沖縄三線.com

沖縄のことあれこれ。

沖縄県内 初詣で交通規制 31日~1月3日、寺社周辺

2018-12-31 07:08:06 | ニュース

31日深夜から1月3日にかけて、県警は初詣による混雑が予想される県内4カ所の寺や神社周辺での交通規制を実施する。

【那覇市・波上宮周辺】31日午後11時から翌1日午前3時まで、県道47号波之上通りの一部約200メートルと波上宮周辺を車両通行止め。

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【那覇市・首里観音堂】1月1~3日のそれぞれ午前11時から午後6時まで、県道50号首里観音堂前から伝統工芸館首里流染前の400メートルを首里城公園向けの一方通行。

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【宜野湾市・普天満宮周辺】31日午後11時~翌1日午前5時、普天満宮入り口から普天満山神宮寺向け150メートルを車両通行止め。普天間交差点横断歩道橋(普天満宮側)を歩行者通行止め。

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【中城村・成田山福泉寺】31日午後11時から翌1日午前5時まで、県道146号普天間自動車学校南方の交差点先から特養老人ホーム春華園先交差点の約1・5キロを国道329号向けに一方通行。中城村伊舎堂地内の村道約150メートルを車両通行止め。


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さくらの女王選出 沖縄・名護 市の魅力発信役担う

2018-12-29 05:50:33 | ニュース

第45代さくらの女王に選出された(左から)當山可凜さん、扇谷茉衣さん、浜比嘉望美さん=15日、名護市産業支援センター

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観光親善使節として沖縄県名護市内外の行事に参加し名護の魅力をPRする「第45代名護さくらの女王」の選考会(主管・名護市観光協会)が15日、市産業支援センターで開かれた。

選考の結果、扇谷茉衣(まい)さん(31)、當山可凜(かりん)さん(20)、浜比嘉望美(のぞみ)さん(29)の3人が選ばれた。

来年1月の「第57回名護さくら祭り」でデビューし、1年間活動する。

県内の人気観光地のグッズを製作する琉球ワークスで働く扇谷さんは「名護の顔としての役割と責任を常に感じながら頑張りたい」と意欲を語った。

名桜大学生の當山さんは「学生の立場で若さを武器に名護市をPRしたい」と語り、「得意の英語も生かしたい」と意気込んだ。

オリオンビールで働く浜比嘉さんは「地場産業とともに、魅力を伝えていきたい」と笑顔を見せた。



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サメ胎仔 母体内移動 美ら島財団、世界初確認

2018-12-28 09:31:21 | ニュース

左右の子宮間を移動する胎仔のエコー画像(上)とイメージ図(沖縄美ら海水族館提供提供)

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沖縄美ら島財団は27日、本部町の沖縄美ら海水族館で飼育しているオオテンジクザメの胎仔(たいし)が母体内の左右の子宮を移動することを確認したと発表した。同財団によると、世界初の確認例だという。

サメやエイの仲間は、子宮を二つ持っている。サメやエイには胎生と卵生の種がおり、オオテンジクザメを含む胎生種の子宮内での胎仔の動きは詳しく分かっていなかった。

今回、同財団は水中エコーを使って母体の様子を調べ、胎仔が左右の子宮を移動する様子を確認した。

研究に携わった同財団の村雲清美さんは「胎仔の生存率向上にもつながる研究成果だ」と強調した。

オオテンジクザメに水中エコーを当てて調べるダイバー=沖縄美ら海水族館(同館提供)


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11月観光客最高79万人 県内、暦年の記録更新確実 国内客4%増60万人

2018-12-27 07:12:03 | ニュース

沖縄県文化観光スポーツ部は26日、11月の入域観光客数を発表した。

前年同月比3.9%増の79万2400人となり、11月単月の過去最高を更新した。

18年1~11月の累計は909万2100人となり、この間の累計で初めて900万を超えた。

12月までの暦年の累計は980万~990万をうかがい、暦年の観光客数の記録更新は確実となった。

国内客は前年同月比4.1%増の60万4100人だった。東京方面は先行割引航空券やダイナミックパッケージの販売が良好で、おきなわ技能五輪・アビリンピックの開催があったことなどから前年を上回った。

関西方面は航空会社の離島直行便が良好で、一般団体旅行や修学旅行の受注が安定し前年を上回った。12月は年末年始の旅行需要の高まりが期待され好調に推移すると見込む。

外国客は前年同月比3.2%増の18万8300人だった。韓国は避寒地として沖縄を訪れる観光客が多く、航空路線が前年同月の週65便から週82便に増えたことなどから前年を上回った。

12月はクルーズ船の寄港が減少するものの、年末年始の旅行需要が高まり、航空路線拡充が予定されていることなどから、堅調に推移するとみている。

そのため、今年12月の観光客数は17年12月の71万8500人と同数以上になると予想される。18年暦年の観光客数は、17年暦年の939万6200人は超える見込み。一方、18年度は10月まで毎月80万人を超えていたが、11月は80万人を下回った。

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銘苅春政 作 江戸与那型三線 通称 えどゆなー

2018-12-26 15:23:42 | 三線

※販売済みとなりました。

お買い上げいただき誠にありがとうございました。

本張り仕様ですが、皮は、ご注文をいただいてから張りますのでお届けまでは10日程度かかる見込みです。

予めご了承ください。

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沖縄県指定有形文化財としての江戸与那三線について


名工 与那城が考案した型。 
江戸上りの際に使節が携行したことが名称の由来です。
予備の弦を巻くために糸蔵が他の型より長めなのが特徴です。
沖縄県立博物館のものは19世紀中ごろ島津家に献上された名品の一つといわれています。
1939年東京で発見され沖縄に帰郷しました。
沖縄戦の際にハワイに持ち去られてしまいましたが1953年沖縄に返還されました。

棹は太めです。
全長は800.1mm
野面が糸蔵の端まで一直線です。
範穴はやや下方に開けられています。
糸蔵は長く、50mmあり鳩胸(75.8mm)も大きめです。
この型は、小与那城型、江戸与那型、佐久川の与那型、鴨口与那型の四つに分かれます。
江戸与那の心の側面には大小三つの穴(3分、2.5分、2.2分)があけてあります。

江戸上り

琉球は薩摩の支配下に入って後、幕藩体制下、将軍の代替わりには慶賀使、琉球国王の代替わりには 謝恩使を江戸へ派遣することが義務づけられていました。

唐風の行列は目を引き、薩摩にとっては〈異国〉を従えていることを天下に誇示する機会でもありました。
江戸城内では将軍の前で楽などが奏されました。

薩摩入りの時、捕虜として薩摩に連れて行かれた尚寧王から明治維新の慶賀使まで、計21回(うち2回は慶賀使・謝恩使を同時派遣)上ったとされています。

江戸与那三線は首里の王様が江戸上りをする際に路次楽に用いられたことからこの名前がつけられたとされています。

琉球「江戸上り」絵巻

 


 

この三線に使用している胴体木枠は特殊胴の開鐘チーガです。

 

開鐘チーガとは、盛嶋開鐘三線の胴体に使用されている特殊胴のこと。

盛島開鐘三線↓

三線 盛嶋開鐘(ムリシマケージョー)のお話

むかし むかし 

琉球王国時代、首里王府の別邸だった御茶屋御殿(うちゃやうどぅん)で
名工・真壁里之子(マカビサトゥヌシ)の作った三線を集めて弾き比べをした。

大抵の物は夜が更けるにつれ音色が悪くなっていったが、その一方で
暁を告げる開静鐘(ケージョーガニ)の音が響きわたる時間になっても、ますます美しい音を奏でた三線が五挺残った。

この五挺は真壁作の優秀なものとし、『五開鐘』と呼ばれるようになった。

特に盛嶋開鐘は城(グスク)開鐘ともに五開鐘の筆頭として戦前まで(※)中城御殿が所有していて門外不出であった。
※中城御殿(なかぐすくうどぅん)は、琉球王国の王世子(中城王子)の邸宅のこと。

 

時は流れ・・・

昭和20年(1945年)4月の米軍の沖縄上陸の際に中城御殿は屋敷の西隅に頑強な壕を掘って、
王冠、おもろさうしなどの宝物とともに格護して首里を離れた。

戦が終わり、帰ってみると壕は焼けてはいなかったが、中の物はすべて持ち去られた状態で何ひとつ残っていなかった。

戦後ほどなくして米国から「おもろさうし」が返還されたので、
この名器二挺も必ず米国に渡ったものと確信していると尚家に詳しい真栄平房敬さんは語っていた。

ところが・・・・、

昭和57年(1982年)宮里春行さんに北谷(ちゃたん)の住人から
『私の持っている三線は盛嶋開鐘だが金に困っているので買い手を紹介してくれないか』と連絡があった。

夢にまで見た行方不明の開鐘ではと半信半疑で手にしてみると心が震えるほどの作りと品位であり
「盛嶋開鐘」と芯に書かれた朱書きの書体の格調高さといい紛れもなく本物と確信した。

本物であるとの確信のため所有者はウン千万円は欲しいという。
それでも宮里さんは買い手がいると思ったが持ち前の義侠心が顔を出した。

『この三線は本来は中城御殿のものであり、あなたはこれまで単に預っているだけのことで
本来なら中城御 殿に返されるべきものである。』

『この三線がウン千万円の値段がする場合は、公然と白日の下で売買される時であり、
この三線は今のところ潜っている状態で公然と売買される状態にはない。』

『そこでどうだろう、あなたが戦後30年間預っていたことにして
年10万円をその管理料として、300万円を受け取ることにしたらどうか。
その費用は本来の所有者である尚裕さんにお願いし、
尚さんから沖縄県の財産として県立博物館に寄贈させたほうがいいのではないか。』

『もし、貴方が駄目だと言っても私がこのことを知ったからには、あくまでも公表する』
と大岡裁判よろしく説得した。

その理非を弁えた情熱にほだされ相手もしぶしぶ折れてそのような運びとなった。


何よりも狂喜したのは三線愛好家である。
これまで目にしていた開鐘は最高のものではなく、二番手、三番手の三線であり
最高の盛嶋開鐘は戦災にあったとして諦めていたのが忽然と出現したのである。

彼らはまるで戦場から生き返って来た息子に会ったようにためつすがめつ展示された盛嶋に見入った。
憂いは完全に去った。

なお、盛嶋開鐘は昭和57年(1982年)11月10日尚裕氏から県立博物館に寄贈されている。

参考文献

「沖縄の三線」沖縄県教育委員会1992年(4ページ下段参照)
 
「琉球三線の名器一覧表」

県指定有形文化財の開鐘

盛嶋開鐘 附胴(ムリシマケージョー つけたりどう)

翁長開鐘(ヲゥナガケージョー)

志多伯開鐘(シタファクケージョー)

湧川開鐘(ワクガーケージョー)

富盛開鐘 附胴(トゥムイケージョー つけたりどう)

※(  )内のカタカナは首里言葉。
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