子どもの頃、
本を読む人はホメられて、
「テレビばっかり見てたらバカになる」
って言われてた。
マンガを読む人は、その中間。
どちらかと言えば、
バカ寄りの扱われ方だったかな?
謎だったのよ、子ども心に。
同じ作品が、本から漫画になって、
アニメになったりするじゃない?
それが、
本かマンガかテレビか、という
媒体によって、なんで、
ホメられたり止められたりするんだろ、
どれで見ても感動の度合いは違うけど、
モトは同じものだし…? って。
朝、フォルメンの本を見ていて、
以下のような言葉がありました。
怠惰なものや不活発なものを、
再び積極的なものへ消化しなければなりません。
自ら事柄を起こす視覚は、
再び能動的にならねばなりません。
※1917年12月3日シュタイナーの講演
「イラスト芸術の本質と意味」
『フォルメンを描く』P136より引用
この引用した文、
ちょっとヒントになってるかもしれません。
映画やテレビって、
すごく受動的な視覚の使い方をしている。
昨日書いたみたいに、私は、
映像を眺めてたらすぐ寝ちゃう。
いいとか悪いとかじゃなくてね。
映像作品の視覚の使い方は、
勝手に目に入ってくる受動的な状態。
書籍は、
こっちから追っかけて行って、
字面から自分の力で世界を再構成する状態。
マンガはその中間。
こっちから追っかけて行くけど、
誰かが作り上げてくれた世界を
受動的に目に入れていく状態。
あれ、大人たちは、
作品の良しあしを言ってたんじゃないんだ?
自分の状態について言ってたんだー。
自分から見たいものを見に行って、
自分の中で再構成しようとする状態を、
「エライ」と言ってて、
与えられた娯楽を受け身で楽しんでいる状態を
「バカになる」って言ってたんだね。
そこまで意識してたかどうかはともかく、
当たってる!
私たちの世界、視覚に関しては受動的なんだけど、
今みたいにSNSでみんなが発信している状態は、
能動的になってきた、って言えるかも。
それが、
「今日おいしい料理食べたよ」パシャッ、
という一枚にしたって、
意識しないよりした方がいいに決まってる!
写真を撮る行為って、
積極的な視覚の使い方だよな~。
心に響くものを探して歩くんだもの。
欲を言えば、
ステキな写真を見せてもらって、
それを、その人がどう感じたのか、
まで知りたいな~。
ちなみに、フォルメンに関しては、
「自ら行為する視覚」と書かれてました。
確かにね~。
子どもの頃に習ってたお習字もそうだし、
絵を描くってのもそうだな。
果てしない外の世界に、
自分から対象を迎えに行く感覚。
ピントを合わせに行く感覚。
そうやって、ピントが合ったものを、
自分の中と結び付けていくと
自分がわかっておもしろい。
本日のフォルメン 39/100
無限大マークいろいろ。
やっぱりこの形、好きだわ~。
天と地を結んでいる。
あえてバランスの悪いものを動いてみたら、
ちょっと冒険したような感覚が一瞬あって、
「おい、ちゃんとしろよ」って思った。
調和を求める心って、
もともと人間にインストールされているのかもな~。
※「何コレ?おもしろそー」という方は、
コチラをどうぞ。
私にとっては、
心を整えるヨガであり、瞑想の時間です。
コチラをどうぞ。
私にとっては、
心を整えるヨガであり、瞑想の時間です。
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