『自由の哲学』を読む ~日々の暮らしから~

日々の「?」から始めて一歩ずつ
自分で見て考えて、行動していきたい。
私の自由が人の自由にもつながりますように。

友人と家族3世代でプチ合宿状態。無駄の効用

2020年07月16日 | 手足を使う日々


古い友人と半年ぶりくらいに会いました。
気兼ねなくみっちりしゃべろうと思って、
お店ではなく、ウチに来てもらいました。

その子の住んでいるところは2つ隣の県。
結構遠いので、いくら早くても10時集合。
ランチを食べて、夕方までゆっくりする予定。

なのに、中学生の子どもが
「テストだから」とお昼に帰ってきて、
そのちょっと前に両親が野菜を持ってきてくれた。

ふだん、平日のお昼はお茶漬けくらいを、
一人で10分で済ませるような感覚なんだけど、
この日は、あっと言う間に5人分の食事。

両親は遠慮して帰ろうとするんだけど、
ウチに来てくれるのに1時間以上かかる。
「まぁ、せっかくだし、気兼ねしなくていいから」と引き留め、
なりゆきで一緒にごはんを食べることに。

アラウンド80歳の両親と中学生の娘も準備を手伝ってくれて…というか、
役割がある方が楽しいから、アレコレ役目を振り分けて
みんなでプチ合宿みたいにわちゃわちゃ言いながら準備して、
最大年齢差、約70歳の初対面5人で楽しく食事をいただきました。

しかし「ゆっくりしゃべろう」と言って来てくれたのに、
私の両親と娘の食事の用意をしてくれている友人の図が
なんか、途方もなくミスマッチで、不思議な図だった。

両親も、友人も、
相手の時間を思って自分が遠慮しようとしつつ、
でも、やりすぎたら相手も遠慮するだろうから、
なんとなくバランス取りつつ、この不思議ななりゆきを楽しみ、
一緒に食べると決めたら、自分から話題を出して最大限楽しんで。

いい感じだなぁ~。

その後、両親が帰り、子どもは勉強する感じだっので、
無事に友人と夕方までみっちりお話ができました。
何ら建設的なことも生産的なことも話をしない、
だけど、途方もなく深いところにつながる、
この不毛な会話が、なんとも楽しいんだよね、女子同士って。

子どもの遊びにしろ、老人の手習いにしろ、
中年のとりとめのないおしゃべりにしろ、
無駄なことって、
楽しい人生に必須の条件じゃなかろうか。

でも、世の中を進めようとすると、
できるだけ無駄をなくした方がいい。
無駄な時間がないなんて、3日も続けば病みそうだけど。

人それぞれ、「無駄」の必要性が違うから、
バランスが難しいね。
やっぱり、自分しか答えを持ってないことって
思った以上にいっぱいあるんだよ、きっと。

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