お医者さんのに「3日間食べちゃダメ」って言われたら、
絶対に食べない人いますよね。
私なら多分、自分の体調を見て、
恐る恐る、ちょっとずつ食べるな~。
それで時々失敗して、
「ほら言うこと聞かないから」
ってなる時もあるんだけど、
その、自分の身体で試してきたからこそ
生命感覚が磨かれてきたんだよね。
「これは大丈夫なヤツ」
「これはちょっと危なそう」って。
別に、誰かに判定してもらわなくても
なんとなーくわかる。
だから、病院もほとんど行かない。
10年以上前に、会社の検診で再検査させられて、
「乳がんだから手術しよう」って、
大きな病院の外科部長に言われた時も、
「おかしーなー、そんなわけないけどなー」って思って
セカンドオピニオン聞きに行ったら大丈夫だった(^^)。
ふつーは「見る、聞く、嗅ぐ、味わう、触る」の五感しかないけど、
シュタイナー大先生は、「人間の感覚は12個ある」
って言ってるんだよね。
ちょっと勉強して、意識すると、
「あ~、それもあるな~」って心当たる。
たぶん、誰でも。
それも、鍛えることができるんだろうね、きっと。
自分で鍛えて判断できるようになることと、
自由になっていけることとは、深いつながりがある。
たとえば、身近すぎる例で言えば賞味期限。
私は匂ってみてOKなら使っちゃう。
豆腐なんかも、ちょっと古いかもな~と思ったら、
ちょっとカジってみたりして、自分で確かめる。
それで、たいてい大丈夫だから、
賞味期限とか、ちゃんと見てないんだけどね。
卵だって、牛乳だって、わりと行けるもんよ。
納豆なんか、何か月も過ぎてたって問題ナシ(^^)。
自分の感覚を頼るより、
客観的な数字の方が信じられるのって、
考えてみたら、おかしなことだと思うわ。
保管方法も、開封日も違うんだから。
自分の感覚や考えを認めて欲しい。
誰だってそう思うだろうけど、
それなら、自分の感覚を自分が信じてみるところから
始めたらいいかな、と思ったのでした。
些細なことだけど、
自分の感覚を信じられるようになるに連れて、
目の前のフードロス問題がどうこうとかじゃなくて、
あらゆる場面で人のせいにせず、
自分で決めるのが当たり前の風潮になっていける気がします。
これは一般的な「自己責任論」とは、
あんまり関係のない話です。
ちまたで「自己責任」って言う時、
なんか、「失敗するヤツが悪いから切り捨てろ」
っていうニュアンスを感じるんだよね。
むしろ、自分で挑戦して失敗した人には、
暖かい応援が必要な気がする。
▼本日のフォルメン 85/100
ケルトの十字架っぽい形。
って、そんなアバウトな表現…。
ごくごくシンプルに見えるのに、
一筆書きの線をたどってみると、
予想を超えた思い切った動きをすることに、
きっと驚かれることと思います。
※「何コレ?おもしろそー」という方は、
コチラをどうぞ。
私にとっては、
心を整えるヨガであり、瞑想の時間です。
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