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『自由の哲学』を読む ~日々の暮らしから~

日々の「?」から始めて一歩ずつ
自分で見て考えて、行動していきたい。
私の自由が人の自由にもつながりますように。

■自由の哲学10章05段落

2015年07月06日 | 『自由の哲学』
素朴実在論者も形而上実在論者も、 「人を必然の原理の実施者か執行者としか見ない」 という、同じ根拠で、自由を否定する。 素朴実在論が自由を否定するのは、 覚えられるものや、そこから派生するものに縛られ、 物質的なものに踊らされているからだ。 その姿勢は最終的には、 あいまいで、何かわからない「良心」という 内面の声の命令に従うことで、自由を否定する。 形而上実在論者は、人間以外の絶対者の存在 . . . 本文を読む

■自由の哲学10章04段落(2)

2015年07月04日 | 『自由の哲学』
「理性を備えつつ、自ら意識的に動く一人ひとりの側から、 行動の秩序が清く正しく立てられて、はじめて、 世は世の求める“あるべき世”へのゴールに向かえる」 「この現実世界は神が受肉したものだ。 世の移り変わりは、 受肉して現実存在となった神の苦痛の歩みであり、 かつ、生身で十字架にかかった神の救いへの道だ。 そして人の行いは、この神の苦痛と救いとの道のりを、 ともに縮めることになる」 以上2文 . . . 本文を読む

■自由の哲学10章04段落(1)

2015年07月02日 | 『自由の哲学』
また、たとえば、 神のような絶対的な存在を、現象の後ろに見る人もいます。 そう人ならば、行動への原動力も人ではなくて 何かそういう精神的な絶対的なものの中に求めるでしょう。 そして、 探せば自分の理性の中に見いだせるはずの行動への原動力も、 人に対して特別な働きかけをする 精神ものそのものから生まれたものだ、とするだろう。 そういう二元論者には、人の行動原理が 絶対者(精神・神など)から命じら . . . 本文を読む

■自由の哲学10章03段落(2)

2015年06月26日 | 『自由の哲学』
自分の外に答えを求める方法はいろいろあります。 それが、素朴実在論で言う、 自分を動かす「覚え」が「覚え」だけで考えを欠き、 ただ、機械的な法則に従って動くものなら、 ~たとえば 唯物論(物質こそすべて)の言うブツみたいなものなら~、 たった一人の自分ですら、 それに関わるアレコレと同じように、 単に機械的な法則で動いているに過ぎない。 そこに「自由」の意識は幻想でしかあり得ない。 自分で自 . . . 本文を読む

■自由の哲学10章03段落(1)

2015年06月23日 | 『自由の哲学』
自分の内なる良心に従う人は、 すでに素朴実在論の次元を越えている。 肉体やその他の何ものからも離れて、 倫理だ毛で成立する次元へと踏み込んでいる。 それはもはや、 倫理が何の担い手も持たずに、 倫理が倫理だけで倫理として成立する 形而上の次元になり変わっている。 その倫理は、 私の体(損得とか欲とか)や、 心(ウキウキや申し訳なさなどの喜怒哀楽)を越えた、 「形而上実在論」における「見えないけ . . . 本文を読む

■自由の哲学10章02段落

2015年06月20日 | 『自由の哲学』
■自由の哲学10章02段落 素朴実在論者が、 自分の行動の拠り所として至るもっとも高い次元は、 行動原理の拠り所を、外の人や神から切り離して、 自分の内側に絶対の力がある、と思い設ける次元だ。 1段落目で言った「外から聞いた、感官で覚えられる神の声」を 今度は、自分の中に聞き、 それを、良心と同じように捉える。 ※ これ、めちゃくちゃわかる。 私は、今コレによく陥ります。 自分がサラッと考 . . . 本文を読む

■自由の哲学10章01段落

2015年06月17日 | 『自由の哲学』
10章です。タイトルは「自由の哲学と一元論」。 1段落目は、わりとわかりやすい。 目で見えるもの、手でつかめるものだけが現実だとする 素朴実在論者は、 自分が生きて行動する際にも 目で見えるもの、手でつかめるものなどの 「感官で捉えられること」を拠り所にしたがる。 それを感官で捉えられるように立てくれる何者かを求める。 素朴実在論者は、 自分より賢い人、力のある人、自分の上に立つ人などから、 . . . 本文を読む

自由の哲学が続く!!

2015年06月14日 | 『自由の哲学』
今年に入ってから、 「続けるかどうか考えさせてください」 と、先生に言われていた、自由の哲学の講座。 この5年間、ずっと身近に感じ、 この本と取り組むことで自分が成長するのを感じながら、 自分一人ではチンプンカンプンで意味不明な本だった。 今、全体の4分の3あたりの真っ最中。 9章になって、やっと「自由とは」という言葉が出てきて、 この章は、特に、読んでいるだけで前向きになれる。 その講座 . . . 本文を読む

個と類の話(自由の哲学14章)

2014年11月23日 | 『自由の哲学』
神戸シュタイナーハウス、大人クラスでは、 「自由の哲学」の14章~15章を読んだ。 自覚的であろうとすればするほど、 人は孤独になっていく。 自分を意識しないで流されていればいるほど、 人は孤独を感じなくて済む。 …というようなことが自由の哲学の14章に書いてあった。 私は「人よりも孤独を感じやすいタイプ」 だと、自覚はしていたが、 それは、自分が ウニャウニャと本質を気にする性分なので、 人 . . . 本文を読む

自由の哲学13章続き

2014年10月09日 | 『自由の哲学』
13章、前半後半については、 前回に書きました。 続いて、次の2文   道徳的であるために、自分の本性の欲求を捨て去る必要はない。   道徳性は正しいと認めた目標への努力の中にある。   善と呼ばれるものは、真の人間本性にとって、   為すべき事柄なのではなく、為そうと欲する事柄なのだ。 我慢したり、自分を抑えたりせず、 自分のやりたいことを、きっちりやっていくこと。 それでいい、と。それがい . . . 本文を読む

自由の哲学13章

2014年10月06日 | 『自由の哲学』
神戸シュタイナーハウスでの今月の勉強会は、 「自由の哲学」13章でした。 前半は快と不快について。 後半は人生の価値について。 前半。 こういうのは快感で、こういうのは不快、 こうやって快感は計れるよ、 などという例がこれでもかというほど出てくる。 あまりにも懇切丁寧に、畳みかけるように書いてあるので、 「人生の目的は快感だけじゃないんだけどなぁ」と 思わずにはいられなかった。 「じゃあ、人 . . . 本文を読む

自由の哲学4~5章④

2014年01月03日 | 『自由の哲学』
この本の書かれた時代背景として(今もわりとそーだけど)、 「自然科学は不動のものである」という前提がある。 水は0度で氷、100度で沸騰する、これは、変わらない。 1+1=2 これも、変わらない。 …という前提がある。 これが、変わらないとしたら、 生きていく中で、周囲のあれこれとの関わり方は 次の二通りしかない。  ①いかに  ②なぜ、 ①の「いかに」という視点で関わることで、 技術をどんど . . . 本文を読む

自由の哲学4~5章③

2013年12月30日 | 『自由の哲学』
5章に入り、ますます冴える感覚人。 「あ、いいダジャレ思いついた。“思考は至高だ”どう?」 おお。おやじギャグ系だが、真実だ。 それはさておき。 連綿と続いている精神的なものを、 自然科学がブチブチ切り捨てていることに、 強い違和感を抱いているところが随所に見られる。 「単純な人間は、ただ生きることに没頭して 経験の中で示される通りの事物を真実と考えている」 っていうのは、自分にも思い当た . . . 本文を読む

自由の哲学4~5章②

2013年12月28日 | 『自由の哲学』
4章は、いろんな哲学者が登場して、とにかくややこしい。 メンバーの一人が、ちょっと辟易して言った。 「私は自由をこう考えます、って シンプルに書いてくれたら、それだけでいいのに、 私の考えは、誰とどう違うとかいう細かい批判に、 いちいちつきあうのはしんどい」って。 ごもっとも。 私も、前に読んだ時、ややこしい書き方の論をやっと理解して、 「あ、そっか!私もそうしてる時あるよ」と納得した次の行 . . . 本文を読む

自由の哲学4~5章①

2013年12月26日 | 『自由の哲学』
すんごい感覚的な人が、今回の大人クラスの担当。 哲学者の名前がいっぱい出てくるこの章を その豊かな感覚を駆使して、どんな風に読むのか、 ワクワクでした(^^)。 期待通り、4章を通して読んでどうだったか、の第1声が 「シュタイナーがずっとケンカ売ってて笑えました」だって(^^;)。 続いて、あちこちの文章に触れながら、 「この人のこと、嫌いなのかな」とか、 「ここはイキイキ書いてて楽しそう」と . . . 本文を読む