『自由の哲学』を読む ~日々の暮らしから~

日々の「?」から始めて一歩ずつ
自分で見て考えて、行動していきたい。
私の自由が人の自由にもつながりますように。

顔の見えない1000万人が諦めない1人を叩く

2021年03月27日 | 考える日々
また1年が修了しました。
「先生」という仕事は、
今、結構叩かれやすい仕事だけど、
なかなかどうして!

自分の子ども(だけ)が大事な親や、
(ある程度は必要なんだけど)
批判的で窮屈な衆人監視体制の中で
その人にできる範囲で子どもに寄り添ってくださる、
ありがたい人たちだ。

先生だって、政治家だって、
タレントさんだって、他の有名人だって、
なんで今みたいに、小さな言葉尻を捉えて
こんなに叩かれ放題が許されているんだろう。

プライべートな会話の中で、
誰かへの配慮を欠いた事を言ったというだけでも、
今までを全否定されるほど、容赦なく叩かれる。
その人のやっている事や真意は問われない。

嘘ついて得しようなんていうのは別として、
考え未満の、
本筋と違う所での不適切な発言があった時も、
「大勢で叩いていい相手」としてロックオンされる。

「その人たちには影響力があるから」と言うなら、
ネットで叩くことだって影響力はある。
罪の意識もないままつぶやいた人の言葉で、
これまで何人の人が死んだんだろう。

思春期の頃なら、
大人を責めたくもなるだろう。
正義に向かって
一直線に進みたい年ごろだから。

大人になった私たちが、
無責任に誰かを叩くのって、さもしい。
もし「いい考えがあるなら、変わります。
どうぞ、存分にやってください」と言われたら、
できる人が、たった1人でもいるんだろうか?

その結果に影響を受ける人が1億人くらいいて、
その中で、いい考えを持っている人が1000万人くらいいて、
その中で、自分の現場でやってみた人が10万人くらいいて、
その中で、継続的に取り組み続けている人が1000人くらいいて、
その中で、まだ諦めてない人の代表が1人、って事ではないのか?

その構図の中で、
1000万人が1人を叩く意味って!!!

私は多くのジャンルでは1億人分の1に過ぎない。
そして、自分の身体を使う、
10万分の1の、あるいは1000分の1の現場では、
どんなに小さい範囲でも、自分を尽くしたいと願う。

そこをすらサボる弱さの前で、
自分と考えが違おうが、同じであろうが、
いろんな事に取り組んでくれている人がいる事自体、
ありがたいな、と思う。

誰かを叩いているヒマがあるなら、
あなたが、私が、あらゆる人が持っている唯一の現場、
この人生の現場を輝かせるほうが先決。


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