
風土記:御井社・秋鹿社
延喜式:御井神社・―
雲陽誌:姫二所大名神・八幡宮(合殿)…秋鹿姫命・応神天皇の二神合殿と記す
様 式:大社造変態
御祭神:秋鹿日女命(秋鹿神社)・罔象女命(御井神社)・誉田別命(八幡宮)
国司神社、多太神社などと同じく、宍道湖北部大型農道より谷を山手に上がったところにあり、秋鹿神社は秋葉山を挟んで多太社の向かいの位置になります。いずれも古代は山、尾根の上に鎮座されたもの思われますが、今では谷川沿いに遷り、それぞれの集落の氏神として大切にされております。
境内は、内神社に似て奥に広く、数壇に分かれた上壇に大社造の本殿ならびに拝殿、いくつもの境内社を抱えております。西日の当たった多太神社の華やかな雰囲気と比較すると、こちらは重厚な感じがいたしました。二の壇には社務所と神能舞殿(神楽殿)が向い建っており、この社の例祭でも深野神楽保存会の神楽が奉納されております。
社の由緒書によると、出雲風土記の秋鹿の郡の名づけられる所以となった 秋鹿日女命を主祭神としており、この女神は天勅を蒙って火傷をおった大己貴命(大国主命)を治療するべくこの辺りに降りられたとのこと。この神の治療なくんば大己貴命による天下蒼生もなかったも記されます。一方、風土記に記載される御井神社を合殿とするとなっております。こちらの祭神 罔象女命(水波能売命)でまさに出水の女神でもあり、もともと80mほど南方に存在していたと伝えれれ、その辺りには三つの神聖な泉が湧き、神酒の醸造、民の飲み水としとされていたとのことです。両社の合殿は慶長以前であったとされ、女神二人の鎮座によって、姫二所大明神とも呼ばれておりました。その他、東南の位置にあったとされる八幡宮も水害によって旧社を失い、貞享年間のころ合殿となったとのことです。これらの社歴を象徴する三種の扁額が拝殿に掲げられておりました。
〈境内社〉

境内には、本殿北側石段の上に二社と社日碑、本殿南西に二社、南東に一社があるが不詳。
旧村誌に依って以下のようにあてて記す。
本殿北側に国本神社(伊邪那岐命)を春日造とあり。北側高台にある木造の小祠がこれか。
その右隣は狐像などにより稲荷社(倉稲魂神)と思われる。
また、若宮神社(仁徳天皇)を八幡造とあり、南西二社のうちいずれかがこれか。
また、八坂神社(素戔嗚尊)を春日造とあり、南東の一社がこれか。
〈所在地〉
島根県 松江市 岡本町
参拝日:平成23年11月21日