があり、急変もありうる。”
厳しい言葉です。緩やかな死亡宣告ですね。
6日(日)、電話がなります。
”もしや・・・” 医師から家族へ連絡するようにと指示があったとの施設からの連絡でした。
厳しい冷え込みです。放射冷却?
星々がとても美しいです。少し不安を感じるほど・・ オリオン座を望んでいます。白鳥、カシオペア姫・・たくさんです。
点滴が生命の時間を刻みます。
その朝、叔父も来てくれた中、規則的だった呼吸が止まりました。
呼びかけると吹返し、数回繰り返しました。
そしてそのとき、吹返そうとしたのでしょう、首の筋肉がピクッとしたきり反応が止まりました。
医師が来て瞳孔反射の消失、自発呼吸の停止、心拍停止の三点を確認したとして死亡が診断されました。午前8時40分。
このお寺の檀家になります。
葬儀も終え、家族だけで精進揚げ、祝い膳だったらさぞかしおいしかったでしょう。
”傾けるもの” もありません。
年末、数輪だった梅も花が増えています。
通夜・葬儀を通して最もインパクトを受けるのは地元の年寄りのようです。
前にも見た景色、同世代の年寄りが色を失って震えながらお参りに来ていただきました。
顔を覗き込んで ”先にいってしまって・・・” と泣かれています。
長生きはしたい、しかし、同世代のいない孤独というのはいたたまれないでしょう・・特に過疎の町では・・
ありゃ〜 タモに魚がひしめいているのを撮ったつもりなんですが、既に生け簀です。
帰路昼食、元日帰宅の定番にしている「開運膳」を頂きます。
帰宅して第○会精進揚げです。
佐賀の「褒紋東長」おいしいお酒です。寄付額が上がりました。
母の持ち物。歩数をメール通知する機能を付けていたんですが、もう鳴ることはなくなりました・・・