『自由の哲学』を読む ~日々の暮らしから~

日々の「?」から始めて一歩ずつ
自分で見て考えて、行動していきたい。
私の自由が人の自由にもつながりますように。

4人でも文殊には足りないが、1人とは比べるべくもない!

2020年07月21日 | 神智学(テオゾフィ)


神戸シュタイナーハウスの大人クラスで、
神智学の「認識の小道」を読んでいます。

相変わらず自分たちで自分たちの首を絞めながら、
ちょっとだけ負荷をかけて読んでいきます。
今日の宿題は、
1 段落ごとにタイトルをつけて、
2 その数ページに書いてある事を自分の言葉でまとめる。
の2つでした。

当日まで、LINEで励ましあったのもあり、
珍しく、全員が宿題をしてきました。
成長したね、私たち(^^)。

宿題をすることで、「内容に意識的になるね」
「大事そうなところが目に入ってくる」
ということも味わえました。

シュタイナー自身のテキストに戻って
「思考・感情・意志」のトレーニングをし、
自分自身を育てていこう、という試みです。

さて、どんなタイトルにしたのか、
段落ごとに発表し、何が書いてあったのか発表し、
気になるところ、一緒に考えたいところを言い合いました。

「霊学って何?」「思考って何?」など、
誰かがひっかかってくれる言葉のひとつひとつを
立ち止まって確認していきました。

この日の参加者は4人。
専門家でもなんでもない私たちは
寄ってたかって考えても文殊には足りないだろうけど、
みんなで考える事でケタ違いに深まります。

そうやって考えたことのひとつを
例としてご紹介します。

この文章の最初の方では、
「思考が何よりも大事だ」
という意味のことが書いてあります。
そこでKさんが「思考って何?」と言い出したのです。

そこにひっかかるとは思わなかったので、新鮮です。

「思考って、…考えるってことよね?」
「他者から学ぶこと?」
「思考から出発しろって書いてある」
「論理的ってこと?」

…よくわかりません。

そこでSさんが
「そういえば、6つの行をした時、最初にお箸とかマグネットとかを見て、
普通の使い方以外の使い方を考えてみたのは
“思考を育てる”の回でしたよね?」と思い出す。

「そっか! あれがなんで思考なんだろうって思ってたのよ」
「ですよね」「私も」と、みんな同意。

あれ、どうやったんでしたっけ?
お箸をよく見て描写した。
そして、何に使えるか、お箸に寄り添ってみた。

同じようにやるとしたら、
まず、相手をよく見る。
そして、相手に寄り添う、という作業。

つまり、自分を黙らせることで、
相手が何かを教えてくれるのを待つ。
そういう自分の作業を
「思考」と呼んでいるのではないか。

そう導き出したのです。

普通、「自分を黙らせる」と言うと、
思考停止なんじゃないか、と思うんだけど、
そういう事ではありません。

たとえば、テストで30点だった子どもに
「もっと勉強しなさい!」と
自分の思いを押し付けて」叱るのではなく、
いろいろ不安な自分の思いをいったん黙らせておいて、
子どもの状態を良く見る。

がっかりしているのか平気なのか、
どこかの単元が偏って出来ないのか、全体の理解が薄いのか。
生活態度は?体調は?ほかの教科は?先生との相性は?…など。
いくらでも見ることはある。そして寄り添ってみる。

そうして初めて、相手の思いや問題が見えてくる。
相手を見ることで、相手が答えを教えてくれる。

「こういう作業を“思考する”と呼ぶのね」
みんなで自分の事として感じてみたのでした。
そういうのを頭において、また読んでみると、さらに深まります。

こんな感じでゆっくり読んでいるので、
5回シリーズくらいになるかもしれません。
急ぐより、気になる事を一つずつ考えていきたいので、
これからも、ゆっくり文章を深めて行くつもりです。

次回は7月22日、オンラインです。
ご興味のある方は連絡ください。


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