小説 ONE-COIN

たった一度、過去へ電話をかけることが出来たなら、あなたは、誰にかけますか?

第八章 後悔 2

2004年12月31日 | ONE-COIN 第六七八章
 朝、制服を着て母に声をかけ家をでても、学校へ向かうことはなかった。

 あの嵐の中、家に帰り濡れた手帳を見るとそこには、コインを使っただろう人物の名前と住所が書かれていた。俺は、男が言ったとおり、自分の起こした行動の結末を受け止めようと覚悟を固めた。それとは裏腹に、学校へ行きたくない理由もあった。あの火事の時、毛布で包まれた真紀は、どうなってしまったのだろうかと、考えれば考えるほど恐ろしくなり、それから逃れるように、見ず知らずの名前と住所を頼りに向かうことにした。

 コインの軌跡を辿り始めて二日目だった。

 傘を指し駅へと向かい、一度も降りたことのない駅で下車した。何度か通行人に目的の家の方向を尋ねる。大学生風の女性が丁寧に教えてくれる。

「この番地だと、この公園をまっすぐ通っていった方が近いよ、その方がわかりやすいし」

 俺は、言われるままに、公園の中を通る。中央にある噴水へ続くメインストリート、そこからいくつもの遊歩道が、枝分かれしている。人々は、思い思いに遊歩道を歩き、茂った木々の下にはホームレスの家が立ち並んでいた。けれど、そのホームレスの姿は、この長雨のせいか、ちらほらしかいないようだ。雨に濡れたベンチには、ひとりを除いて誰も座っていなかった。たった一つだけ小さな傘を差した小学生が座っている。青い傘に、小さなコートを着て、地面の雨模様見つめ、何をするわけでもなく座っている。時折吐き出す、小さな白い息が、かわいらしかった。俺の足音で、少年は顔を上げた。俺は微笑みかけた。

「何をしているの?」
「待っているんだ」
「そうか、デート?」

 どことなく、この少年には品があり、頭が良さそうだった。それでも、子供の愛くるしさは残っていて、思わず頭を手で撫でたくなる。

「まさかあ」

 少年は、手持ち無沙汰だったらしく、うれしそうに答え、傘のグリップを使って、くるっとまわした。
 傘に乗った雨粒が、連続的に飛ばされる。

「たけだ、かずやくん?」

 傘の柄に平仮名で、名前が書かれていた。突然自分の名前を言われ顔つきが強張り警戒している。俺は、傘の柄を指差した。少年の笑顔は一瞬にして蘇る。

「なんだあ~また、不思議な人が来たのかと思ったよぉ」

 不思議な人。あの男のことだ。けれど、この少年にコインの使い道なんてあったのだろうか。でも、この少年が使ったことには間違いない。

「不思議なおじいさん?」

 俺は、人の部分をおじいさんと変えた。少年はしばらく考えている。そして、俺の目をじっと見上げた。

「お兄ちゃんも知っているの?」

 大きく頷き、俺もコインを使ったのだと告げる。

「君は、あのコインをなんだと思う?」

 少年の表情は変わらなかった。動揺は見て取れない。

「夢をみるためのプレゼント」

 そう言い切ると、少年は歩道の方へ顔を向け、ぴょんとベンチから飛び降りた。そして、前から歩いてくる男性へ向かって手を振っている。

「おじさーん」

 ホームレスの男性は、はにかみながらゆっくりと向かってくる。少年は駆け出した。俺は、少年に置き去りにされていた。
 突然、思い出したように少年は振り返る。

「時間が切れてよかったね、じゃあね、おにいちゃん」

 少年は、なんの後悔を変えたのだろうか。けれど、それが、元の世界に戻ったとき、少年は笑顔を持っている。元に戻ったことを喜んでいる。少年にとって、あのコインは甘い幻想でしかなかったのだろうか。


 空は相変わらず、どんよりとし、長雨のせいで街路樹の木々たちは元気をなくしていた。外よりも中のほうがずっと明るくほっとさせる。ショウウインドウに傘を挿した自分のうな垂れた姿が映る。立ち止まり眺めた。
 今し方、訪れたマンションでの出来事が、頭を混乱させ、追い詰めていた。本当にコインを消すことが正しかったのか、答えのない、言い知れぬ不安が、この雲のように俺を覆いつくしている。

 マンションは、予想以上に大きくて背が高いものだった。俺はまず、ポストで名前を確認した。けれど、市川五郎という名前はどこにもなかった。引っ越して、幸せに暮らしているかもしれないと、安堵し立ち去ろうとしたとき、その横のポストに手が伸びた。俺は驚き横に飛びのく。
 スーパーのビニール袋を持った中年主婦だった。

「あら、ごめんなさいね」

 この主婦は、おそらく市川さんの隣人だ。俺はとっさに、確かな証拠を求め、行方を聞く。笑っていた主婦の顔は、突然哀れむ表情へと変わる。胸騒ぎがした。

「もう、いないわよ」

 意味深な発言だ。普通なら引っ越したというはずだ、このいないと言葉はどういう意味だろう。

「あなた、どちらの入り口から来たの?」

 このマンションは、入り口のフロアには二つの方向から入ってこられるようだ。俺は、向かって右の入口を指さした。主婦は、続ける。

「左の入り口の駐輪場の横に、倒れていたのよ」

 心臓が、スピードをあげドクドクと奏でる。主婦は、小声でいった。

「屋上から飛び降りたのよ」

 主婦の指が、上を指して、下へ向けた。俺は、血の気が引き、倒れそうだった。

「あら、あなた大丈夫、顔が真っ青よ」
「どうして?」

 自責の念が、雁字搦めに締め付ける。

「精神的に参っていたみたいよ、随分前に奥さんを亡くしているのに、突然、妻を見なかったかって、子供も生まれるのにどこへ行ったんだって、ご近所中探し回ったのよ、それで、心配していた矢先にね」

 主婦の名を呼ぶ、別の主婦が現れた。

「あら、しゃべりすぎちゃったわ」

 すぐに、仲間の主婦のもとへ向かいまた、話し始めている。俺は、左の入り口へふらふらと向かった。
 駐輪場の横にビンが置かれ、新しい花が添えられていた。


「おまえが殺した」

 ショウウインドウの中にいる僕の姿が、見る見るうちにあの男の姿へと変わっていく。白い歯をみせ、笑っていた。
 男を睨みポケットの中にある手帳を握りつぶした。


 歯を食いしばり、坂井千夏のアパートへ向かう。自体は変わらなかった。アパートにはまたしても、名前がなく、念のため部屋まで行き、チャイムを鳴らす。
 いくら鳴らしても、出てくる気配はなく虚しく響くチャイム。

「坂井さん、坂井さん、出てきてください、坂井さん」

 ドアを叩き、何度も叫んだ。開いたのは隣のドアだった。激しい剣幕でひょろっとした男が出てくるなり怒鳴った。

「いねぇーよ、引っ越したよ」

 バタンとドアを閉め部屋へ戻っていく。
 ドアに、もたれかかり、全身に力を入れた。少しでも緩めれば足は崩れ落ちてしまいそうで、息を吐き出せば、嗚咽が漏れそうで、手の力を抜けば震えそうだった。
 溜まらず息を吐いた瞬間、スイッチは入って、何もかもが崩れ、止めるすべを探していた。また、隣人に怒られてしまわないように、震える手で口を覆った。



 身体がバラバラになりそうだった。心の壊れ始めていたのかもしれない。それでも、北島陽子と会う約束をした。
 北島は、町のカフェを指定してきた。俺はそれに従った。
 彼女は、俺の顔を見るなり身体の心配を連呼していた。
 確かに、顔色は悪い、頬もコケ、目の下にクマも出来ている。彼女は、ここ最近の歴史的な長雨のせいで、世間でも騒がれているうつ病ではないかとさえ、疑っていた。
 俺は、話を本題へ戻す。

「ここでコインをもらったんですね」

 彼女はうなづく。

「たしかに、あのコインを使って、私の後悔はみごとに解消されたの、でもいまは、誰もそのことを覚えていない、私は夢を見ていたのかと考え始めていたところに、あなたがやってきたの」

 彼女は、俺を成人した男だと思っているようだった。きっとこのひどい姿がそう思わせていたのだろう。俺はそのまま続けた。

「あのコインは、なんだと思いますか」

 彼女は、窓越しに映る人々をみながら、しばらく考える。

「あれは、描こうと思っていたけれど、描かなかった映画の結末みたいなものかもしれない」

 自分で納得したように、うなずき視線を俺に向ける。

「これが、本編よ」

 男性客が一人、入ってくるなりレジにいる店員に話しかけている。そして、うなずき出て行くと店員は、窓際のテーブルの二つの椅子のうち一つを壁沿いにどけた。
 すると、先ほど出て行った男性が車椅子の女性と入ってきた。女性は、椅子のない席に車椅子をよせ、男性は向かいに座り、楽しそうにメニューを見ている。
 俺は、視線を彼女に戻した。もう、話すことはないように思われ伝票に手を伸ばした。

「あっ、あたし、もうしばらくここにいるから、これはおごるわ」

 彼女の言葉に甘えた。俺は、お礼をいい席から立ち上がった。彼女は、最後に一言聞いた。

「あのコインはどうなったの」
「消えました」

 彼女は、ほっとしたようにため息をもらす。立ち上がり出口へと向かうとき、先ほどの男性客が、不意に立ち上がり、通路に飛び出し、俺の肩にぶつかった。男性客は、謝る事も忘れた様子で、慌てて、俺が来た方へと向かった。

 雑踏の中、色とりどりの傘がぶつかることなく行き交う。傘の柄を肩に乗せ、手帳を取り出し立ち止まった。
 榊直樹、彼のアパートは取り壊されていた。したがって足取りがわからず諦める。
 須藤光代、真紀の母親だ。濁った空気を、大いに吸い込み吐き出し、俺は須藤の家へ向かった。



 須藤に家に行ってから、数日経っても、ポツポツと、雨音は続いていた。
 相変わらず、グレーの雲は、次々に現れてはどこかへ消え、また空を覆いつくす、薄暗く、厚い濁流のような雲がひしめきあっていた。ニュースでは連日の雨に関しての情報がもたらされていた。経済にも大打撃を与えている。雨は、一ヶ月続いていた。唯一、雨を防ぐものを作っているところは、日々大忙しで活気があるらしい。
 俺はといえば、最近、ずっとこんな世界の中で生きていくのだろうと、なんとなく諦めているせいか、こんな湿きった嫌な臭いを発する世の中でも、不思議なことに多少なれ、いらいらすることもなく過ごしている。

 しばらく行っていなかった学校の前を通る。校門に卒業式の看板が立てかけてある。そうだ、今日は卒業式だったのだ。
 
 足を止めずフェンス沿いに歩く。体育館が見えたとき、歌が、じめつく空気を伝わり聞こえてくる。
 体育館を一度みて、視線を前へ戻す。そこにスーツを着たサラリーマンらしき、二十代だろう男性が体育館の方を眺めていた、けれど、その目は、違うものをみているようだった。そして、僅かに口元が動いている。男性は小さな声で歌っていた。体育館から響く音が鳴り止むと真っ直ぐ見つめ、俯き、前を向く。突然現れた俺に、少し驚いている様子だった。男性はすこし照れくさそうにいう。

「いい曲だよね」

 俺は、うなずく。
「わが師の恩かあ、思えば思うほど、温かくなる、なんでだろうな」

 俺は、答えることが出来ず、男性は俺とは反対の方向へ歩きだした。
 俺は、振り向き男性をみた。男性は、誰かに歌っていたのかもしれない。男性の視線の先には、大切な誰かがいたのだ。ゆっくりとした足取りだけれど、迷いのない、しっかりとしたものだった。この歌は、男性の何かを変えたのかもしれない。
 俺は、男性を見届け、また歩きだした。


 傘を閉じ、パタパタと雨粒を払い落とし、廊下へと進む。エレベーターに乗り、三階のボタンを押す。今日は、まだ人は少なく静まり返っている。ポンっと響くと同時に跳ね上がりドアが開く。見慣れた人たちが、俺に気づき、二、三言葉を交わす。

「もういつまで降るのかしらね」

 手に顎を乗せながら、嫌そうな顔で愚痴っている。
 僕は、適当にうなずき、通り過ごす、三つ目のドアを開ける。

「おはよう、今日もまた雨だ」

 ベットの上で随分と長い間眠り続けている彼女に話しかける。
 返事は、まだ一度も返ってきていない。

 俺は、今までの出来事を話しながら、窓の外を見る。
 
 空を覆いつくしていた雲は、ひびが入り始めていた。雲の輪郭が光はじめる。しだいに、その光は、強さを増し、雲はぽっかりと穴を開ける。空の戦いは最終局面を迎えているのかもしれない。光は次々に、鋭い矢で雲を射し続ける。
 町が色を変え始めた。光に照らされ、雨に濡れたすべてものがピカピカと輝き始める。やがて、この病院にもその光は届き、窓の外から、この病室を明るく照らした。
 俺は、久しぶりのこの日差しのまぶしさに、目を開いていられず、手をかざす。
 やがて雲は大移動をはじめ、空はブルーへと変わる。
 あんなにも分厚かった雲はあっというまに消えてしまった。どんなに荒れ狂う風や豪雨を降らせていても、その上には、必ず、あの青い空があるのだ。
 俺は、そんなことを、すっかり忘れていたのかもしれない。

 須藤光代とコインの話をしたとき、光代は俺の顔色よりもずっと衰弱しきっていた。俺がコインを消したことをいうと、数少ない力を振り絞って殴りかかってきた。けれど、すぐに力尽き俺の前で泣き崩れ何度も、嘆いた。

「あんたのせいよ・・・」

 俺は、謝らなかった。何度も詰られ、罵声を上げられても絶対に謝らなかった。歯を食いしばり、コブシをつくり、足を踏ん張った。絶対、崩れるわけにはいかなかった。

「運命は、変えられません、歴史と同じように。ただ、変化させることはできると僕は信じています」

 父さんの言葉だった。決められた運命の中で苦しみがあるなら、少しで変化をさせ明るいほうへ向かおう、いつも父さんが言っていたのだ。これは、きっと爺ちゃんの言葉でもあるのかもしれない。
 頬を一筋の涙が伝った。光代は、もっと激しく泣き崩れ、俺は彼女そばで、ただ見守っていた。


「田村、なにやってるの、てか、なんでいるの」

 俺は、跳ね上がり、心拍数も跳ね上がり後ろを振り向く。

「え・・・」

 真紀の顔に表情が戻っている。意識を取り戻していた。

「うわっなんで泣いてるのさ」

 俺は、頬を触る。たしかに泣いていた。思い出しているうちに涙も出ていたのだ。おれは、胸を張り言った。

「須藤真紀、空をみろよ、晴れねー空なんてないんだよ」
「きもっ」

 そして、右手の人さし指を立て、まっすぐと光で溢れる空を指差した。

「うっ」

 鈍い音が響く。頭の中へも響く。
 指は、窓に当たり折れ曲がっている。俺はつき指をしてしまった。
 真紀は、ガハガハと、看護婦が駆けつけるくらい腹を抱え笑い転げていた。

 これらすべては、定められた運命なのだろうか。それが悲しい現実であろうとも、俺たちは、いつか光があると信じて生きていかなければならないのだ。
 男は、そのことをあきらめてしまったのだ。あるかもしれない光を信じることが出来なかった。
 俺は、絶対にあきらめない。
 正しいか間違っているかなんて、わからない。答えが出るともわからない。これから先、いくつもの後悔に苦しめられるかもしれない、悶え、足掻き、泣き叫ぶかも知れない。
 けれど、それでもいい。この道を、何度疑っても、最後は信じよう。何が訪れようとも。



ー完ー

お読み頂き有難う御座いました。三日月

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