「父が教えてくれた歌を道連れに~」
これは山口百恵さんが歌う「いい日旅立ち」の一節です。
今日、この曲のレッスン中に、突然、
「先生、この歌詞が出てくると、私、抑留から帰還した父のことを思い出して泣けてしまうんです」
と仰って歌えなくなってしまう生徒さん(74歳女性)がいました。
そして、その理由を話してくださいました。
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父が抑留されて帰郷できたのは昭和23年の時でした。私は小学1年生でした。
引き上げ船で京都の舞鶴に帰り着いたものの、比較的ふくよかだった体はやせ細り、まだ、30代だというのに前歯はすべて抜け落ちていました。
まるで別人のようだった父に私は恐怖を感じ寄り付きませんでした。
身も心も病んでしまった父が復帰できるまでに10年かかりました。
その間、母が働きに出て、生活を支えました。
私が小学2年になったころでしょうか、ある日、母の帰りを父と出迎えることになりました。
長らく寄り付かなかった私を察してか、道中、父は歌を歌ってくれました。
朧月夜でした。
父は徴兵されるまで音楽の教師をしていたので、とてもいい声で歌いました。
私にも歌わせようと、一節づつ口伝えするように、何度も歌ってくれました。
私もその曲を覚えようとしましたが、父のようには歌えませんでした。
今考えると、父は私が音痴であることに気づいていたのかもしれません。
それでも、なんどもなんど歌い聞かせ教えてくれた歌でした。
その歌のお蔭で、父との距離も縮まり、その後はパパっ娘になってしまいました。
後年、父は市会議員を務め、会合があるたびに、美声を披露したそうです。
父が教えてくれた歌、朧月夜が、このさきの道連れになるよう、頑張ってレッスンに通いますね。
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この生徒さんは、半年前にご主人に先立たれ、失意の中にありましたが、これではイカンと周りの勧めもあって、
嘗て私のことを取り上げてくださった読売新聞の「しあわせ小箱」の記事を切り抜いていたことを思い出し、
音痴をなおそうとお越しになったのでした。
近いうちに朧月夜、歌えるようになりますよ。
写真の水筒とスニーカーにご注目!
譜面台の高さ調整のねじにちょこんとひっかけて、一曲練習するたびに補水されます。
そして、スニーカー、彼女曰く、今日帰ってから、洗うんだそうです。
なぜって尋ねれば、
「スニーカーは真っ白でなくてはスニーカーではありませんから」
ですって。
音痴をなおそうって人は、基本、、アクティブですね。
読売新聞 読売プレミアム
しあわせ小箱「声が君を変える」