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出雲国神社めぐり

島根県東部の神社探訪記!
犬もあるけば、神社にあたる!!

奴多之神社

2011年11月28日 | 松江市(旧市域)

風土記:奴多之社(努多之社)
延喜式:―
雲陽誌:艫田明神(猿田彦命)
様  式:小祠(大社造擬)
御祭神:猿田彦命

 

一畑電車で出雲方面へ向かうと、秋鹿駅のつぎは松江フォーゲルパーク駅。鳥たちや花々と触れ合える鳥類園があります。地元なのにまだ行ったことがありませんが、年に何回かペンギン駅長が観光客を迎えてくれるそうです。つづいて高ノ宮駅。駅名はここから北に2kmほどいった山中に鎮座する高野宮(内神社)に由来しています。駅のホームからは同社の一の鳥居が見えるのですが、いざここから参拝となるとそれなりの覚悟がいるように思います。

題意の奴多之神社はこの一の鳥居から200mほど山手に向かった左手の森の中にありました。近隣では珍しい両部鳥居が目印。境内は広く、拝殿(神楽殿)を左手に、一段高みに本殿と、境内社が並んでおられます。なにより目を引くのが苔むした狛猿像。さらに本殿の下にも数多の猿坐像が置かれています。当社の御祭神が猿田彦命であることに、これらの坐像も所縁があるのでしょうが、独特雰囲気がありました。

 
旧秋鹿村誌に記される由緒に依ると、高姫命が女嵩野山に降臨なされた際、猿田彦命はみずから船の艫をとり大神をお導きになられ、のち高姫命は嵩野山に、猿田彦命はこの地に鎮座されることとなった。故に、この社を古人は艫取大明神と呼び、風土記の奴多之社をこれとして崇敬してきたとのこと。船の艫取りに由来する岡本の艫田神社に対し、名原友田神社とも呼ばれております。なお雲陽誌では大垣の頁に、艫田明神、猿田彦命をまつる、これ風土記の阿之牟社かと記されておりますが、秋鹿村誌では北東の森清神社を阿之牟社と比定しています。

〈境内社〉

本殿右手に小社があるが社名祭神は不詳。参拝の折、四方を注連縄にて囲まれる。

〈所在地〉
島根県 松江市 大垣町 名原

参拝日:平成23年11月21日

艫田神社

2011年11月26日 | 松江市(旧市域)

風土記:同多太社
延喜式:―
雲陽誌:友田明神(猿田彦命)・艫取大明神
様  式:小祠(春日造擬)
御祭神:猿田彦命

  

国道431号線は一畑電鉄の線路と平行して出雲大社方面へと向かいますが、途中に電車の秋鹿駅、道の駅秋鹿なぎさ公園などが見えてまいります。道の駅は秋鹿川と岡本川がともに宍道湖に注ぎ出る突端に位置しており、艫田神社は山側の踏切をこえて、旧道を秋鹿駅側に戻ってすぐのところに鎮座されます。

小社ではありますが、社殿の意匠は細かく見応えがあります。今日でも近隣にて祭祀を大事に引き継がれているものと思われます。雲陽誌の岡本の頁に友田明神、猿田彦命を祀るとあり、旧秋鹿村誌は、この社を風土記の「同多太社」であると記します。大正3年多太神社の飛地の境内社となったとあります。艫田の故事としては、国譲りの折、大国主命が事代主命に使いの神を送られた際、猿田彦命がその船の艫取りをなされ、この辺りに着かせられたことに依るそうです。艫田の文字は同じく大垣の頁にみえ、内神社参拝の船艫を取るところであったされ、同社はこの奥に鎮座する秋鹿神社(御井神社)、多太神社(羽鳥大明神)参拝に際する同様の意味合いがあったのかもしれません。

〈所在地〉
島根県 松江市 岡本町

参拝日:平成23年11月21日

日御碕神社(西浜佐陀)

2011年11月25日 | 松江市(旧市域)

風土記:―
延喜式:―
雲陽誌:―
様  式:小祠(大社造擬)
御祭神:伊弉諾尊・伊弉冊尊

 

出島神社のある小山を左回りに100m程めぐると山中へ昇る狭い階段があり、登りきったところに小さい本殿と拝殿を見つけることができます。境内下は小道のため駐車はままならず、警察学校脇の消防車庫前に少々とめさせていただき参拝。本殿は北東を向き、佐太川辺りの田園風景を一望することができます。由緒書きなく、『雲陽誌』にも心当たりの社がありませんが、『神国島根』の出島神社境外社に御崎神社の名前があり、これと思われます。

〈所在地〉
島根県 松江市 西浜佐陀町

参拝日:平成23年11月21日

出島神社

2011年11月25日 | 松江市(旧市域)

風土記:出嶋社
延喜式:―
雲陽誌:七釜大明神(瓊々杵尊・出見尊・葦合不命・櫛八玉姫・木花開耶姫命・豊玉姫・玉依姫)
様  式:春日造
御祭神:瓊々杵尊・出見尊・葦合不命・櫛八玉姫・木花開耶姫命・豊玉姫・玉依姫

  

国道431号線に乗って佐太川を西に渡り200m程行くと、コンビニエンスストア手前に「真言宗満願寺」の標識が見えてまいります。これを南に曲がると程なく満願寺の境内が見え、さらに突当りの堤防へ上ると、右手に出島神社の境内を見付けることができます。

満願寺は戦国期の古城に名前を見ることができ、寺社ならび立つ小山に湯原氏の居城があったとのこと。境内は隣接する満願寺に比べると極めて小さく、拝殿と春日造の本殿が山肌にひっそり立っており、木陰に稲荷と思しき石祠、神木あるいは荒神が祀られておりました。

境内には由緒書きなどはなく、雲陽誌の秋鹿郡濱佐田の頁に、七釜大明神これを風土記の出嶋神社、七神を合わせ祀ると書かれております。同じく古曾志の頁を見ると、古曾志村の海辺に釜代山という山があり、古くは湖中に突き出でて七釜明神と呼ばれる二社があったが、波に削られ二社の内の一つを今の社地へ移し、いま一つを白髭の社(古曽志神社)へ移し合わせ祀ったとありますが詳らかではございません。

〈境内社〉

本殿左手に、崩れかけた石祠。前面に狛犬または狐、恵比寿と思しき小像あり。御祭神などは不詳。

〈所在地〉
島根県 松江市 西浜佐陀町

参拝日:平成23年11月21日

市杵島神社(浜佐田)

2011年11月24日 | 松江市(旧市域)

風土記:―
延喜式:―
雲陽誌:出島辨才天(宇賀御魂神)
様  式:小祠(流造擬)
御祭神:市杵島姫命

 

布奈保神社の側からは旧道を湖畔に向い、踏切を越えて浜佐田公民館前を東に入る小路を100mほどいくと、児童公園の中に小さいながら手入された社が鎮座しておられます。

雲陽誌のころには、出島辨才天と呼ばれるも御祭神は宇賀御魂神であられたとのこと。旧村史に依れば、大正年間に布奈保社に合祀とあり、近年この辺りに小社をおこして祀られたものでしょう。布奈保神社の境内に稲荷と思しき小社があることから、宇賀御魂神はこちらに祀られており、今も船溜まりがある湖畔の市杵島神社にはやはり、弁財天(市杵嶋姫命)が祀られると考えて間違いなかろうと思います。

〈所在地〉
島根県 松江市 浜佐田町

参拝日:平成23年11月21日