以前ほどていねいに音楽を聞かなくなりました。
BGMとして流していることが増えました。
こういう聞き方は、文化の衰退に加担してるんかなぁ…
と、気にはなりつつ。
んで、ね。
BGMにバロックのピアノ曲を流していたのです。
そしたら「あ、グールドの音」って気づいて、
演奏者を確かめたら、なんとビンゴ!
グールドのゴールドベルクでした。
そりゃ、不器用そうで猫背なグールドのゴールドベルクは、
そういう彼だけに特別に与えられてる感のある音が妙に好きで、
CDの時代から、若い時代の録音も、晩年の録音も、
しつこく聞いてるけどさ。
でも、BGMとして聞き流しながら
特定のピアニストの音を「この人の音だ!」と気づくほど
いい耳を持っているわけではない。
どーゆーこと?
なんでわかったの?
不思議に思って画面を確認すると、謎が解けました。
クラシック好きの間では有名なんですけど、
グールドって、スタジオ録音しながら、
ピアノ弾きながら、口でも歌ってるんですね。
だから、わかったんです。
旋律に伴走するように、
「う~~」「む~~」っていう唸り声とか
「しゅーっ」ていう息の音とか、
結構大きい音で一緒に録音されてるから。
うんうん、そりゃわかるさ(^^)。
こういう、人間のノイズ的な音が入っているおかげで、
今、聞き流している古い録音だって、
この音を残すために、芸術家は人生を賭けたんだ、
ってことを思い出させてくれます。
たまには、大事に聞いてみようかな。
自分がピアノを習い始めて、よけいに思います。
デジタルリマスターとかで、
このノイズを取ることもできるんだろうな。
でも、味わいって、大事よね。
「ふ~」「む~」っていう声がなかったら、
聞き流していると思う^^;。
ついでにアルゲリッチの伝記も一気読み~。
きっと、
人と穏やかに妥協して生きることが目的じゃなくて、
自分の表現を究めずにはいられない芸術家たちの、
目指すところが違うゆえの、特別な戦いが込められて、
その作品に、テクニック以上の
なんとも言えない生命力が籠もるんだろうなぁ。
BGMとして流していることが増えました。
こういう聞き方は、文化の衰退に加担してるんかなぁ…
と、気にはなりつつ。
んで、ね。
BGMにバロックのピアノ曲を流していたのです。
そしたら「あ、グールドの音」って気づいて、
演奏者を確かめたら、なんとビンゴ!
グールドのゴールドベルクでした。
そりゃ、不器用そうで猫背なグールドのゴールドベルクは、
そういう彼だけに特別に与えられてる感のある音が妙に好きで、
CDの時代から、若い時代の録音も、晩年の録音も、
しつこく聞いてるけどさ。
でも、BGMとして聞き流しながら
特定のピアニストの音を「この人の音だ!」と気づくほど
いい耳を持っているわけではない。
どーゆーこと?
なんでわかったの?
不思議に思って画面を確認すると、謎が解けました。
クラシック好きの間では有名なんですけど、
グールドって、スタジオ録音しながら、
ピアノ弾きながら、口でも歌ってるんですね。
だから、わかったんです。
旋律に伴走するように、
「う~~」「む~~」っていう唸り声とか
「しゅーっ」ていう息の音とか、
結構大きい音で一緒に録音されてるから。
うんうん、そりゃわかるさ(^^)。
こういう、人間のノイズ的な音が入っているおかげで、
今、聞き流している古い録音だって、
この音を残すために、芸術家は人生を賭けたんだ、
ってことを思い出させてくれます。
たまには、大事に聞いてみようかな。
自分がピアノを習い始めて、よけいに思います。
デジタルリマスターとかで、
このノイズを取ることもできるんだろうな。
でも、味わいって、大事よね。
「ふ~」「む~」っていう声がなかったら、
聞き流していると思う^^;。
ついでにアルゲリッチの伝記も一気読み~。
きっと、
人と穏やかに妥協して生きることが目的じゃなくて、
自分の表現を究めずにはいられない芸術家たちの、
目指すところが違うゆえの、特別な戦いが込められて、
その作品に、テクニック以上の
なんとも言えない生命力が籠もるんだろうなぁ。
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