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『自由の哲学』を読む ~日々の暮らしから~

日々の「?」から始めて一歩ずつ
自分で見て考えて、行動していきたい。
私の自由が人の自由にもつながりますように。

透き通る紙でステンドグラス(パート2)

2012年03月21日 | 手足を使う日々
20日(春分の日)、突発的に手仕事の会を開催。

昼をはさんで、実質2時間ほどだったけれど、
それでも、みなさん
自由にアレンジした作品を作ることができました。

作成風景も出来あがった作品も撮影し忘れてたんだけど、
静かに流れる時間の中、いろいろお話しながら、
個性的でステキな作品ができました。

図案通りの正解に向かって、
みんな一緒のものを作るのではなくて、
(そして、誰が上手とか早いとか優劣つけちゃうんじゃなくて)
「トライ&エラーだよね~」とか言って、
一人ひとりがアレコレ考えながら、
オリジナリティあふれる作品を作り出して行ったことが、
何よりステキだった。

子ども(5歳)も大人も一緒に座って、
折り紙を折ったり切ったり重ねたり透かしたりしながら、
それぞれに集中しているという、とても気持ちのいい時間でした。



「シュタイナーの手仕事は、精神的なものとつながっている」
と言われているって聞いたことがあるんだけど、
「何のこっちゃ、まぁ、やってたら気持ちいいけどね」
くらいの認識しかなかったのね。

でもやってるうちに、ふとひらめいたんだけど、
色の濃さと切り方についての相関関係を、
世界に重ねて見るとおもしろい。

たとえば、3種類の濃淡を重ねて作品を作る場合。
一番薄い色はほとんど切らないけど、
色が濃くなるに従って、切る面積を増やすとキレイ。



これを例えば、この世の残り時間を表しているとみなすと、
一番薄い色が生まれたばかりの赤ちゃん。
まったく切らなくてもいいくらいで、
まだあんまり色に染まってなくて、形もはっきりしてない。
存在そのものが、周りを輝かせる。

一番濃い色が、たとえば、年取った人だとしたら、
たくさん自分を切ってしまって、残り時間はわずか。
この世では、すでにはっきりした色を発して、
己を主張することよりも、若い世代を守る枠組みのような役割を果たす。

そして、真ん中の色が、私たちの世代。
これまで社会を作ってきてくれた先輩(濃い色の枠組み)が、
これまでで最も良いと思われるフィールドを作ってきてくれた、
その社会の中で、私たちは、それぞれに自由な模様を描いて生きている。

濃い色と同じ模様をなぞるだけじゃ、見えないので意味がない。
では、私たちが自分で考えて歩くとすれば、どんな模様を描けるのか。
それによって、一番薄い色も、一番濃い色も生き生きとしてくる。

…とかね。



「これって、そのまま作品作りの法則になるじゃん!!」
と気付いたのでした。

つまり、
子どもは存在そのものが輝いている
(老人・大人に守られて、アレコレ形を構わなくても存在そのままでいい)、
大人は自分を生かしてそれぞれが伸び伸び生きることで世界を輝かせる
(老人の作ってくれたフィールドの中で精一杯自由に活躍する)、
老人は自己主張することより、より良い活動の場を若い者に譲ることで輝く
(枠組みを際立たせ、安全に活躍できる場を提供し、見守る)、
という風に作品を作れば、それだけで美しいものができると。

それは、もしかして、世の法則でもあったりして!!
ゾクゾク…(←コーフン中)
と、妄想が暴走を初めてしまったので、
ひとまず置いとくとして。

もっともっと、深い法則が含まれているんだろうな~
どんな法則に気づけるかな~
などと思いつつ、作品を貼った窓を眺めるのでありました。

光がとってもキレイ。




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