日本語は難しいですよね。
教養のある人でも、時として日本語の用法を間違える時もある。
教養云々以前の問題で、誰でも間違えるのです。
それは事実でありますが、恥じることは無いのかもしれません。
戦前と違って、戦後の小中学校での言語の授業・・・もとい、国語の授業時間数は年々削減の傾向にあり、文法に割ける時間はかなり少ないのが現状です。学校で学んでいないことを、皆ができるのだろうか?おそらく無理でしょうね。
では、学校で充分な国語の時間が割り当てられれば、皆が日本語が達者になるのか?
答は、必ずしもイエスではないでしょう。
あやまつは人の常。研がない鉄包丁がすぐに錆びるように、日本語の技能もまた自分で研ごうとしなければ、すぐに錆びついてしまうのでは。そう、私は思います。
一般に、齢を重ねた人ほど日本語が達者なのは、その生きてきた歳月を日本語を使うことに費やし、様々な書物を読んだり、日誌を書くなどして、その技能を磨いてきたからだと思うのです。
中高生の少年少女にも、このことを胸に留め置いて、若いうちから自分の技能を磨いていってほしいものです。
外国語についてなら、今更、何をか謂わんや、ですね。
あ、さて。
なぜ、このようなことをつらつら述べているかというと、file.no-21で英語歌詞の日本語訳を行ったからです。
英語の技能がまだまだ未熟なのに、かてて加えて日本語の技能もまだ未熟。
二重苦にギャフン!と言わさせられたからなのです。
自分の力不足を認めることに吝かならないとは言え、なかなかに・・・思わせられることもあるものなのです。
あ、さて。
その翻訳中に思ったのです。
日本語にはさまざまな語彙がありますよね。
例えば、うん、「水」をテーマにいくつか挙げてみましょうか。
水明かり、誘い水、水を差す、水掛け論、水盃、水向、水餅、水端・・・。
いかがでしょう、これらの語の意味するところをご存知でしょうか?
戦前・戦中時代の人ならともかく、戦後の人では、なかなか目にすることの無いものばかりです。明治期に書かれた本を読んだりすると、目にするものばかりですが。
これらの言葉を、英語に訳せと言われたら、熟練の翻訳者の人でも困るのではと思います。込められた意味を、どう他の文化の言語に訳せばいいのか?上記の水に関係する言葉自体、日本というかつて豊かだった水によって醸成された日本独自の「水文化」によって培われたものなのですから。もし、テキサスの乾燥した大地に住む人に、こんな言葉を使おうとしたら、言葉に詰まってしまうのではと思います。
言葉に込められたイメージ、あるいはメッセージ。
これを「言葉」ではっきりと表現するのは、なかなか難しい。
ですが、これを「心」で感じるのは、ある程度は易しいのではないでしょうか。
あまり良い言い方ではないでしょうが、人によってさまざまにイメージを受け取ってほしいときなどに、他の文化の言葉を用いるのは上策であるかもしれません。
私が、試みた英語歌詞にしても、訳詩は他の人たちが様々に解釈して、いろいろなサイトに掲載しています。それを可能にしているのが、私たちから見た英語という「他の文化の言葉」なのだと思うのです。
言語って、おもしろいですね。
教養のある人でも、時として日本語の用法を間違える時もある。
教養云々以前の問題で、誰でも間違えるのです。
それは事実でありますが、恥じることは無いのかもしれません。
戦前と違って、戦後の小中学校での言語の授業・・・もとい、国語の授業時間数は年々削減の傾向にあり、文法に割ける時間はかなり少ないのが現状です。学校で学んでいないことを、皆ができるのだろうか?おそらく無理でしょうね。
では、学校で充分な国語の時間が割り当てられれば、皆が日本語が達者になるのか?
答は、必ずしもイエスではないでしょう。
あやまつは人の常。研がない鉄包丁がすぐに錆びるように、日本語の技能もまた自分で研ごうとしなければ、すぐに錆びついてしまうのでは。そう、私は思います。
一般に、齢を重ねた人ほど日本語が達者なのは、その生きてきた歳月を日本語を使うことに費やし、様々な書物を読んだり、日誌を書くなどして、その技能を磨いてきたからだと思うのです。
中高生の少年少女にも、このことを胸に留め置いて、若いうちから自分の技能を磨いていってほしいものです。
外国語についてなら、今更、何をか謂わんや、ですね。
あ、さて。
なぜ、このようなことをつらつら述べているかというと、file.no-21で英語歌詞の日本語訳を行ったからです。
英語の技能がまだまだ未熟なのに、かてて加えて日本語の技能もまだ未熟。
二重苦にギャフン!と言わさせられたからなのです。
自分の力不足を認めることに吝かならないとは言え、なかなかに・・・思わせられることもあるものなのです。
あ、さて。
その翻訳中に思ったのです。
日本語にはさまざまな語彙がありますよね。
例えば、うん、「水」をテーマにいくつか挙げてみましょうか。
水明かり、誘い水、水を差す、水掛け論、水盃、水向、水餅、水端・・・。
いかがでしょう、これらの語の意味するところをご存知でしょうか?
戦前・戦中時代の人ならともかく、戦後の人では、なかなか目にすることの無いものばかりです。明治期に書かれた本を読んだりすると、目にするものばかりですが。
これらの言葉を、英語に訳せと言われたら、熟練の翻訳者の人でも困るのではと思います。込められた意味を、どう他の文化の言語に訳せばいいのか?上記の水に関係する言葉自体、日本というかつて豊かだった水によって醸成された日本独自の「水文化」によって培われたものなのですから。もし、テキサスの乾燥した大地に住む人に、こんな言葉を使おうとしたら、言葉に詰まってしまうのではと思います。
言葉に込められたイメージ、あるいはメッセージ。
これを「言葉」ではっきりと表現するのは、なかなか難しい。
ですが、これを「心」で感じるのは、ある程度は易しいのではないでしょうか。
あまり良い言い方ではないでしょうが、人によってさまざまにイメージを受け取ってほしいときなどに、他の文化の言葉を用いるのは上策であるかもしれません。
私が、試みた英語歌詞にしても、訳詩は他の人たちが様々に解釈して、いろいろなサイトに掲載しています。それを可能にしているのが、私たちから見た英語という「他の文化の言葉」なのだと思うのです。
言語って、おもしろいですね。