自分の死を考える集い開催スケジュール掲示板

「大往生したけりゃ医療とかかわるな」の著書である父中村仁一が皆様へ遺言としてお伝えしたかった内容を載せております

中村仁一の遺言8 「いまだに食べものの味がわかるのは根がいやしいせいか」

2021-02-21 00:05:00 | 日記

「遺言5」の「Q.O.Lを落としてまで生きたくなければ“断食往生”」を

見た2-3人の知人が「断食往生」する気かと問い合わせがきました。

全く考えないわけではありません。しかし一般に、大病を患うと

何を食べてもおいしくなく食欲も落ちるといわれています。

でも、私の場合は、まだ ものの味がわかるのです。

このような状態でムリに断食しても成功しないような気が

するのです。

この期に及んでも ものの味がわかるのは根がいやしいせいか

過去のひもじさの体験が身に沁み着いているためかと思うのです。

というのも父が髙2の時死んでいますから、家を出る時 母から

2万円もらっただけで、大学は自力で出なくてはならなかった

ことと関係しています。

1年の夏休みまでが大変でした。2万円の半分は入学金で消えて

いました。1年目は宇治の分校でしたが出欠をとる語学と

体操以外の授業はサボって本学の生活係にアルバイト捜しに

日参しました。

それでも手元不如意のため、大学の生協の食堂で、おかずを

買う金がなく、18円の丼一杯のごはんにソースをかけて

食べたり、それもできず、2,3日は水だけのんでということが

夏休みまで再三ならずありました。

夏休みには帰郷せずアルバイトに精を出したので、以後は

こういうことはなくなりました。

また、こんなこともありました。学生寮で食中毒が出て、

みんな吐いたり下したりしていたのですが 私は

どうもなかったのです。

しかしその後39°度の熱が出て2-3日苦しみました。

一度口に入ったものはちょっとやそっとでは外へ出さないという

意気込みで毒も栄養にしようと思ったのですが、そうは問屋が

卸さなかったのです。

雀百まで踊り忘れずといわれますが、あの時は特に辛いとは

思いませんでしたが、身体の方はまだ当時のひもじさは忘れて

いないのかもしれません。

お知らせ

1.「遺言6」の「一休道歌」を見た京都新聞社の記者が取材に来られ

   3月2日の京都新聞の朝刊に記事が出るそうです。

2.がんで呼吸困難があるのに、入院せずに自宅で最期というケースは

  珍しいのでしょう。 3月下旬に幻冬舎から新書

  「やはり死ぬのはがんでよかった」という題で発売予定です。

 

以上