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出雲国神社めぐり

島根県東部の神社探訪記!
犬もあるけば、神社にあたる!!

多太神社

2011年12月07日 | 松江市(旧市域)
   
風土記:多太社
延喜式:―
雲陽誌:羽鳥大名神(鳥石楠船神)
様  式:春日造変態
御祭神:衝杵等乎而留比古命・伊弉冊命(合祀:本宮神社)・速玉男命(合祀:瀧神社)

国道431号線の道の駅秋鹿なぎさ公園前より山手にのぼり、宍道湖北部大型農道を越えてしばらく行くと秋葉山の麓西向にて鎮座しておられます。これまで、氏子でもないにもかかわらず、何度となく訪れた社ですが、昼間に参拝したのは今回が初めてでした。正中を過ぎて訪れたこともあり、境内いっぱいが明るく照らされ、これほどに美しい社だったのかと思ったしだいです。宮司様、氏子の皆様により日ごろから大事されている証でもありましょう。

境内を見ると、大屋根の返りが美しい春日造の本殿、意匠のこまかな拝殿が目立っております。また、本殿南側に3mほどの大岩が埋まっっており、その上に社日碑がありました。雲陽誌に、同社は羽鳥大名神と呼ばれており、祭神鳥石楠船神に縁する船石があるとも記載されております。

  

他にも神楽殿もあり10月20日の例祭には、13年前より雲南市深野の深野神楽保存会の方が来られ、出雲神楽の演じておられます。この社を訪れるのが夜になる理由はまさに、この神楽見学によるものでした。年々新しい演目の復興をはたされ活躍しておられます。

〈境内社〉
 
本殿北側に石造りの小祠と、流造の小祠の二つがある。いずれの社名は記されておらず詳細は不明。旧秋鹿村誌に依れば、同社の境内社として八幡宮(祭神:誉田別命)、その合殿として新宮神社(祭神:事解男命)と記されている。また湖辺の艫田神社は同社の飛び地の境内社とする。

〈所在地〉
島根県 松江市 岡本町

参拝日:平成23年11月21日

森清神社

2011年12月03日 | 松江市(旧市域)

風土記:阿之牟社
延喜式:―
雲陽誌:森清大明神(天照大神)
様  式:小祠(春日造擬)
御祭神:天照大御神

 
国道431号線から1kmほど山手側を宍道湖北部広域農道が走っている。大型農道として整備されたもので、橋梁やトンネルなどは少なく起伏は激しいが、概ね片側1車線あり走りやすい道になっている。もちろんトラクターなど農耕車優先ですから、地元の方を煽ってはならない。宍道湖北岸の主要な社は一部を除いて、この農道より北側(山側)に位置している。往時の水辺は今よりずっと山側まで来ていた考えられる。

森清神社は大型農道沿い湖側にあるが、木々が茂っているためあまり目立たたない。境内は左手に拝殿(神楽殿)、一段高みに本殿、その右手に祠の跡あるいは荒神が祀られていた。雲陽誌には天照大神を祀り、里人は伊勢宮と呼ぶとのみ記されている。他に由緒などはなく、旧秋鹿村誌にも無格社の一つ阿之牟社は森清大明神といい、大垣布川谷字森清に立つ、天照大神を祀るとのみ記される。秋鹿郡の阿之牟社については、そもそも「あしむ」社と読むのが正しいか、どのような意味合いがあるかわからない。

〈所在地〉
島根県 松江市 大垣町 布川

参拝日:平成23年11月21日

内神社(高野宮)

2011年12月02日 | 松江市(旧市域)

風土記:宇智社
延喜式:内神社
雲陽誌:高野宮(足高大明神)
様  式:大社造
御祭神:和加布都主命・下照姫命

   

一畑電電鉄高の宮駅から北を見て、電波塔の立つ山は本宮山(279m)とよばれ、この山の中腹に内神社は鎮座しております。同社しおりには電車駅から3km徒歩30分とあります。車で参拝する折には、宍道湖北部広域農道に乗り、「高野宮」の案内を目印に急坂の小道を上ります。

車道より本殿のある境内奥までは100m近くあり、近付くにつれ本殿の威容に背筋の伸びる思いがいたしました。近在の初社が大社造のものも概ね小ぶりであるのに対し、本式の大社造りでなる同社の本殿は見ごたえがあります。また本殿の左手奥には、先の遷宮で下ろされたと思われる男千木が残されており、その大きさを実感することができました。もともと湖北の社には縁が薄かったのですが、この内神社や佐太神社は、出雲大社などとはまた異なる魅力があるように思われます。

  

本殿以外の境内社も整えられており、左手に三保神社、右手に葦原神社、奥には稲荷神社と社日碑が鎮座しております。この他にもこの地に縁の大野・大垣氏の御霊を祀った御霊神社が並びます。神門も他とはことなり、両隋神の社は門と別に置かれていました。本殿より一つ下の壇には、江戸期より伝わる手水石、10月17日の例祭に相撲が行われるという土俵も設置されています。境内入口の鳥居には二の鳥居と案内がされ、一の鳥居はといえば遠く高の宮駅近くにありました。斉館わきには、同社の遷宮の歴史を記した写真記録も残されております。

〈境内社〉
   
左から〔社名(御祭神)〕
三保神社(事代主命・三保津姫命・猿田彦命・木花開耶姫命・鈤女命・倉稲魂命)
蘆原神社(素戔嗚命・稲田姫命・大己貴命・少彦名命・思兼命・五十猛命)
稲荷神社(倉稲魂命)
霊神社(向って右の二社は大垣氏の霊・向って左の二社は大野氏の霊)

〈所在地〉
島根県 松江市 上大垣町

参拝日:平成23年11月21日

草野神社

2011年12月01日 | 松江市(旧市域)

風土記:草野社(かやの社)
延喜式:―
雲陽誌:南正八幡宮
様  式:流造
御祭神:加夜奴比女命(不詳)・伊邪那岐命・伊邪那美命

  

一畑電鉄を津ノ森駅東側の踏切でわたり、県道を北へ進むとと宍道湖北部広域農道と交差します。この交差点より山手が旧大野村の役場等があった土居地区になり、神社の入口は大野川に沿った旧道へ入ってすぐ左手になります。

参道の階段をひとしきり登り隋神門をくぐると、さっぱりと纏まった境内にたどり着きます。左手に神楽殿、石組みの一段高みに、拝殿と流造の本殿が鎮座しておられます。なんとなく、全体に隙間が多い絵のようにも思われたのは拝殿の造りによるものでしょうか。近年葺き替えられたとに思われる屋根瓦が印象的で、内部には三方に古い額が掲げられておりました。

  

この社の由緒などは詳しいことがわかりません、風土記の草野社とするのが一般的な解釈のようです。雲陽誌に大野の頁には、高野宮、角森大明神の他いくつもの社が記されながら、これを草野社というものがありませんでした。しかしながら、南正八幡宮に関する記述を見ると、この辺りの大野某が永禄年間に土居山の頂に正八幡を勧請し、元亀年間さらに西の細原に同社は移されたが、西光寺近隣住民の願いにより、元禄十三年に西光寺の南方三町の南山に社が築かれ大野郷あげてこれを祀ったとされます。現在の西光寺の位置からおおよそ300m、整備された同社の様子から近隣の信仰も篤い社とも思われ、また八幡宮に見られる流造の本殿と菊の神紋から、同社の由来もこのあたりではなかろうかと考えます。

〈境内社〉
 
本殿左手の小祠は天満宮の案内あり。菅原道真を祭る。本殿右手の社は案内なく不詳も、流造の立派な社を持つ。大野郷土史に依れば、境内社は天満宮のほか杉戸神社を明治45年に遷宮とある。その御祭神は大物主命とある。

〈所在地〉
島根県 松江市 上大野町

参拝日:平成23年11月21日

大野津神社

2011年11月30日 | 松江市(旧市域)

風土記:大野津社
延喜式:大野津神社
雲陽誌:角森大明神(素戔嗚尊)
様  式:大社造変態
御祭神:須佐之男命

  
松江市の宍道湖北岸西端に位置する大野町。風土記に云うところの秋鹿郡は、このさき伊野まで含まれていたようですが、現在の行政境界はここに設けられています。大野、草野の両川にて形成された広い地域を古くは大野郷と言ったようです。

大野津神社は、数少ない湖岸の神社の一つ。これまでも国道を走り抜けるたび、その存在には気が付いており小さくて可愛らしい社があるなと思っていたのですが、いざ足を踏み入れると、立派な本殿や整った境内に驚かされました。思えば風土記のみならず延喜式にも数えられていたのですから当然でございます。境内社は三宇に及び、多くの石灯篭、狛犬、さらに龍頭の石碑までありました。

 

雲陽誌では、角森大明神と記され、素戔嗚尊に退治された八岐大蛇を角や骨がこの地に流れ留まったことから角寄さらにも角森となったとか。境内入口の御由緒には、特殊神事として「雨乞い神事」が紹介されており、昭和初期に執り行われた神事の流など詳しく記されておりました。龍頭の石碑はこの辺りを意識されたものでしょうか。

〈境内社〉
  
本殿南側の小祠には金毘羅社・御崎神社の扁額が見える。大野郷土史に依れば、日御碕神社は祭神に天照大御神、配祀に大己貴命とある。
本殿北東、北西の二社は不詳。おなじく大野郷土史では、日御碕神社以外に新宮社(御祭神:伊弉那美命)、日吉神社(大山祇命)があげられている。

〈所在地〉
島根県 松江市 大野町

参拝日:平成23年11月21日