goo blog サービス終了のお知らせ 

『自由の哲学』を読む ~日々の暮らしから~

日々の「?」から始めて一歩ずつ
自分で見て考えて、行動していきたい。
私の自由が人の自由にもつながりますように。

■自由の哲学11章_7段落

2015年08月19日 | 『自由の哲学』
ハマリングの目的概念に反対する人が、 「目的に反する自然の出来事もいっぱいあるじゃないか」と、 有象無象の例を山盛り集めて、 あらゆる場面で自然が示す「目的に叶う世界」に 当てはまらないものもあるじゃないか と、反論をするのも、同じように愚かしい。 ※ 短い段落ですが。 自然に目的なんてないよ、と言いたくて、 自然がある一定の法則を持って成り立っていること それ自体を否定する人もおろかだ、と。 . . . 本文を読む

■自由の哲学11章_6段落

2015年08月16日 | 『自由の哲学』
ハマリングの言葉が続きます。 「人の体の一節(関節ひとつ、爪ひとつ)を決めるのは、 関節や爪についての宙に浮いた考えではなく、 もっと大きな全体である体との関わりだ。 関節や爪は、まさに体にあって決められている」。 「同じように、草木、動物、人も含め、 ありとあらゆる自然物の形を決めるのは、 ものについての宙に浮いた考えではなく、 もっと大きな目的を持つ宇宙全体、自然全体との関わりで 決められ . . . 本文を読む

■自由の哲学11章_4~5段落

2015年08月13日 | 『自由の哲学』
考えは、人によってのみ、目的にふさわしく実現される。 だから、(神の)理念が人類の歴史によって実現していく、 と言うような言い方はふさわしくない。 歴史を捉えるのに 「自由に向かう人間の進化だ」とか、 「倫理的な秩序が実現していく過程だ」などという言い方も、 一元論の観点からは、認められない。 「(歴史や神の)目的」という考えを指示する人たちは、 「目的」という考えを捨てたら、 「世の秩序や . . . 本文を読む

■自由の哲学11章_3段落

2015年08月09日 | 『自由の哲学』
一元論は、人の行動だけに目的を認める。 一元論は、自然の法則は探るけど、自然の目的は探らない。 「自然の目的」という考えは、人に見えない力と同じように、 人間が勝手に思い設けたものだ。 しかし、一元論の観点では、人が生きる目的も、 本人が設定したものでなければ認められない。 なぜなら、自分が何かをかなえるために行動するなら、 その何かを設定するのは自分しかできない。 モノにたとえると分かりやす . . . 本文を読む

■自由の哲学11章_2段落_2

2015年08月07日 | 『自由の哲学』
覚えられるものだけを現実だと認める素朴実在論者の意識は、 繰り返して言うように、考えでしかとらえられないところを 覚えに仕立てようとする。 覚えられることについて、覚えられる関わりを求める。 と言っても、考えで覚えと覚えをつなぐのではなくて、 その関わりを夢の世界にかぶせ、勝手にストーリー立てる。 自分の行動の原因には目的というものがある、という考えが、 こんなふうに、人間以外のものにも目的 . . . 本文を読む

■自由の哲学11章_2段落_1

2015年08月03日 | 『自由の哲学』
原因と結果に分かれる課程のうちに、 覚えと考えが区別される。 原因の覚えは、結果の覚えに先立つ。 原因と結果は、私たちがふさわしく考えて、 原因と結果を結ぶ因果関係を結びつけることをしない限り、 並列してバラバラにあるだけだ。 結果の覚えは、原因の覚えの後に起こる。 その反対、 結果が先にあって、それが原因に働きかけるとしたら、 それは、考えがその二つを媒介しているからだ。 そもそも、結果 . . . 本文を読む

■自由の哲学11章_1段落

2015年08月01日 | 『自由の哲学』
人間の精神生活にさまざまな流れがある中、 ひとつ、この流れを追ってみよう。 言うならば、 「目的という考えが似合わない域がある」 ということについてだ。 目的に合うことは、 連続する現象(雨が降る→ぬかるむ→乾く→地面が固まる) (おなかがすく→冷蔵庫を開ける→何かつまむ→満たされる) の中の、ある特定の続き方のことだ。 目的に合うことが真実であるのは、 因果の関わりの中で、 因が果を決める( . . . 本文を読む

■自由の哲学11章_タイトル

2015年07月28日 | 『自由の哲学』
11章のタイトルは 「世の目的と生きる目的~人たるの定め」。 この章では、 世に目的はあるのか。 自然物や人に生きる目的はあるのか。 人である定めとはどういうものなのか、 を見ていきます。 生きる目的。 それは…いろいろありますが、 私なりに1本筋を通すなら、 「自分を生かし、周囲とともに幸せになること」 とは思っています。 年齢によって変わってきましたが、 ここ数年は、そんな感じです。 多く . . . 本文を読む

■自由の哲学10章_11段落

2015年07月26日 | 『自由の哲学』
一元論では、次のことを自覚している。 物理なり道徳なりの強制によって行動するのは、 本当のその人の行動ではあり得ない、ということを。 一元論は、 自然のもよおしや本能に従っての行動(ex:おなかすいた)や、 きまりに従ったり、人の言うことを聞いての行動 (ex:誰か答えを教えて)を、 その人(あるいは人類)の成長の、初期段階だと見てとる。 そして、それをやがて、自由な精神が越えていくことも見抜く . . . 本文を読む

■自由の哲学10章_10段落

2015年07月24日 | 『自由の哲学』
一元論は、知っている。 自然は、人を自由な精神に仕上げて 完成形にしてから、手放すのではなく、 一定の次元にまで導いた段階で、手放す。 そこから人は、 まだまだ、不自由な者として成長を続けながら、 だんだん「自分自身とはこれだ!」と 自分を見いだすところに至る。 ※ 自然は、 人が幼い頃には、親をあてがって世話をさせ、 大きくなってからも20歳くらいまでは、 人の成長を見守るようにしてくれる。 . . . 本文を読む

■自由の哲学10章_9段落

2015年07月20日 | 『自由の哲学』
一元論は、つまり、 「人が行動する」ということにおいて、 本当に「自由の哲学」だ。 一元論は、現実的な哲学だから、 自由な精神を縛る、 形而上実在論の「高い存在」とかいう 現実には思い設けることでしかわからない存在を認めず また、素朴実在論の人を縛る 「物理的な制約」という存在も認めない。 しかし、成長していく上での、 素朴で現実的な制約があることは認める。 一元論は、「人は今あるままの状態で . . . 本文を読む

■自由の哲学10章08段落(2)

2015年07月18日 | 『自由の哲学』
そもそも考えの世は、 学校や会社、地域や社会などというグループの中に 固定されてあるのではなく、 人ひとりひとりの中に出てきて、生き生きと生まれ育つ。 グループが向かう方向は、 まずは、人それぞれ、一人ひとりが 欲して行動する結果として出てくる。 でも、現実は、少数のエリートたちの決めた結果なんだけど。 なぜそうなるかというと、 他の人たちが、自分で考えることをせずに、 権威に従いたいと思うか . . . 本文を読む

■自由の哲学10章08段落(1)

2015年07月14日 | 『自由の哲学』
単なる想像や推論で成り立っている形而上論が、 高い世界(神とか)から生まれた結果だと見なす「人が動くきまり」。 一元論者にとって「人が動くきまり」は、人の考えから生まれる。 人が動くきまりの秩序は、自然の秩序の単なるコピーでもなく、 人をのけ者にした世界の秩序のコピーでもなくて、 あくまで、人が創っているのだ。 人は、他の誰か・何かの欲するままに動いているのではなく、 自分の欲するままに動 . . . 本文を読む

■自由の哲学10章07段落

2015年07月12日 | 『自由の哲学』
一元論のとらえるところ、 人のすることには、 「自由なする」と「不自由なする」の両方がある。 人は覚えの世では、自分を不自由な者となるし、 自分の内では、現実に自分が、自由な精神の者となることができる。 ※ ここ、短い段落だけど、すごく真理だな~。 物質界に関わってる間は、いつまでも不自由なんだ。 そうそう。他人は思い通りにならないし、 欲しいものが全部買えるわけじゃないし。 だから、精神界 . . . 本文を読む

■自由の哲学10章06段落

2015年07月10日 | 『自由の哲学』
一元論(自由の哲学はこの立場)も、 部分的には素朴実在論を認める。 つまり、覚えの世の正しさも認めるからだ。 自分の行為の動機を自分の直観で悟れない人は、 それを外から受け取るしかない。 人が自分の行為の原理を外から受け取るなんて、 ホントに不自由だ。 一元論は「考え」にも「覚え」と同じように 現実性を認める。 考えは(集団ではなくて)個人の中に現れうる。 自分の内側から沸きだした考えに沿う . . . 本文を読む