『自由の哲学』を読む ~日々の暮らしから~

日々の「?」から始めて一歩ずつ
自分で見て考えて、行動していきたい。
私の自由が人の自由にもつながりますように。

ひと彫り、ひと彫り、何を思っての力作か

2022年02月16日 | 手足を使う日々
多趣味だった伯母。
木彫りも趣味のひとつで、
大物作品が、いくつかウチにもある。

伯母の家に行った時に
伯母が「これ、やるわ」と言って指さした棚。
いつも、とーとつに言い出すので、
「今は部屋に置くところがないから、いい」と答えた。

そしたら、
「なんやの! せっかく“やろ~”って言ってんのに、
しょーもない子やな!」と怒り出す。
これが、いつもの流れ。

「片づかないから、もうひとつ家を建てよう」
なんていう、ぶっとんだ金銭感覚の伯母から見たら、
「あげると言うもんはもらうのが礼儀でしょ」
って感じなんだろうな。

でも、田舎と違って、町なかのサラリーマン家庭で
そんなに広い家はないのっ。
いくらステキだな~と思っても、
棚なんて、置く場所がないともらえないのよ。

そーいえば、棚どころじゃない。
「もう弾かないから、このピアノ、やるわ」
とも言われて、それはあわてて辞退した。

家にすでに一台あるっつーの。
自分のがいいって言ったら、
「こっちの方がいいピアノやから、
それ捨てて、これにしなさい」って怒ってた。
なんでやねん。

相手が強気だと、
こっちも、ふつーのことを言うのに
強い言い方になっちゃう。
「自分のがあるから、いらない」。

とは言え、やっぱり
「もらえなくてゴメンね」とも思うから、
ピアノはともかく、帰ってから少し家を片づけて、
その「せっかくやろーって言ってんのに」
という棚(カラーボックスサイズ)を
置く場所を作った。

伯母は子どもがいなくて、
甥や姪をかわいがってくれたから、
せっかく作ったものを誰かに(今回は私に)
くれたいんだろうな~と思って、
受け取る算段をしたのよ。

んで、次に伯母んちに行った時に、
「置く場所作ったから、これ、もらおっか?」と言った。
そしたら「なんや、これ欲しいんか?
これは、めっちゃ作るの大変やったのに」だって。

あ~、もう、何なん? 
思わず「いらんわっ!」と言いそうになったわ。
でも老人にイジワル言ったら後味悪いから、
「前にくれるって言ってたやん?
部屋片づけて場所出来たから…」と説明した。

「え~、そんなん言うた? 
そんな覚えないけどな~。ほな、やるわ」
だって。もぉ!!
「もらってくれる?」じゃないんだよね「やる」。

というようないきさつで、
ウチに来たこの棚。



いや~、ホントに力作なのよ。
側面だってびっしりと彫り跡が埋めている。



ひと彫り、ひと彫りが力強くて。
「暑い中、寒い中、この硬そうな木に向かって、
何を思って彫ってたんかな~」って、
彫り跡を触ってたら、
なんか、伯母の手の感触が思い出されて、
急に涙が出て来た。



寂しいっていうんじゃないんだけど、
もっと顔見せて欲しかったかもな、みたいな感じ。
ホントに力強く彫ってあるのよ。

でも、裏面と下を除く4面のパーツを全部を彫って、
最後に引き出しの前板として組み合わせる時、
上下逆にしちゃうのが、とっても伯母っぽい(^^)。



ちょっと私と似てるんだ、
そういう、「うっそ~! なんでそうなるん??」みたいな、
ドジで、ツメの甘いところ。
「しょーもないとこ似てるわ~」って嘆いてたら、
伯母は喜んでたけど。

旅立って1年半。
生きてた頃より思い出す。



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