★ここは別に見ないで良いですが、soran00のキムチ臭い1人芝居が見れます。(関西本線の某より)^^
osahune は何故か蚊帳の外(爆)
南京事件資料集 ここの
ご子息である核心さんの証言ここで、
3.虐殺現場等
>2 加害意思ですが、「
何かあったら一斉に射撃しろ」との命令は事前に出ていたそうです。
↑最初ッから銃殺目的で、こんな事を言うか?
4.婦女子の殺害
>これは最近聞いてわかったことですが、
本多氏に対する証言では女性や子供は殺害していないようなことでしたが、
実際には捕虜の中には家族持ちの捕虜が200人くらいて、
その人達の奥さんや子供なども捕虜には含まれていたそうです。
そのようなことから、虐殺後の死体の中にも女性や子供の死体があったそうです。
↑:証言が不確かだ。普通ならばあれだけ鮮明に記憶してるんだから、
後で思い出すのは不自然。本人にとっては強烈な事件であるにも拘らず・・だ。
これは絶対に嘘だ!日本兵に「女子供」を殺せる訳が無い!
息子さんの援護射撃が返って“親父の証言”の信頼性を落としている。
6.将校等による事件の矮小化
>「自衛発砲説」について栗原さんは「後ろ手に縛られ、身動きもままならなかった捕虜が集団で暴動を起こすわけない。
虐殺は事実。はっきりさせた方がいい」という。
↑:ならばどうして少尉がやられてしまうんだ???辻褄が合わん。
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◆ 栗原利一証言 ◆南京大虐殺研究札記
『南京大虐殺研究札記』
編集発行 日本軍侵略中国調査訪中団
連絡先 川村一之
1986年12月発行(1984.8.毎日新聞に初めて出た2年後)
>「自分の部隊がやった(殺した)のは一万三五○○人。
私自身数えたわけではないが、そう言われたし、新聞にもそう報道された。
しかし、
暴行・強姦なんてなかった。第一、捕虜のなかには、女なんて一人もいなかったしね」
↑:これ、昔の証言だけど、ハッキリと明言してるよね?
>殺すつもりはなかった
「私たちが幕府山で捕えた1万何千人という捕虜を、
初めから、”殺してしまえ”ということではなかったんです。
彼らを連行し、揚子江の中央の島に送るため、1ヶ所に集めた。
船も用意されていたんです。
もうすぐ日が暮れるという頃になって”何々少尉やられる”という声が聞こえたんです。
その後”撃て”という命令がくだった」
「細かい点はわかりませんよ。そこに策略があったかどうかわかりませんが、トラブルが起れば”殺すしかない”という用意はあった。こっちは百何十人、あっちは1万数千人ですからね。彼らをとり囲んで、機関銃が構えていました。
将校以下、7名が殺されたわけですから”やっちまえ”ということになった」
↑:これを読んで、マズーも十条もオカシイとは思わないのだろうか?
>内地の人を安堵させるため
「当時、1万3500人と聞いていたし、内地の新聞でもそのように書いたのだけど、ほんとうにそれほどいたのかどうか...。
それは誇張で、連れてきたのは、せいぜい
4、5千人から6千人ぐらいの間じゃなかったのかなあ。
人間1万人というのを坐らせたら容易じゃないですよ。
言われて聞いて、1万数千人ということであって、実際は...」
↑:たった2年で記憶が変わる。
>処置に困った捕虜
食わせることに上官も困っていた。
捕虜にしたその晩は結局食わせられず、鳥竜山に米があると聞いて、馬でとばし、
翌日になってやっと
食事を与えることができた。
食事といっても、シナ茶碗、ちょうどラーメン茶碗の半分ぐらいのものに、おかゆをついでまわりました。
しかし、腹が減っていたのでしょう。手まねでメシをもっとくれといってました」
↑:『虐殺』される運命にあるシナ兵に対して、コメを探し回って与えるとは・・・
お人よしにもホドがあるなぁ・・・(爆)
>「かっての戦争が侵攻だったとか侵略だったとかの議論があるようですが、
はっきりいって、全部、侵略でした。
戦争というのは侵略なんです。当時の人間だったら、侵略であることは否定できないと思います。
↑:思いっきり自虐史観だな。上海の陸戦隊が聞いたらどう思うかね??
盧溝橋事件がどうして上海に飛び火したのか?
もっと遡ればシナに駐屯してたのは何故なんだ?って事だ。
感情論としては解らんでもないが、国際条約はそれを優先するんだから・・。
沖縄米軍などは、侵略と思うんだが国際法上は侵略では無いんだ。
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栗原証言・核心さんの付記の改訂 K-K <ecoepxmujl> 2004/01/07 00:03:45
「召されて24年前を記す、左大腿部盲管銃創弾を取る、病院にて」
↑:一体何が「本当」なんだ????
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栗原利一伍長 第65連隊第1大隊所属の
スケッチ 3と
栗原利一資料集の
栗原利一 スケッチ帳 0028これは内容が違う。
スケッチ3”
スケッチが昭和13年モノだったら、加筆する神経は理解し難い。
]両角ノートの捕虜数
↑:言い訳がましい。
4829]父の話
>父の話は一貫して「両角さんなどは現場は知らないのだ。」です。
↑:ならば指揮官は誰だったんだろう??
[4795]「南京の氷雨」における捏造
>主な虚偽証言
1.主なスケッチは3枚(→4枚、板倉氏が意図的に1枚目を外している。)。
2.「虐殺」ではなく「作戦」(→「虐殺」ではなく「処分」。)。
(父は一貫して
「処分」としか言ってません。即ち事前に殺害の意図が明確だったのです。)
3.
山中に人影を見た、というのは事実ではありません。
↑:『虐殺』では無い、『処分』・・・らしい。
本多の「南京への道」には「丘陵の中腹不信な人影を見た。」とあるが・・。
[4487]田山大隊の護送の時間
↑:時間帯は納得できる・・。
まぁ、まだまだ核心さんのコメントが色々とありますが、
あとは皆さん、興味のある方はご自分でお調べ下さい。
早い話が、小野氏の著書での19人の証言も
日にちがバラバラ、捕虜の数もバラバラ、直接体験か伝聞かもあやふや。
日記自体は本物でも、書かれている内容は、整合性に欠ける。
栗原証言、再考の必要あり!!!