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出雲国神社めぐり

島根県東部の神社探訪記!
犬もあるけば、神社にあたる!!

天若宮神社

2011年12月20日 | 松江市(旧市域)
   
風土記:―
延喜式:―
雲陽誌:若宮(國狭槌尊)
様  式:大社造変態
御祭神:國狭槌尊

松江高専の建つ辺りから南方へと続く長い尾根の東側に鎮座しております。下佐陀八幡から南々西に300mほど下り、社域を含んでこの辺りが薦津地区で、参道入口は神灯が目印となり、同社駐車場も整備されていました。

参道は東西に長く、階段を含んで100mほど進むと隋神門があり、さらに奥に拝殿、本殿が建っております。平成20年には遷座祭が執り行われたとの芳名帳が掲げられておりました。創建などについて旧生馬村誌でも多くは記されておりませんが、天正年間の梁簡写しから、それ以前より祀られていたとしております。本殿右手には柱と屋根のみの建屋がありましたが、境内社とすべきものかは不明です。

〈所在地〉
島根県 松江市 薦津町

参拝日:平成23年11月23日

八幡宮(下佐陀)

2011年12月19日 | 松江市(旧市域)
   
風土記:―
延喜式:―
雲陽誌:正八幡宮
様  式:流造り
御祭神:誉田別命・足仲彦命・気長足姫命

現在、松江高専や生馬小学校が建っている尾根は、県道37号線の切通しによって分かれていますが、もともと南北に長く、山裾に家々が軒を連ねております。ちょうど大型米穀倉庫を目印に南に入ると、下佐陀の集落があり、下公民館の奥に八幡宮が鎮座しております。

境内は数壇に分かれており、一番奥の壇に流造りの立派な本殿、拝殿が建っております。各段石垣で区別けられ、その他に神楽殿、手水社、歳徳神の庫などが並んでおりました。

 

境内に由緒縁起などの案内はありませんが、旧生馬村誌に依れば永正年間の記事があることから、それ以前の創建で、加茂志神社後背にあった海老山城主新田右馬頭の勧請ではないかと察しています。また同誌が記されるころ本殿は西向きであったとの事ですが、現在は往古の向きと同じ南方を向いています。

〈境内社〉

本殿左側に一宇ある。『神国島根』に拠れば、武内神社に武内宿禰を祀る。

〈所在地〉
島根県 松江市 上佐陀町

参拝日:平成23年11月23日

加茂志神社

2011年12月17日 | 松江市(旧市域)
   
風土記:加茂志社
延喜式:―
雲陽誌:神魂大明神(伊弉諾尊・伊弉冊尊)
様  式:大社造変態
御祭神:伊弉諾尊・伊弉冊尊
合祀神:天照大御神(鏡神社)・新田右馬之頭(新田神社)

松江市旧市域境の上佐陀町は決して大きな集落ではなく、県道の37号線松江市内から鹿島方面へ向う途上、両脇の山が徐々に近づくあたりに、家々が集まって建っています。旧道に入り、さらに東に小道100mほど行くと山すそに境内を見つけることができます。風土記にみえる社名ですが、決して境内は広くはありません。一壇高みに拝殿と本殿が立ち、その下に神楽殿がありました。

 

創建年代は不詳ですが旧生馬村誌に依れば、もとは裏の海老山に鎮座していたものを、新田右馬之頭という武将が山頂に築城するにあたって現在の地に移したとあります。また扁額に見える鏡大明神、新田八幡宮が合祀されております。鏡大明神は元は下佐陀にあって天照大神を祀っていたものを元禄年間当社に合祀。新田八幡宮は上述の新田右馬之頭の御霊を祀ったもので、明治六年当社に合祀ととのことです。

境内社と呼べる明確な建物はありませんが、本殿裏手に石祠の朽ちたものが数基みえました。雲陽誌には、本殿裏に石造りの宝殿が二つあり、各々駒を一組づつ彫り付けてあって、龍の駒・千草の駒といい神明の駒とされるがすでに所以は不明であるとしており、これに関するものではないかと思われます。

〈所在地〉
島根県 松江市 上佐陀町

参拝日:平成23年11月23日

國司神社

2011年12月11日 | 松江市(旧市域)
   
風土記:―・垂水社(合祀の垂水神社)
延喜式:―・垂水神社(合祀の垂水神社)
雲陽誌:國司大明神(國常立尊・大国主命・稲田姫) / 垂水社は別に垂水明神(罔象女命)
様  式:大社造
御祭神:國常立尊・大国主命・稲田姫
     罔象女命(垂水神社)・伊弉冊尊(新宮神社)・秋鹿日女命(姫二所神社)
     天照大御神(日御碕神社)・天御中主尊(天森神社)

この社もまた、宍道湖北部農道より谷を川に沿って上った山手に鎮座いたします。参道入口には蛍の里の案内が見られる清流の杜といった感じでありました。さて、いざ参道を前にすると境内は見えず、200段近い階段を上っていかねばなりません。鳥居二基と狛犬三組を見て、ようやく隋神門をくぐると見事な大社造の本殿が飛び込んでまいりました。寺社にお参りするたびに、このような場所に立派な建築物を築く技術に感服するものです。

境内には本殿・拝殿のほか、天保年間と記された古い自然石の社日、大岩の上にも石祠と社日があります。このほかに神楽殿などもあり、急峻な尾根の削平地にほぼ総ての建物が揃っているのに驚かされました。

   

境内入口の由緒書きによりますと、いつのころか近隣の者が出雲大社の分霊を受けて、祠をおこしとのことです。現社地に関する最古の棟札は天正年間のもので、明治期の神社統合の流れにより、西長江にあった新宮神社をはじめ、姫二所、日御碕、天森の四社を合祀。新宮社はすでに風土記の垂水社を合祀しており、国司神社に垂水社の罔象女命が祀られることになったとのこと。

〈境内社〉
  
本殿右側に二社合殿の木造社、左側に社日二基と石祠が祀られる。祠はいずれも案内なく社名、祭神は不詳。

〈所在地〉島根県 松江市 西長江町

参拝日:平成23年11月21日


秋鹿神社

2011年12月09日 | 松江市(旧市域)
   
風土記:御井社・秋鹿社
延喜式:御井神社・―
雲陽誌:姫二所大名神・八幡宮(合殿)…秋鹿姫命・応神天皇の二神合殿と記す
様  式:大社造変態
御祭神:秋鹿日女命(秋鹿神社)・罔象女命(御井神社)・誉田別命(八幡宮)

国司神社、多太神社などと同じく、宍道湖北部大型農道より谷を山手に上がったところにあり、秋鹿神社は秋葉山を挟んで多太社の向かいの位置になります。いずれも古代は山、尾根の上に鎮座されたもの思われますが、今では谷川沿いに遷り、それぞれの集落の氏神として大切にされております。

境内は、内神社に似て奥に広く、数壇に分かれた上壇に大社造の本殿ならびに拝殿、いくつもの境内社を抱えております。西日の当たった多太神社の華やかな雰囲気と比較すると、こちらは重厚な感じがいたしました。二の壇には社務所と神能舞殿(神楽殿)が向い建っており、この社の例祭でも深野神楽保存会の神楽が奉納されております。

   

社の由緒書によると、出雲風土記の秋鹿の郡の名づけられる所以となった 秋鹿日女命を主祭神としており、この女神は天勅を蒙って火傷をおった大己貴命(大国主命)を治療するべくこの辺りに降りられたとのこと。この神の治療なくんば大己貴命による天下蒼生もなかったも記されます。一方、風土記に記載される御井神社を合殿とするとなっております。こちらの祭神 罔象女命(水波能売命)でまさに出水の女神でもあり、もともと80mほど南方に存在していたと伝えれれ、その辺りには三つの神聖な泉が湧き、神酒の醸造、民の飲み水としとされていたとのことです。両社の合殿は慶長以前であったとされ、女神二人の鎮座によって、姫二所大明神とも呼ばれておりました。その他、東南の位置にあったとされる八幡宮も水害によって旧社を失い、貞享年間のころ合殿となったとのことです。これらの社歴を象徴する三種の扁額が拝殿に掲げられておりました。

〈境内社〉
  
境内には、本殿北側石段の上に二社と社日碑、本殿南西に二社、南東に一社があるが不詳。
旧村誌に依って以下のようにあてて記す。
本殿北側に国本神社(伊邪那岐命)を春日造とあり。北側高台にある木造の小祠がこれか。
その右隣は狐像などにより稲荷社(倉稲魂神)と思われる。
また、若宮神社(仁徳天皇)を八幡造とあり、南西二社のうちいずれかがこれか。
また、八坂神社(素戔嗚尊)を春日造とあり、南東の一社がこれか。

〈所在地〉
島根県 松江市 岡本町

参拝日:平成23年11月21日