ギャンジャン

人は独りでは生きてゆけないのに人は独りで死んでゆく。刹那い一瞬に人は何を求める?

陽の当たる人、陰る人

2005-10-28 06:58:13 | その他ジャングル
■山本功児

彼のことをご存知だろうか。
千葉ロッテマリーンズの前任監督である。
1999年~2003年までの5年間一度もAクラスを確保することなく解任された監督である。
思えば彼の野球人生は現役時代から不遇だった。
左投げ、左打ちの彼のポジションは必然的にファーストか外野しか守れない。
当時のファーストは「世界の王」とかぶってしまい、常勝巨人軍においては外野も満席状態。
高い打率を残しながらもスタメン起用はほとんどなく、代打での起用が主となる。
ロッテにトレードされた後、選手として開花、その後監督としてロッテの指揮を5年間執った後、巨人の2軍ヘッドコーチに就任。
2005年から1軍ヘッドコーチ兼打撃コーチを務めるもチームは低迷。
幸運の女神は無情にも彼のことをよく思ってくれなかったらしい。
バレンタイン采配が絶賛される中で、彼はどんな思いでロッテの日本一を見つめているだろうか。


■井口資仁

ダイエー、ソフトバンクを経て今季メジャー1年目にしてホワイトソックスを見事ワールドチャンピオンに導いた選手である。
チャンスでの強さにはダイエー、ソフトバンク時代から定評があった。
彼の持って生まれた運の強さは、ホークス時代の満塁ホームランの多さにも表れている。
プレーオフ、対レッドソックス戦の流れを変える逆転3ランホームラン。
これだけでも彼の成し遂げた仕事の大きさは計り知れない。
「ブラックソックスの呪い」をも相手にしない彼の強運には賞賛に値する。
88年ぶりのワールドチャンピオン、それもたったの1年で夢をかなえる、まさにアメリカンドリームである。
ポストシーズンでは惜敗続きの松井秀、メジャーで評価を下げた松井稼、メジャーに行って存在すら忘れられつつある中村紀、メジャーパイオニアの野茂、元同僚の高津、彼らはどんな思いで彼の快挙を見つめているだろうか。

 
■ダンツフレーム

2001年皐月賞、日本ダービー2着、2002年宝塚記念でG1制覇をした馬である。
ある日新聞を見て驚愕した。
彼が荒尾競馬場の最終レースに出走して2着だったという記事を見てである。
もうとっくに種牡馬になっていると思っていた。
荒尾競馬場の最終レースの1着賞金は20万円。
宝塚記念の1着賞金の約660分の1である。
何故だ、何故なんだ。
何故中央のG1を獲った馬がこんな所にいるんだ。
結局彼は荒尾で1走した後、浦和競馬場へ移籍。
浦和競馬場でもかつての輝きは取り戻せず乗馬へと転向した後、自分のはかない生涯を恨むかのように夭逝。
「宝塚記念を勝っても種牡馬になれないのか」彼の無念の叫びが聞こえてくるようだった。
同期のアグネスタキオン、ジャングルポケット、クロフネは彼の非業の死を知ったらどんな思いを抱くだろうか。


陽が当たろうと陰ろうと孤独な人生ゲームは続く。
答えの見つからない旅は続く。
自分探しの旅は終わらない。
輝きの瞬間は人生が終わらないとわからない。
だからこの瞬間を一生懸命生きてみよう。
そう思う。