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『自由の哲学』を読む ~日々の暮らしから~

日々の「?」から始めて一歩ずつ
自分で見て考えて、行動していきたい。
私の自由が人の自由にもつながりますように。

■自由の哲学12章_9_2段落

2015年10月03日 | 『自由の哲学』
自分で悟りを得て見て考えて動くことで、 私たちは私たちの中身を作り出す (前段階のA→後段階のB)。 生み出した中身を倫理学者が云々するのは、 自然科学者には虫類が与えられるのと同じく、 後段階(=B)として、だ。 は虫類(=B)は原羊膜類(=A)から出てきた。 しかし、自然科学者はAからBを引き出せない。 新しい道徳の考え(後段階B)は前段階Aから出てくる。 ややこしくなってしまうのは、私 . . . 本文を読む

■自由の哲学12章_9_1段落

2015年09月30日 | 『自由の哲学』
ここで請け合う見解(=倫理の個人主義。 新しいルールは私が作る。人だけはそういう進化をする)は、 普通の進化論(=個ではなく類として進化する)と 食い違うように見えるが、 実際は矛盾しない。矛盾するように見えるだけだ。 「進化」とは、自然法則の道筋で、 前の未熟なものから後のより完成したものが出てくることだ。 進化論者なら次のことを思えるはずだ。 大昔にタイムスリップして早送りで進化を見たとし . . . 本文を読む

■自由の哲学12章_8段落

2015年09月27日 | 『自由の哲学』
道徳をどこかから持ってきたい人は、 道徳を栄養学みたいな意味で捉えている。 栄養学は、食べ物を分析したり人の内臓の動きを観察して 人類共通の法則を引き出し、一人ひとりの体に働きかけようとする。 (パウルゼン:倫理学体系) でも、私たちが生きて行為するのは、 誰の内臓の動きもだいたい同じ、というのとは比べられない。 内臓の法則は、別に意識しなくても動いているけど、 道徳の法則は、私たちがまず作り出 . . . 本文を読む

■自由の哲学12章_5~7段落

2015年09月24日 | 『自由の哲学』
5 道徳的に何かをするためには、 そのジャンルに関する知識が欠かせない。 そういう意味で、私たちの行動は、知識に支えられている。 その知識の中でも、自然の法則が大切だ。 自然の科学の知識が必要であって、倫理学が必要なのではない。 6 道徳のファンタジーと道徳の考えの力とは 自由な人から生みなした後で、知識となりえる。 それは、もはや自分の生き方を縛ることはない。 自分が生んだのだから、自分が手 . . . 本文を読む

■自由の哲学12章_4段落_2

2015年09月21日 | 『自由の哲学』
道徳を元に行為しようとすれば、 道徳の考えの力、道徳のファンタジーに並んで、 この現実の世の自然法則に従って作り替える力も必要となる。 その力が「道徳のテクニック」だ。 それは、勉強が勉強できるのと同じ意味で、勉強できる。 つまり、多くの人は、これまでにない未来の行為を ファンタジーから生み出して作り出すよりも、 今ある世に沿った考えを見いだす方が得意だ。 だから、道徳のファンタジーを作り出す . . . 本文を読む

■自由の哲学12章_4段落_1

2015年09月18日 | 『自由の哲学』
道徳のファンタジーは、単に想像力を磨けばいいというものではない。 道徳のファンタジーを実現するためのテクニックとして、 「覚えの領域」が不可欠で、 覚えの領域とがっぷり四つに組み合うことが求められる。 人の行いは覚えをゼロから生み出すのではなく、 すでにある覚えをより良くしていく。 つまり、すでにある覚えに、新しい面を与えるのだ。 世にあるひとつのもの、または集合体を捉え、 それを、自分なりの . . . 本文を読む

■自由の哲学12章_3段落

2015年09月15日 | 『自由の哲学』
人は、ある決まった想いを 自分の考えの世界のまるごとから、 まず、ファンタジーによって生み出す。 よって、自由な精神が自分の考えを現実にし、 自分を立てるのに必要なものは、 道徳のファンタジーだ。 道徳のファンタジーは、自由な精神の行動の源だ。 だから、自分の道徳的な行動を生み出せるのは、 道徳のファンタジーを作り出す人、と言える。 道徳を諭すだけ、倫理を説くばっかりで、 それを自分で厚く濃 . . . 本文を読む

■自由の哲学12章_2段落

2015年09月12日 | 『自由の哲学』
私の行動への動機が、一般的な考えの形 (たとえば、他人に良くする、自分が幸せになるように生きる) である場合でも、 ひとつずつの行動に、まず、具体的な絵姿 (一般的な考えと、それぞれの覚えとの重なり)が、 まず見いだされなければならない。 すなわち、前例や罰への恐れで動くのではない自由な精神には、 一般的な考えを具体的なそれぞれの想いに描くことが欠かせない。 ※ 一般的な考えの形というのは、 . . . 本文を読む

■自由の哲学12章_1段落_3

2015年09月09日 | 『自由の哲学』
決まりは、前向きな行動をうながすよりも、 特定の行動を禁止するのが得意だ。 ふつう、決まりが普遍的な考えとして現れるのは、 「~するな」という場合であって、 「~しなさい」という場合ではない。 「~しなさい」という規則が不自由な精神に命令される場合は、 具体的な形を取る。 「門の前を掃除しなさい」「税金を○○円払いなさい」など。 一方、「~するな」という規則の場合、 「盗むな」「姦淫するな」 . . . 本文を読む

■自由の哲学12章_1段落_2

2015年09月06日 | 『自由の哲学』
考えと結果の間をつなぐのは、想いだ。 不自由な精神には、覚えも想いも前もって予想されている。 何をするにしても、前例とか、命じられたままに、 前もって予想されている通り、決まった通りに行動する。 だから権威は、過去の例を出すことで、もっと有効に働きかける。 ひとつの前例を取り上げて「ここではこうなっているんです」と 不自由な精神に伝えることで、権威は力を発揮する。 キリスト教徒が、 教義を読 . . . 本文を読む

■自由の哲学12章_1段落_1

2015年09月03日 | 『自由の哲学』
自由な精神は、自分の志に沿って行動する。 自分が考えている世のまるごと全体の中から、 自分で考えて取り出した悟りに沿って行動する。 不自由な精神は、自分が考えている世の中から、 ある一部の悟りを取り出して、行動の理由にする時、 現実の世ですでに与えられた前例や他人の意見を基にする。 不自由な人は、行動の理由として、 誰かが「こうしたらよかったよ」とか、 神が「こうしなさい」と命じたアレコレを想 . . . 本文を読む

■自由の哲学12章_タイトル

2015年08月31日 | 『自由の哲学』
12章に入ります。 その前に。なんでしょ、このタイトル?? 鈴木一博さん訳では 「道徳のファンタジー」(ダーウィニズムと倫理) 高橋巌さん訳では 「道徳的想像力」(ダーウィン主義と道徳) 本間英世さん訳では 「倫理的想像力」(ダーウィン主義と倫理) う~ん、3人3様です。 ここで、「道徳」とか「倫理」とか訳されているのは、 一体、何のことなんでしょうか。 諏訪先生によると、もとの単語は「モラ . . . 本文を読む

■自由の哲学11章_9段落

2015年08月28日 | 『自由の哲学』
二元論は、歴史や世の中、自然の目的を論じます。 周囲を見るにつけ、法則に則った因果関係が出てくるたびに、 二元論者は仮に思うのです。 「私たちは、神(絶対者)が敷いたレールの上を必然的に歩いている」と。 一元論者には、神(絶対者)や、歴史や世の中、自然の目的を、 仮に思い設ける必要がない。 ※そうこうするうちに11章が終わりました。 結構短い章だったけど、いいなぁ。 二元論者は、人は必然で . . . 本文を読む

■自由の哲学11章_8段落_2

2015年08月25日 | 『自由の哲学』
然のモノが外から決まる(宙に浮いた考えだろうが、造物主の中にある理念だろうが)ことを打ち消す者なら、 きっと、自然のものは目的相応ではなく 内からの法則相応に決まると。 私が機械を目的に合わせて作るのは、 私が、そのままではバラバラな各パーツを、 目的にあわせて組み合わせるからだ。 機械が目的に合っているのは、 私が考えた機械の動きを、機械に与えるからだ。 機械は、それで、目的どおりの動きをす . . . 本文を読む

■自由の哲学11章_8段落_1

2015年08月22日 | 『自由の哲学』
目的に合う、という考えは、何を指すか。 バラバラの覚え(ex:山にあるそれぞれの草木花土動物光水…)が ひとつにまとまる(ex:六甲山系)ことを、だ。 しかし、覚えという覚えには、 普段は隠されているけれど、 私たちが考えることによって見いだされる「法則」がある。 だから、山の各草木花が計画的にまとまる、というのは、 六甲山系、という考えに見いだされるそれぞれが、 考えとしてまとまっているから . . . 本文を読む