7 攻撃されし親鸞聖人
鸞聖人が御師匠然上人と同様遠流に処せられたのは、
何事を物語っているであろうか。
(一)(対聖道諸宗)には、肉食妻帯をして非僧非俗の姿を顕わした為、
破戒無戒と罵られた為であろう。
(二)(対浄土門内)には信仰が熱烈であった為、然上人の三百八十余人の
弟子共は背師自立と叫んだからであろう。
(一)成程姿形は肉食妻帯をし、他の僧侶を否、一般国民を驚かしたけれども
是れが人間自然の道理であったのである。
然るに諸宗挙って賢善精進を表とし、持戒修行を現じつつも
内面の乱想は止め難きものが有ったろう。
是れを看破せられた聖人は、姿の破戒無戒よりも心の破戒の方が醜かったのである。
(二)法然上人の真髄を得て絶対他力の念佛を弘宣する時、
念佛に功を募る牛羊眼の諸弟子達は、平生の時、信の一念に往生の業事成弁する
との説を聞いては、如何に驚異の眼を開いた事であろうか。
八方攻撃の只中に眼を閉じて合掌し、
夫れ以みれば、信楽を獲得する事は如来選択の願心より発起す。
真心を開闡することは大聖矜哀の善巧より顕彰せり。
然るに末代の道俗、近世の宗師自性唯心に沈んで、浄土の真証を貶す。
定散の自心に迷うて金剛の真信に昏し
乃至 誠に佛恩の深重なるを念じて人倫の哢言を恥じず。
曠劫多生のあひだにも 出離の強縁しらざりき
本師源空いまさずば このたびむなしくすぎなまし。
と高らかに口ずさみ、深遠なる佛恩師恩に感泣し給いし、聖人の忍辱のお姿が
慕しいではないか。何の不平もなく、知己を百年の後に求めて
死に行く人の言葉によって信仰を左右されてなるものか。
死なぬ佛に逢うたが証拠ではないかと、微笑まるる聖人様のお姿が尊いではないか。
僧侶の掟を破った破戒僧じゃ、背師自立の異安心じゃ、狂人じゃ、
佛法の怨敵じゃ、外道の法を弘める悪魔じゃ、と口を極めた悪口を浴びながらも、
唯々佛恩の深きことを念うて、人倫の嘲りを恥じず。若し斯の書を見聞せん者は
信順を因と為し、疑謗を縁と為して、信楽を願力に彰わし妙果を安養に顕さん。
とは底の知れない寛大さではないか。
(『魂のささやき』p.20-23)
鸞聖人が御師匠然上人と同様遠流に処せられたのは、
何事を物語っているであろうか。
(一)(対聖道諸宗)には、肉食妻帯をして非僧非俗の姿を顕わした為、
破戒無戒と罵られた為であろう。
(二)(対浄土門内)には信仰が熱烈であった為、然上人の三百八十余人の
弟子共は背師自立と叫んだからであろう。
(一)成程姿形は肉食妻帯をし、他の僧侶を否、一般国民を驚かしたけれども
是れが人間自然の道理であったのである。
然るに諸宗挙って賢善精進を表とし、持戒修行を現じつつも
内面の乱想は止め難きものが有ったろう。
是れを看破せられた聖人は、姿の破戒無戒よりも心の破戒の方が醜かったのである。
(二)法然上人の真髄を得て絶対他力の念佛を弘宣する時、
念佛に功を募る牛羊眼の諸弟子達は、平生の時、信の一念に往生の業事成弁する
との説を聞いては、如何に驚異の眼を開いた事であろうか。
八方攻撃の只中に眼を閉じて合掌し、
夫れ以みれば、信楽を獲得する事は如来選択の願心より発起す。
真心を開闡することは大聖矜哀の善巧より顕彰せり。
然るに末代の道俗、近世の宗師自性唯心に沈んで、浄土の真証を貶す。
定散の自心に迷うて金剛の真信に昏し
乃至 誠に佛恩の深重なるを念じて人倫の哢言を恥じず。
曠劫多生のあひだにも 出離の強縁しらざりき
本師源空いまさずば このたびむなしくすぎなまし。
と高らかに口ずさみ、深遠なる佛恩師恩に感泣し給いし、聖人の忍辱のお姿が
慕しいではないか。何の不平もなく、知己を百年の後に求めて
死に行く人の言葉によって信仰を左右されてなるものか。
死なぬ佛に逢うたが証拠ではないかと、微笑まるる聖人様のお姿が尊いではないか。
僧侶の掟を破った破戒僧じゃ、背師自立の異安心じゃ、狂人じゃ、
佛法の怨敵じゃ、外道の法を弘める悪魔じゃ、と口を極めた悪口を浴びながらも、
唯々佛恩の深きことを念うて、人倫の嘲りを恥じず。若し斯の書を見聞せん者は
信順を因と為し、疑謗を縁と為して、信楽を願力に彰わし妙果を安養に顕さん。
とは底の知れない寛大さではないか。
(『魂のささやき』p.20-23)