先週はたくさん雨が降ったので、渓流はいい塩梅だろうとホクホクしながら釣りに出かけた。
どうせ行くなら釣れそうな渓にしよう。
昨年一度きりしか行ったことのないあの渓へ…。
前日に雨がやんだばかり、まだ肌寒い山の斜面を渓へと下る。
標高が高いのでまだイタドリも食べごろだ。
沢筋にはワサビ。
山菜にうずうずする心を抑えてひたすら山肌を下り、ようやく瀬に降り立つ。
準備を整え釣り上がり始めると、最初は小物やアブラハヤがぽつぽつ。
しばらくするとサイズも上がり始めた。
良いポイントでは立て続けに釣れる。
もしかしたら今日こそ尺モノゲットか?と、期待が膨らむ。
うろ覚えでのぼるこの渓のアメゴ達の形は様々だ。
朱点はオレンジ色。
黒い個体もいれば白い個体もいるし、細長いイワナのような体形のものがいると思えばふっくら丸型もいる。
それだけ渓が大きくて様々な渓相をしているのだろう。
中盤で釣りあげたアメゴは金色!?
いや、藻が付いているだけか?なんだかアメゴらしからぬ異様な様相。
ヒレもささくれて黒ずみ、百戦錬磨のツワモノを思わせる。
しかし、23センチ弱・・・ただの体調不良か?
渓を上がっていくうちに二股に出た。
あれ?
ここって・・・右だったっけ、左だったっけ?
うろ覚えの記憶をたどっても確かな答えは出ない。
とりあえず時計を見るとすでに13時55分。
渓流釣りは時間を忘れる。その上私はねばくて進みが遅い。
しかし、思ったより時間がかかっている。
とりあえずここで休憩して空腹を満たすことにした。
手作り爆弾おにぎりを食べながら地形図を見る。
ええと・・・ここら辺りから入って、二股になってる所って・・・無いやん!
そう、地形図には乗っていない流れはいくつもある。
そこは等高線を読んで察しなくてはいけない。
とりあえず高度計を見てみよう・・・って、高度合わせてきてなかった!
ちょっと不安になる。
とりあえず磁石出してみるか・・・なんとなく、川の流れの方向は合っているっぽい。
時間もないし、とりあえず野生の勘で左へ行こう。
そうそう、なんか、こんな所通った気がする。
間違ってたら引き返せばいいしね。
軽い気持ちで左へ進むことにした。
どんどん釣り上がっていく。
すでに午後2時を回っているとなると、急がねばならない。
大きな淵や滝を慎重に越えていく。
フェルト足袋の底はスパイクもフェルトも古くなって少し滑りやすい。
岩盤に枯葉が溜まっているところは一見すると地面に見えて、油断するとズルズル滑り落ち危険だ。
こんな山の中で淵に落ち込んだり滑落したりしては帰れなくなってしまう。
いやが上にも緊張が高まる。
どんどん進むが一向にゴールの気配がない。
時間は容赦なく過ぎて行き、ちょっと焦る。
もしこの道を間違えていたら引き返さなくてはいけないけど、もう遠くへ来すぎてしまった。
もし間違えたとしても上には道があるので出られるのは間違いない。
だが、もうすぐ夕方だ。5時までに渓を出られなかったらどうしよう?
思ってもいないとんでもないところに出てしまったら帰れるだろうか?
不安は妄想を呼び、妄想は不安を煽る。
もう、ぐずぐずしていられない、高巻きしよう!
不安に耐えきれずに次々待ちうける深い淵や滝を一気に通り越し、ゴールへ向かって進むことにした。
渓から右手の斜面を這い上がる。
岩に足が乗らず何度か滑りながらかなりの傾斜角度をよじ登っていく。
渓流釣りの時には深い淵を見下ろしながらよく考える。
釣りじゃなかったらこんな所怖くて登れないよな・・・。
深く考えると恐怖にとらわれて動きが硬くなるので考えないようにする。
登る方向だけ見ていればこれはこれで楽しい。
小学生の時はよくこんな斜面で遊んでいたものだ。
(小学校の運動場が高台にあり、斜面は自然の崖のアスレチックになっていた)
ひたすら斜面を登っていく。
いつもは考えないようにしていることが、この時に限ってムクムクとわきあがってくる。
(とりあえず尾根のようなところ、あの上まで登ろう。
上に出て上流へ行けばとりあえず道には出るだろう。)
(でも、もし間違っていたらどうしよう。
夕暮れも近い、遭難して救助隊とか出たらどうしよう?
親が心配するだろうな。迷惑はかけたくないな。)
心が不安を抱えて暴走し始める。
理性がそれをなだめる。
(だいじょうぶだよ、間違えたにしても上には必ず道があるんだから。
一晩くらいどうにでもなる。
食べ物は十分持っているし、マッチもライターもナイフもある。)
しかし、そんな言葉は心には通じない。
(どうしよう、どうしよう、帰れなくなったら。
遭難?私が遭難とかするのかな?あぁ、どうしよう??)
標高の高いところに出て、笹藪をこぎ始めると妄想はエスカレートして身体にまで影響を及ぼし始めた。
呼吸がはやくなってのどがからからになる。
興奮状態になってくるのがわかって、理性がブレーキをかけようとする。
これがパニック状態の先触れか?
(落ち着け、落ち着け!大丈夫だから落ち着けー!)
理性が声をかけても心も体も暴走を止めない。
足はからみそうなのに進むのをやめないし手は藪こぎし続ける、妄想は続く。
理性は体と心の手綱をにぎったまま引きずりまわされて西部劇みたいに地面を転がされている。
(やばい、私やばいんじゃないの!?)
そう思った時に、急に目の前にコンクリートの側溝が現れた。
その中を渓に向かって静かに水が流れ落ちている。
コンクリート、人間の印。
少し、心が落ち着いた。
周囲を観察してみると、少し下に橋がかかっている。
良く見るとそこからうっすらと道が続いている。
けもの道でないのは、幅の広さからわかる。
ほっとした。
ゴールは近い、と思った。
コンクリートの橋を渡り、道に乗ると歩くペースも落ち着いてきた。
左手の眼下にはいくつもの深い淵が見え、激しい水が落ちていくのがわかる。
きっとでかいアメゴが何匹も泳いでいるだろうが、今はゴールが先決だ。
渓の先に目をやると、ほぼ目線と同じ高さに石塀が見え始めた。
あ・・・あれは・・・!
石塀は日の光を浴びて輝いていた。
その奥には目指していた堰堤らしきものが見える。
知らぬ間に表情が緩んだ。
駆けだしそうになりながらも、ゆっくり慎重に歩を進める。
たどり着いてみると、どうやらそこがゴールで間違いなさそうだった。
緩やかな流れの脇に腰かけると、自然と笑みがもれた。
息を切らし、のどはカラカラだった。
持参したペットボトルの水を飲み干す。
動機が収まっていくのを感じて、ゆっくりと竿を出した。
ああ・・・良かった。
目的の堰堤までたどり着き、ようやく一安心できた。
興奮はなかなかおさまらずに、堰堤までの短い距離ではアメゴを釣ることはできなかったがその上の淵でその日の記録ものが釣れた。
23センチ。美しく丸々した美人だ。
今日の最後のご褒美かな。
車に着いたのは午後4時過ぎ。
日はまだ明るく、夕暮れまであと2時間ほど。
別の河原に降りてイタドリとヨモギを摘んで帰った。
転んでもただでは起きないのだ。
家に戻って、何事もなかったように魚の整理をする。
釣果は25。10くらいは逃がしているので35くらいは釣っているのかな。
渓を飛ばさなければ50くらい行ったかもしれない。
リベンジするときはもっと早くから渓に入ろう。
しかし、長くて淵や滝の多い渓だった。
どちらかといえば上級コース。
夜に地形図を手にもう一度渓相を確認した。
すると、驚いたことに渓では混乱してよくわからなかった地図が、帰って落ち着いてから見るとものすごくよく理解できた。
不安を感じていたのは本当に少しの距離だし、二股と思っていたのは単なる流れ込みであの時私は正しい道を選んでいたのだ。
今回はいろいろと反省。
人間は30センチの水でも溺れるし、道路のすぐ裏の林の中でも遭難死する。
理性はあっても体や心が言うことを聞かないこともある。
私って意外とパニックに陥りやすいタイプだったのかも?
しかし、今回の釣行はいろんな意味で非常に良い体験だった。
自分の限界を知ることは一つの指標を持てたということだからね。
どうせ行くなら釣れそうな渓にしよう。
昨年一度きりしか行ったことのないあの渓へ…。
前日に雨がやんだばかり、まだ肌寒い山の斜面を渓へと下る。
標高が高いのでまだイタドリも食べごろだ。
沢筋にはワサビ。
山菜にうずうずする心を抑えてひたすら山肌を下り、ようやく瀬に降り立つ。
準備を整え釣り上がり始めると、最初は小物やアブラハヤがぽつぽつ。
しばらくするとサイズも上がり始めた。
良いポイントでは立て続けに釣れる。
もしかしたら今日こそ尺モノゲットか?と、期待が膨らむ。
うろ覚えでのぼるこの渓のアメゴ達の形は様々だ。
朱点はオレンジ色。
黒い個体もいれば白い個体もいるし、細長いイワナのような体形のものがいると思えばふっくら丸型もいる。
それだけ渓が大きくて様々な渓相をしているのだろう。
中盤で釣りあげたアメゴは金色!?
いや、藻が付いているだけか?なんだかアメゴらしからぬ異様な様相。
ヒレもささくれて黒ずみ、百戦錬磨のツワモノを思わせる。
しかし、23センチ弱・・・ただの体調不良か?
渓を上がっていくうちに二股に出た。
あれ?
ここって・・・右だったっけ、左だったっけ?
うろ覚えの記憶をたどっても確かな答えは出ない。
とりあえず時計を見るとすでに13時55分。
渓流釣りは時間を忘れる。その上私はねばくて進みが遅い。
しかし、思ったより時間がかかっている。
とりあえずここで休憩して空腹を満たすことにした。
手作り爆弾おにぎりを食べながら地形図を見る。
ええと・・・ここら辺りから入って、二股になってる所って・・・無いやん!
そう、地形図には乗っていない流れはいくつもある。
そこは等高線を読んで察しなくてはいけない。
とりあえず高度計を見てみよう・・・って、高度合わせてきてなかった!
ちょっと不安になる。
とりあえず磁石出してみるか・・・なんとなく、川の流れの方向は合っているっぽい。
時間もないし、とりあえず野生の勘で左へ行こう。
そうそう、なんか、こんな所通った気がする。
間違ってたら引き返せばいいしね。
軽い気持ちで左へ進むことにした。
どんどん釣り上がっていく。
すでに午後2時を回っているとなると、急がねばならない。
大きな淵や滝を慎重に越えていく。
フェルト足袋の底はスパイクもフェルトも古くなって少し滑りやすい。
岩盤に枯葉が溜まっているところは一見すると地面に見えて、油断するとズルズル滑り落ち危険だ。
こんな山の中で淵に落ち込んだり滑落したりしては帰れなくなってしまう。
いやが上にも緊張が高まる。
どんどん進むが一向にゴールの気配がない。
時間は容赦なく過ぎて行き、ちょっと焦る。
もしこの道を間違えていたら引き返さなくてはいけないけど、もう遠くへ来すぎてしまった。
もし間違えたとしても上には道があるので出られるのは間違いない。
だが、もうすぐ夕方だ。5時までに渓を出られなかったらどうしよう?
思ってもいないとんでもないところに出てしまったら帰れるだろうか?
不安は妄想を呼び、妄想は不安を煽る。
もう、ぐずぐずしていられない、高巻きしよう!
不安に耐えきれずに次々待ちうける深い淵や滝を一気に通り越し、ゴールへ向かって進むことにした。
渓から右手の斜面を這い上がる。
岩に足が乗らず何度か滑りながらかなりの傾斜角度をよじ登っていく。
渓流釣りの時には深い淵を見下ろしながらよく考える。
釣りじゃなかったらこんな所怖くて登れないよな・・・。
深く考えると恐怖にとらわれて動きが硬くなるので考えないようにする。
登る方向だけ見ていればこれはこれで楽しい。
小学生の時はよくこんな斜面で遊んでいたものだ。
(小学校の運動場が高台にあり、斜面は自然の崖のアスレチックになっていた)
ひたすら斜面を登っていく。
いつもは考えないようにしていることが、この時に限ってムクムクとわきあがってくる。
(とりあえず尾根のようなところ、あの上まで登ろう。
上に出て上流へ行けばとりあえず道には出るだろう。)
(でも、もし間違っていたらどうしよう。
夕暮れも近い、遭難して救助隊とか出たらどうしよう?
親が心配するだろうな。迷惑はかけたくないな。)
心が不安を抱えて暴走し始める。
理性がそれをなだめる。
(だいじょうぶだよ、間違えたにしても上には必ず道があるんだから。
一晩くらいどうにでもなる。
食べ物は十分持っているし、マッチもライターもナイフもある。)
しかし、そんな言葉は心には通じない。
(どうしよう、どうしよう、帰れなくなったら。
遭難?私が遭難とかするのかな?あぁ、どうしよう??)
標高の高いところに出て、笹藪をこぎ始めると妄想はエスカレートして身体にまで影響を及ぼし始めた。
呼吸がはやくなってのどがからからになる。
興奮状態になってくるのがわかって、理性がブレーキをかけようとする。
これがパニック状態の先触れか?
(落ち着け、落ち着け!大丈夫だから落ち着けー!)
理性が声をかけても心も体も暴走を止めない。
足はからみそうなのに進むのをやめないし手は藪こぎし続ける、妄想は続く。
理性は体と心の手綱をにぎったまま引きずりまわされて西部劇みたいに地面を転がされている。
(やばい、私やばいんじゃないの!?)
そう思った時に、急に目の前にコンクリートの側溝が現れた。
その中を渓に向かって静かに水が流れ落ちている。
コンクリート、人間の印。
少し、心が落ち着いた。
周囲を観察してみると、少し下に橋がかかっている。
良く見るとそこからうっすらと道が続いている。
けもの道でないのは、幅の広さからわかる。
ほっとした。
ゴールは近い、と思った。
コンクリートの橋を渡り、道に乗ると歩くペースも落ち着いてきた。
左手の眼下にはいくつもの深い淵が見え、激しい水が落ちていくのがわかる。
きっとでかいアメゴが何匹も泳いでいるだろうが、今はゴールが先決だ。
渓の先に目をやると、ほぼ目線と同じ高さに石塀が見え始めた。
あ・・・あれは・・・!
石塀は日の光を浴びて輝いていた。
その奥には目指していた堰堤らしきものが見える。
知らぬ間に表情が緩んだ。
駆けだしそうになりながらも、ゆっくり慎重に歩を進める。
たどり着いてみると、どうやらそこがゴールで間違いなさそうだった。
緩やかな流れの脇に腰かけると、自然と笑みがもれた。
息を切らし、のどはカラカラだった。
持参したペットボトルの水を飲み干す。
動機が収まっていくのを感じて、ゆっくりと竿を出した。
ああ・・・良かった。
目的の堰堤までたどり着き、ようやく一安心できた。
興奮はなかなかおさまらずに、堰堤までの短い距離ではアメゴを釣ることはできなかったがその上の淵でその日の記録ものが釣れた。
23センチ。美しく丸々した美人だ。
今日の最後のご褒美かな。
車に着いたのは午後4時過ぎ。
日はまだ明るく、夕暮れまであと2時間ほど。
別の河原に降りてイタドリとヨモギを摘んで帰った。
転んでもただでは起きないのだ。
家に戻って、何事もなかったように魚の整理をする。
釣果は25。10くらいは逃がしているので35くらいは釣っているのかな。
渓を飛ばさなければ50くらい行ったかもしれない。
リベンジするときはもっと早くから渓に入ろう。
しかし、長くて淵や滝の多い渓だった。
どちらかといえば上級コース。
夜に地形図を手にもう一度渓相を確認した。
すると、驚いたことに渓では混乱してよくわからなかった地図が、帰って落ち着いてから見るとものすごくよく理解できた。
不安を感じていたのは本当に少しの距離だし、二股と思っていたのは単なる流れ込みであの時私は正しい道を選んでいたのだ。
今回はいろいろと反省。
人間は30センチの水でも溺れるし、道路のすぐ裏の林の中でも遭難死する。
理性はあっても体や心が言うことを聞かないこともある。
私って意外とパニックに陥りやすいタイプだったのかも?
しかし、今回の釣行はいろんな意味で非常に良い体験だった。
自分の限界を知ることは一つの指標を持てたということだからね。
会場では調理は可能ですか?
あと、参加人数もわかるとありがたいです。
詳しくはメールででも。
でも、もはや過去の笑い話ですが・・・。
あと2,3回こういう経験をすれば、パニックに陥らずに自分をコントロールできるような気がします。
2,3回もパニくりたくないですが。(笑)
この人たちに会うためにも渓流はやめられませんね。
ホントかな?懐疑的?(笑)
人間てやつは分かっちゃ居るけど止められねぇ~なんだよね。
一人で山に入る怖さは、都会の夜の住宅街の怖さより少ないという事だな。人工的な物の怖さは計り知れないけど、自然の怖さは想定内という訳ですね。
自然と上手く付き合えればこれ程素晴しいものは無いというこってすな。
ええ、あめごやないですか、あねご。