『自由の哲学』を読む ~日々の暮らしから~

日々の「?」から始めて一歩ずつ
自分で見て考えて、行動していきたい。
私の自由が人の自由にもつながりますように。

はからずもバイオグラフィ・ワーク

2021年03月20日 | 考える日々
友人とまったりしゃべっていた。
「コレが原点かもな~」みたいなことを、
思い出しながら、アレコレと。

それと似たような出来事として、
いろんな年代の、いくつかのアレコレがあるんだけど、
それを最初にやったのが
中学時代のアレだったな、というような話。

友人は、中学時代に、
新任の格好いい先生の言葉尻をつかまえて、
生徒たちがノリでいじっているのが
すごくすごく嫌だったらしい。

ある日、その先生の授業の前2分ほどで
「みんな聞いてくれ。あれ気持ち悪いから止めよう!」
ってクラスの前で言って、
なぜか、その日からピタッと止まったらしい。

「自分がターゲットになってもおかしくなかったな~」
と、先生いじりが止まったことを不思議がっていたけれど。
その子は今でも、誰かのせいで友人がピンチになると
「どこのどいつだ?連れてこい!」って言って、
文句を言いに行く。

私はナンセンスに人を縛ることがとても嫌だった。
校則であれ、周囲の空気であれ、
何も考えずに「決まりだから」って言われる事に、
ものすごい抵抗があった。
弁論大会とかに出てみたりして。

バランスは大事だと思うけれど、
周りとフィットしてようがしなかろうが、
その人が必死に考えてそうしようと思ったことは、
尊重されていいと思ってる。今でも。

「2人とも、中学生から変わらず今に至っているね~」と言って、
ふと気づいた。
過去を一通りなめて一本の筋が見えてるって、
なんかバイオグラフィ・ワークっぽいな、って。

あのワークの目的のひとつが、
「自分の人生を貫く1本の糸を探す」
っていうことだったとしたら、
それが、この会話からスルスルと出てきたのでした。
実際のワークから出てきたものより、単純だったけど。

友人や家族とみっちり向き合って
お互いの話にゆっくり耳を傾けていた時代には、
カウンセリングやコーチングやいろんなワークがなくても、
人は家族や友人に見守られながら成長していけてたんだね。




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