土、日と1泊で久し振りに修善寺温泉へ出かけて来た、昔の勤め人時代の業界仲間との懇親勉強会! 2日間ともよく晴れ渡った冬空の下、電車に揺られてのんびりと往復して来た。 初日は真っ直ぐに宿に入ったのでこれらの画像は2日目の雲一つない晴天の下でのブラリ観光の場面なのです。 先ずはメインの修善寺本堂の佇まい・・・、観光客もチラホラと参詣に訪れていました。
境内の片隅にこの様な石像が安置されていたのですが、姿恰好からして思い浮かべるのは
“達磨大師”ではなかろうかと一人考えてみたのですが・・・?
何方かご存知の方が居れば、この像の謂れなどお教え頂きたい所です・・・!
この鳥居は日枝神社入り口、修善寺に隣接し、昔は修善寺の鎮守様であったそうです。
この場所は昔蒲の冠者・源範頼が幽閉され住んでいたと云う信功院跡(現在は庚申塔のみ)があります。
この川は温泉街を流れる桂川、赤い欄干の橋の手前に見えているのがかの有名な“とっこの湯”です。
弘法大師が病の父を洗う少年に心打たれ、持っていた独鈷で川の岩を打ち霊湯を沸き出させたと
云う伝説の川の中の温泉です。
源範頼公のお墓はこの様に小さな石塔一つであまり訪れる人もなさそうな場所にひっそりと
安置されていたのでした。 彼は兄・頼朝の命に背き義経討伐を断った為に此の地で暗殺されたのでした。
桂川に並行して竹林の小路と云う散策路がありました、筆者もご多分にもれず
他の観光客同様にこの路を歩き、写真を撮ってみました。
澄み切った青空を見上げるとこんな感じで竹林が眺められたのでした。如何でしょう!!
空の青さと竹林の緑・・・・、風もなく静寂の中のひと時なのでした・・・・!
この墓地は同じく源氏の悲劇の武将、鎌倉二代将軍・源頼家が眠る墓所です。
話は前後しますが、最後の一枚は先程の日枝神社の本殿(小さいですよねー!)です。
2日目は仲間と別れて一人でこの様にのんびりブラリと修善寺の街を訪ね歩き、
気の向くままにそぞろ歩いて楽しんできたのでした。
この後循環バスに乗って修善寺駅へ戻り、伊豆箱根鉄道の電車に揺られて三島へと向かい、この日の昼食を 有名な鰻屋さんで昼食時を外して行ったにも拘らず1時間並んで念願の美味いうな重を食したのでした。
満足ぅー・・・! と云う事でお腹も満たし、三島駅から又鈍行電車で一路彩の国まで帰ってきた1泊2日の
気儘旅でした。 お疲れ様!!
処で明日20日は二十四節季の第24、大寒・・・・、寒さも一入の季節ですが、梅の蕾も徐々に膨らみ始め春の訪れも間近い事でしょう。もう少しの我慢、インフルエンザに罹らぬ様に外出から帰ったらうがい手洗い励行でこの冬を乗り切りましょう・・・・!!
当方の生まれ故郷は、この先に達磨山という見晴らしの良い山があり、そこを越えた戸田という集落です。懐かしいですね。
修善寺にしても伊豆の名刹で、そうですね、能面の修善寺物語にも出てきます。
この竹林、修善寺温泉のすこし先の遊歩道かと思います。近くには梅林もあったかと思いますが、1月では梅はまだ早かったですか・・。
達磨山は、この公園を登った所にあり、峠の見晴らし台からの富士山、駿河湾、等々の眺めは絶品ですよ。・・どうも行かれなかったようで・・。
同級生の竜司さんは、反対側の伊東に住んでいますから、事前に連絡して置けば、飛んで来たかも知れませんね。
今朝は、ハイキングへ行く直前で、十分な時間が無く、その後は、錦織が勝ち進み、少し祝い酒を飲んだ関係で、またまた、十分な返答が出来ず、今、漸く返事を差し上げています。
嵐子さんのブログにも書きましたが、宇和島は風光明媚で、気候温暖、良い土地だと思います。
良い写真ばかりですな~。
特に竹林のは気に入った。
一人旅、いいもんだろう。
我が本望とする気持ち、解って
くれたかナ?kk
こうした修善寺や、伊豆の写真を見ると、懐かしいですね。故郷を失くした一抹の寂しさもあるかも知れませんが・・