『自由の哲学』を読む ~日々の暮らしから~

日々の「?」から始めて一歩ずつ
自分で見て考えて、行動していきたい。
私の自由が人の自由にもつながりますように。

「立つ」ことと、オリンピック

2021年07月24日 | 考える日々

立つ。
漢字の語源は、
確かな足場の上に二本の足で直立するイメージ。
もちろん、キュウリと違って、
よりかかるものは必要ない(^^)。



絶つ 辰(龍・竜) 建つ 
断つ 裁つ 断つ 起つ…。

「たつ」は、
どれも、すんごいキッパリしている。
「それでお前はどーすんだっ!?」
と迫られてるみたいに感じるな。

それでどーすんだ!?

これまでは、「そこを目指さねば!」と、
身の程知らずに思ったりしてきたけど、
キュウリ人間の立ち方は、
もっと違う形になるんじゃないだろうか。

時間とか、場所とか、あれこれ条件を限れば
キュウリだって立ってる時があるかもしれない。
私、どんな時に立ってるかな?

立ってる??
自信ない。
キュウリ同士が支え合う場所に行ったっていい。
…いいのかな? どう考えてもイマイチだよね(^^;)。

イマイチでも、なんせ、
何の自覚もなく、自分が望まない方向に
無自覚に踊らされてるだけ、ってのは避けたい。

そんな中途半端な立ち方しか出来なくても、
せめて、そこは大事にしたい。

自分を何かに捧げ、それで自分が立ち、
関わった人に夢と勇気を与える。
そんな奇跡のようなことをする力はない。

だからこそ、
それを実現している選手たちが、
さらに輝いて見える。

そこを目指してそこに至れなかった人たちの想いも、
確実に彼らと一緒になって、重なって輝いている。
そうは思えないかもしれないけど。

水も草木も生き物も。
輝くものが一年で一番眩しく輝く夏。

ありがとう。



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