4-12

　自転車を駐輪場にとめて、鍵を二重にかけてケータイを取り出そうとして、落としそうになった。自転車をこいできたから体はあたたかいけど、指がかたまっている感じだ。
手をポケットに突っ込んで指先をあたためてから、ケータイを開けた。アネキからメールがきていたけど、それを読む前にお母さんに夕食までには帰るとメールして、スズキさんに返信した。

Dear 鈴木さん

と打ってみて、せっかく「あずさ」とメールに書いてくれたんだから、と思いなおした。

Dearあずさ
おいしいドライブを企画中です。どんなクルマが好きですか？
コージ

　これじゃ、恋愛初心者まるだしだと思った。でも、声に出して言うのは恥ずかしいけど、メールなら「あずさ」と呼べるんだとわかった。送信中の画面の中を飛んでいく鳥たちをじっと見守った。

4-11

　ロードレーサーはさびてはいないけど、ほこりがたかって白っぽくなっていた。僕はぞうきんでハンドルとサドルとフレームを拭いた。新品ではないけど、毎週みがいていたころの渋い黒になった。忘れていた友達に会ったみたいだ。「よっ、久しぶり」って感じで、黒いフレームを手のひらでなでてみた。

　毎朝ヒゲをそるようになったころ、少年と大人の間にいた僕は、ロードレーサーをみがくことで少年でいつづけようとしていたんだと思った。

　自転車に乗って家を出てしばらくしてから、お母さんに何も言わずにきてしまったことに気付いた。「すみません。あとでメールします」と、声に出して言った。

　ピザ店で働いていたのはついこの間のことなのに、駅前に来るのは久しぶりだった。三輪バイクのときとちがって手袋がないから、手が冷たくなった。

4-10

　アネキからのメールはこんなふうに返ってきた。

デート(＊´-｀)人(´-｀＊)仕様？仲間ヽ(´―`)ノ仕様？
どっちにしてもコーちゃんには珍しいね！

　僕はアネキのメールは読みなおさずに１行だけのメールを打った。

高校の後輩の女の子と行く

　送信する指に力が入った。僕はいつまでもガキじゃない。ヨシユキさんと同じ男だ。

　アネキからの返事はなかなかこないし晩ご飯やお風呂には早いから、駅前の本屋まで行くことにした。僕はダウンジャケットを着て物置に行った。

　すごく久しぶりに自転車に乗りたかった。大学に入った年に買ってもらって、会社に行くのにも乗っていた五段ギアつきのロードレーサーだ。駅まではちょっとアップダウンがあるけど、五段を使うほどではない。大学まで自転車だと１時間はかかるし、雨に濡れるのはいやだから、駅からはいつも電車だった。駅まで走るだけなのに、僕はこの自転車でなければいけないと思った。光沢のない黒のボディと五段ギアは、１８歳の僕のほんの小さなこだわりだった。

4-9

　僕は何度かスズキさんのメールを読みなおしながら、お母さんを待った。お風呂掃除をしていたらしいお母さんは手を拭きながら出てきて、「アキエさんは元気そうだった？」と聞いた。
　スズキさんとかアキトシさんとか会いたいとは思っていたけど予定外の人に会ったから、今日の目的がお見舞いだったことを忘れていたと気付いた。

　僕はお母さんに「お茶入れる？」と聞かれる前にうがいをして、まっすぐ部屋に向かった。缶コーヒーとオレンジジュースとブレンドコーヒーで水分はたっぷりとったし、調べたいことが山ほどある。

　電話やメールで情報を提供してくれそうなのはアネキしかいないから、僕はまずアネキにメールを打った。

２週間後に海へドライブの予定。１時間で行かれる魚のおいしい店と観光スポット紹介して。

4-8

　サトウさんと別れて僕の家の小さい庭を見たら、名前のわからない木の枝の先がちょっとふくらんでいて、春の気配ってこういうのを言うんだと思った。

　ジャケットのポケットでケータイがブルブルッと３回ふるえた。病院に行くから朝からマナーモードにしたままだった。たぶんメールだと思った。お母さんからの電話ならルス電に切り替わるまでなり続けるから。
　スズキさんからのメールならいいと思うけど、ちがうかもしれないと思うとなかなか見る気になれない。玄関に着いてチャイムをならしながらポケットからケータイを取り出した。

２月１２日（木）休みでーす＼(≧▽≦)丿
あずさ

　ケータイの画面いっぱいに顔文字が笑っていた。スズキさんはあずさちゃんなんだとあらためて思った。サトウさんがアキエさんを呼ぶみたいに、僕が名前で呼べるようになるかはわからない。