大沼法竜師に学ぶ

故大沼法竜師の御著書を拝読させていただく

魂のささやき

2008-06-15 11:15:31 | Weblog
40 私は悪者です

 示談に出て来て私は本当に徒者で、日本国中の一番の悪者で御座います
と言わるる方があるけれど口に悪者が出る間は
心の悪者を知らして貰っては居ない。
本当の自分は本願に摂取された時でなければ知れない。
法は機を照らし、機は法によって照らされるのである。
法の鏡に向った時でなければ本当の醜い自分の姿は見えない。
若し少しでも自分の罪悪が出て来れば、多くの人はこの悪者を、
お助けと言っているけれども、真の煩悶の出た人間なら、
助かった自覚を求めているのであるから、
他人の噂の様な空な事は言っていられない。
私の魂は悪を悪と知らない程の悪人である。
罪を罪とも知らず、地獄行きを地獄行きとも知り得ない。
匙子にも箸にも掛らぬ悪人、悪人と口で言えば
心の中では人に誉めて呉れはせぬかと直に善人になる。
人並の事をしても殊勝な人じゃと他人から見て貰い度いと言う浅間しい心である。
浅間しいと言う口が、又浅間しいのである。
人間の不完全な言葉では表現出来ない醜い心を持っている。
静かに反省すればする程、底の知れない罪悪を持って
業流転を続けているではないか。
苦悩のどん底に泣いた人間が求むる真剣さは一通りではない。
 罪を罪と知らんから堕ちるのではないか。
地獄行きを地獄行きと知らんから必堕無間ではないか。
後生となったら思う事もする事も判らないのじゃから唯知作悪ではないか。
何れの行も及び難いから出離の縁が無いではないか。
動けば動く程苦しい心が出るから煩悩具足ではないか。
散り乱れる心をおさえればおさえる程乱れるから散乱放逸ではないか。
 言葉の尽きた所に信仰の妙味は輝く。信一念の場合は間一髪の余地もない。
体験の刹那は凡夫の言葉では顕せぬ。不思議不思議、万歳万歳、
極重の悪人が全部許されて正定聚の菩薩にさせて頂いた時、
知るの知らんの文句があるものか。
知らん人は知らん、知って居る人は知って居る。私の親は私一人の親じゃ。
久遠劫から親に離れて今、苦悩の心を持て余し、親は居ないか助けは無いか
と泣き明した私に、十劫已来探していたぞ!!
と腹の底から声なき声で届けて呉れた親の念力を
知らん間に頂いたとか、馬鹿たらしい事が言えるものかい。
善人であれば何時とはなしでも済むだろうけれど、
真実泣いて親を求めた私は、名乗りの挙った味を知って居る。
そんな事は凡夫には知れんと言う人が多いが、
その人にはこんな味の知れる筈がない。名乗り挙げたのが悪ければ、
挙げて呉れた佛様にそんな事があらるるかと不足おっしゃい。
(『魂のささやき』p.81-83)

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