卯月も今日でお終い・・・・、明日からは愈々風薫る皐月ですね。 野も山も萌える新緑に彩られ一段と爽やかな季節となって来ましたよねー・・・! そこで先ずは名残の桜を冒頭に徐々に春の花の移り変わりを楽しんでいただこうと綴って参りましょう・・・!
吹く風に誘われて、ハラハラと散る桜吹雪き・・・、散り往く花びらがお判りでしょうか??そんな事で一寸古い話を・・・・、「天莫空勾践 時非無范蠡 」 鎌倉幕府北条一族の頃、後醍醐天皇は隠岐の島へ流罪になる折に、南朝の忠臣“児島高徳 が桜の幹を削りて記した漢詩の一節なのです。 “天勾践を空しゅうする莫れ 時に范蠡(はんれい)無きにしも非ず ” と、中国の故事に倣って書き記したものです。
“ 桜ほろ散る院の庄 遠き昔を偲ぶれば 幹を削りて高徳が 記す至誠の 詩(うた)がたみ” と云う古い歌などもありましたがね・・・!!
そして、時は移ろい陽光も眩しさを増し、色とりどりの躑躅の花が咲き乱れてきたのでした。
清楚な白いツツジの花も陽を浴びて嬉しそうに咲いていました。
このツツジの見事さは、S鉄道の練馬駅前にある今が見頃のツツジ公園内の種々の躑躅なのです。
本当に沢山の種類の躑躅の花が満開に咲き誇っていました、中に石楠花の花も妖艶な彩りで
負けじと咲いていたのでした。
躑躅の花ってこんなにも沢山のカラフルな色のものがあるのですねー・・・・!
園内は休日とあって、またつつじ祭りだとかで屋台なども沢山出て大勢の観賞客で大賑わい、
あちらこちらで花より団子組や、私の様にカメラで撮りまくっている人など、混雑の極みなのでした。
何とも言いようのない深紅の色合いの躑躅でしょうか・・・、豪華できれいですよねー・・・!!
今回取り溜めたツツジの絵ですが、まだまだいっぱいあるのですよ、今夜はこの辺りで置きましょう。
もうあと少しで月変わりとなりますので・・・、また次回に!!
人はいさ 心も知らず ふるさとは 花ぞ昔の 香ににほひける・・・・ 紀貫之
花の色は うつりにけりな いたずらに わが身世にふる ながめせしまに 小野小町
文章も教養・
詩情あふれて素晴らしい。
少し楽しい気持ちになりました。
いやー、しかし教養! 上の竜司さんも褒めていましたが、コウセンとハンレイですか!竜司さんの嫌いな紹興の街、当時の越国都で、ここには勾践を祀る広大な廟がありました。(既に行かれていたらご免なさい。)その腹心、范蠡、凄い顔が彫刻されていましたね。
花の好きな悠久さん、この廟には、来月行けば合歓が満開ですよ! 「雨に西施の合歓の花」。もう直ぐですね。
外のテラスで湾を出入りするフェリーを眺めながら、NZワインを傾ければ、当時を思い出すか知れませんよ。当方ブログで30年前を思い出しましたら、今年は是非また行ってみて下さい。
つつじの漢字がすらすらと書ける君達の文才には
恐れ入り、うらやましい。
君達の高尚な俳句もチンプンカンプン。www
子供のガキの頃、家のまわりに咲いていたツツジの
花の花芯から外し、花芯にある甘い密を
チュウチュウ吸って、摘み過ぎて親から怒られた
のを思い出す。こんな思い出もあるんでは。。?
子供の頃と云えば、確かに野山へ遊びに行き、喉が渇いて今と違い水筒など持っていない当時だもんねー・・!
見つけた躑躅の花の根元の甘い蜜や椿の花も同じ様に花蜜が甘かったのを想い出す・・・・(-_-;)
これらの甘い花蜜がどれだけ喉を潤おしてくれたか、本当に甘いものにも飢えてた時代だったものなぁー・・・!!
今の子供たちには想像もつかないあの時代だったんだよね。 昭和は遠くなりにけり・・・・ (ーー;)
永らくお付き合い頂きましたNZ旅行記、本日で終了となります。長い間のお付き合いと時々のコメント、どうも有難う御座いました。悠久さんの思い出の記憶のきっかけになりましたら、幸甚でした。
連休後には、途中でストップしたままのフィリピン田舎紀行を継続します。悠久さんも何回かフィリピンへは行かれていると思いますが、山下大将の最後の地とかまでは行かれていないと思います。時間がありましたら、又、覗いてみて下さい。
ですが、当方、昨日から、去年のフィリピン旅行記を再開しています。これは凄いですよ。ルソンの山奥まで行ってます。さしもの悠久さんでも、初めて見る写真が続々出てくると思います。それでも以前足を運んだ、と言われたら、当方、冑を脱ぎます。どうぞ、期待して下さい。
絢爛豪華まるで大奥の女たち
<競い合う躑躅石楠花艶やかに>
エスプリに富んだ素晴らしい詩ですね。