『自由の哲学』を読む ~日々の暮らしから~

日々の「?」から始めて一歩ずつ
自分で見て考えて、行動していきたい。
私の自由が人の自由にもつながりますように。

見守ってくれるから一歩先まで行ける

2021年02月26日 | 考える日々
彼女とはいつも、忙しい中で、
バタバタと打ち合わせをして、
「じゃあ、お願いします!」で10数年。
よくランチを絡めて打ち合わせに行ってたなぁ。
ああ、説明しやすい社会人時代(^^)。

3年ぶりに会うというのに、
3日前にも会ってたような感覚。
仕事を間に挟まない関係になって、
立場を越えて自由に話せるのが嬉しい限り。

基本的に、彼女も私も、
話す人というより聞く人だ。
2人ともおしゃべりじゃないんだよね。
思わずゲラゲラ笑う事も多いけど、
基本、静かに耳を傾ける感じ。

インタビューする時にはいつも心掛けていたけど、
今回彼女の聞く態勢に受け止めてもらって改めて確認できたことは、
「相手が真摯に聞いてくれたら、その場で自分の中に降りて行って、
自分で知っていたこと以上に自分を語れる」ということだ。

その場限りのライブ感!

相手が私に寄り添い、暖めてくれることで、
相手に見守られていること自体が力になって、
安心して自分の中に入って行ける。

どこかに埋もれていた卵をそっと掘り出して、
光を当て、暖めてみることで、
その中にある言葉が、外に出て来る。

あ、アレに似てるかも。
小さい子どもって、親が笑顔で見守ってると、
ちょっと危ないことに挑戦したりするけど、
親が見守ってないだけで、
不安で泣いてしまう、みたいなこと。

子どもは身体を自由に使えるようになりたいけど、
大人は言葉を自由に使えるようになりたい。
だから、子どもも大人も、
見守ってくれる人がいると、一歩先まで冒険できる。

それが、批判しようとか、アラを探してやろうとか、
値踏みしてやろうとか、オレの方が上だとか…。
そういう目だと、挑戦するどころか、
さらに深く卵を埋めてしまうだろう。

自分でさえも
卵があることを信じられなくなってしまう。
もし見つけても、せっかくの卵が割れてしまう。
人の話を批判的に聞くのって、そういう罪があると思うな~。

「共感的に聞こうよ」なんてことを言うと、
すぐ「独裁者の声を無批判に聞くのか?」
って言われそうだけど。

自分の中に新しい卵を探しに行こうなんて思ってない時は、
大きな声で正しい事を言ってたり、
繰り返し聞いた持ちネタを喋ったりしてる。
私もそんな時あるなぁ。スミマセン。

聞く方は、楽しい話なら、
「今日もゴキゲンさん」と思いながら聞いてるけど、
マウンティング目的のつまんない会話の回避策は
「わ~、さすが~」と言って去る(^^)!

若者にそう言われたら私も気を付けよう。
って、言ってもらったことないけどさ~~。

今日話していた人は、お互い「聞く人」だったので、
卵を一緒に探して暖めながら孵るのを楽しみに待てた。
おかげさまで、言葉になってなかった事も、
いくつか言葉になったよ~。
それはまた、後日。

相手も私もそんな感じだから、
今日の移動範囲は、駅から半径30m。
移動時間がもったいなくて、
駅の隣のビルでフロアを変えてランチとお茶。
それでも、足りない6時間!

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