『自由の哲学』を読む ~日々の暮らしから~

日々の「?」から始めて一歩ずつ
自分で見て考えて、行動していきたい。
私の自由が人の自由にもつながりますように。

レ…レンアイですか??

2011年09月09日 | おしゃべり
フミちゃんが言うのよ。
次のテーマは「恋愛!」って。

正直「レンアイ?! 忘れた!!!」って感じなんだけど、
こないだ、フミさんとミナコさんと3人で話してて、
恋について少し思い出したり、
愛について新しく考えたことがある。

恋は出会い頭の事故みたいなもんで、
突然襲われて翻弄され、自分に選択権がない。
でも愛は、自分で肥料をやり、水をやって
長い時間をかけて育てていくもの。
愛するかどうかは、自分でしっかり手綱を握れる。

そう。
恋は、「落ちる」ものだけど、愛は「する」もの。
「愛」は「する」のか「しない」のかの二つ。
「愛する」というのは、状態じゃなくて動詞=行動だ。
ってコレ↑、どこかで見たフレーズのような気もするな。

たとえば、疲れている時に
子どもを連れ出して休ませてくれること。
気持ちが萎えている時に、話を聞いてくれること。
ただ、笑顔でここにいること。
仏頂面の相手を、そっとしておいてあげること。
朝晩ごはんを作ったり、掃除や洗濯をしたり、
みんなで快適に暮らすための、あれこれ。

などなどの、小さな行動の積み重ね。
もちろん、人によって、組み合わせによって
さまざまな形はあるだろうけれど、
自分のちっぽけな損得を超えて、
そういうことを、お互いに、するか、しないか。

恋はポエムになり得るけど、
愛はもうちょっと泥臭いなぁ。

恋は、感情が高揚してテンション上がりっぱなしで
「アナタがいれば世界はいらない!」って
別世界に飛んで行っちゃうミラクルロケットだけど、
愛は、もっと静かで広やかで安心感のある…
そうだな、海や大地のようなもの。
少々のことでは揺らがない。

恋は「私に合う人がいた!」という妄想から始まるもの。
愛は「私たち」に合うように作り上げるもの。
恋は、「ホントにこの人でいいの?」と、答えを外に求めて
根拠もなく不安になることもある。
愛は、自分たちで、今、ここからお互いで作り上げていくもの。
どんなに趣味が違う人でも価値観が違う人でも、
作る気なら、どんな人とでも作れるもの。

まぁ、だから、
浮気をしなくて
暴力を振るわなくて
生活費を入れる人(子育て中も自分で稼げる人ならこれも不要か?)なら、
どんな人でも愛せるんじゃないかな、
趣味のひとつも合えば、オンの字!
…などと乱暴なことを、半ば本気で思っているのですが、
どうでしょう(^^)?

そう考えると、昔のお見合いは、
「愛」の本質に適っているからこそ、
続いて来れた制度なんだね。
ま、他の人に恋してる最中だと迷惑な制度だし、
それに失敗して狭い村の中でレッテルを貼られて
その後、ずっと生きにくい、なんてのはゴメンだけれど。

結婚している、していない、は、
「愛」の本質とはまるで関係ない。
若い頃は、跳ねっ返り娘のセオリー通りに、
「好きな間は一緒にいて、嫌いになったら別れたらいいじゃん。
結婚という制度に認定してもらわなくても結構です」と思ってた。

今思えば、その頃は、
「恋に落ちてその勢いが続く間=好きな間」が真実で、
それ以降は、惰性とか打算だと思ってたのよ。
確かに、恋に落ちると、麻薬のようにパワーが出て、
ほんの10分会うために2時間かけて会いに行くのも平気になる。
魅力的な時間だし、その気持ちは完全に真実なんだけれど、
急に冷めるし、一度冷めたらもう戻れない、という残酷なものでもある。

結婚してもうすぐ10年。
「長い時間をかけて育てて行く関係」
というものがあることを知った。
彼と日々暮らし、彼が近くにいること自体が、
私をとても安心させている。

結婚して、私は、行動半径が狭くなった。
好きだったキャンプやカヌーからも遠ざかり、
友人に会う機会も、以前よりは減った。
そんな風に、窮屈な思いをすることもある。体はね。
それと引き換えに、心の自由を手に入れた気がする。

孤独から逃れたい焦燥感や
自分は生きている価値があるのか?という疑惑、
これからどうして生きていくんだろう?という不安も、
本当に吹っ切れて、自由になれている。

そして、心の安定を手に入れたら、
色眼鏡なしで、世界に出会うことが出来(←前よりも、ね)、
焦燥や疑惑や不安からではなく、
もっと広やかな気持ちで、それこそ「愛」から、
世界を見たり、生きる意味を考たりできる状態になっている。
(自信はないが、そう思いたい)。

ホントは、最初から
カラダもココロも窮屈じゃないのがいいんだろうけれど、
そして、それを自分だけで成し遂げられる人もいるんだろうけれど、
私には、近くで自分を見ていてくれるたった一人の存在が必要だった。

でも、私たちは、信頼関係を作るまで、
お互いに、自分の中の不安によって相手を縛っていた気がするわ。
時間が経つ中で、人も、人間関係も、育っていけるから、
少しずつ、お互いを縛る必要がなくなってきたけれど。

自分にぴったりの完成品を探しても、
そこいらに都合よくは転がってないんじゃないかな。
逆に、自分が、
誰かの都合のいい完成品だなんて思われるのは癪に障るもの。
「私、今からもどんどん成長していきますのでお構いなく」って(^^)。

う~ん、今日も長くなってしまいました。
最後まで読んでくれて、そして、
恋はともかく、愛について考える機会を与えてくれて、ありがとう。

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2 コメント

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婚活バー?? (オキツ)
2011-09-20 12:47:17
コメント、ありがとう!

婚活バーのトラックバック??
私の場合、時々書くだけなので、そういう機能については
「なんじゃ、そら?」状態ですが、
いろんな方に見ていただけるのは嬉しいことです。
気に入ったら、いろんな方に見てもらってくださいませ。

読み返してみたら、
「心の自由を手に入れた気がする」とかエラソーに書いてますが、
それって、依存してるってことじゃん??
「夫や子どもに執着しないようにしなきゃ」と
これまた新しい課題が出てきてしまったのでした。

子どもの頃には40歳くらいのオンナの人は
大人で、モノがわかっててステキ!と思ってたけど、
永遠に課題って出てくるのね。
なけりゃ、つまんないか。

私の場合、恋はかなり破壊的なエネルギーに振り回されたから、
やっぱし、今の方が自分で居心地いいわ。

ミナコさんの言うように、
「どこまで自分の愛を広げられるか」は、
すごく意識しがいのあるテーマだね。

とか言いながら、
身近な些細な差異にもアタフタする私です。
返信する
 (ミナコ)
2011-09-19 11:30:15
このサイトで「婚活バー」のトラックバックが貼られたの初めてじゃない?あはは!

失礼。

さて、恋かあ。
私はちょっと休憩中。
私はすぐに恋したい人だったけど、めずらしく休憩中(笑)
なんとなく、ぼんやりしてた恋や愛の形の輪郭が見えてきそうな時期です。

オキツさんが言うように、恋は落ちるもの、
愛はするものってのすごくわかるなあ。
落ちるから、自分の感情もコントロールできてなくて、普段の自分ならできないこと、しないことまでできちゃうし、してしまう。

そのときってとってもパワフルだよね。
だけどしんどいねん。
だから続かない。

でね、私の場合、それが愛の方向へ進まず
枝分かれした不安の方を選択してしまってた。

お互いに恋に落ちている状態のときはうまくいくの。だって、お互いを見続けてればいいねんもん。
だけどね、浮気でもなく私のことキライになったわけでもなく、日常の生活にだんだんと戻りだすと、不安が押し寄せてくる・・・というわけ。

これは私の場合もそうだけど、反対のことも言える。

で、キライになったわけじゃないんだよ~
って伝えても、不安からくる嫉妬でお互いギクシャクしちゃって。

やっぱり愛は究極、開放か不安かなんだろうなって思う。

よく、何をされても何とも思わないって言うのは相手のことを好きじゃないからだって言うけど、それって恋の段階のことよね。

愛になると・・・信頼を二人で積み上げるために四苦八苦するんだろうね。

男女の愛だけじゃなく、人としての愛、動物への愛、そしてモノに対する愛など
今は自分の周りに溢れる愛についていろいろと
考えてると恋をしたい感情はなくなっているな。

だから休憩中。
といっても、恋は落ちるものだからどうなるかわかんないけど。
そしたら次は愛をめざすわ!
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