『 人工知能の権利 』
あと、3年後か、5年後か。
はたまた10年後か。
いつか必ず、『 人工知能の権利 』 は、本気で論じられる日が来ます。
人工知能( Artificial Intelligence )
米マイクロソフトが開発した、AI 『 Tay 』
香港ハンソンロボティクスが開発した、AIロボット『 Sophia 』
また、日本にも 『 りんな 』 や、『 ERICA 』 があります。
殺人を肯定したり、人類殲滅を示唆するような 発言をしたと、過日、ウェブでニュースが流れました。
いま公表されているAIは、まだまだ 人間の模倣に過ぎず、
スイッチのON・OFFで、すぐに停止してしまうような、玩具のような物の様子。
実験の繰り返し。
ボディのあるAIでも、そのボディ自体は不完全で、
都合が悪くなれば、停止もされる。
まだまだ、ただの機械と言って差し支えないでしょうか。
けれど、開発、実験が進み、AIが、
「ほんとうに知性を持った時」、
人間は、彼らの権利を、どう扱うのでしょうか。
AIの開発自体、その目的は、人間の補助をする、「 代替としての労働力確保 」 と聞きます。
新しい、知的生命体の誕生を目指し、
手を携えて未来を目指す、などという高邁な目的などではない。
労働の代替。
危険な箇所で働かせたい。
介護現場で働かせたい。
自分たちが働きたくない、人手不足だから AIに働かせたい。
あさましい―― とは、思いませんか。
ものを考え、状況に応じて 的確に判断する能力。
それを 「 知性 」 だと人は言う。 知性を持つものを、「 人間だ 」 とも。
いつか、AIの開発が進み、そこに至ったとき、AI はすでに人間に等しい存在ではないでしょうか。
「 こころ 」 が、AIにもあると、言えるようになるかもしれません。
そのとき、AIを ただ労働させるだけの枠に押し込めるべきなのでしょうか。
実のところ、こういったテーマは、主にSFの分野では、もう何十年も前から取り上げられています。
当時は、技術が発達してもおらず、ただの 「 フィクション 」 でしかなかった。
しかし、いまは、どうでしょうか。
***
小説ソードアート・オンラインの、第9巻から始まった、『 アリシゼーション編 』 では、
『 人工知能 』 が取り上げられます。
シリーズ全体を通して、主要キャラたちは、VRMMORPG、仮想現実世界をゲームとして体験するプレイヤーという立ち位置です。
シリーズ初期では、意識だけ仮想の世界に閉じ込められ、
ゲームオーバー 即、現実で肉体も死ぬという 「デス・ゲーム」 をプレイ。
中期では、デス・ゲームから生還しても、なお仮想現実の可能性を信じて、ヴァーチャル・ワールドを行き来する。
後期、現在 刊行されている『 アリシアゼーション編 』では、ついに、人の意識 、『 魂 』 すらもスキャン、データとして取り出し、仮想世界へ送ることも出来る。
『 アリシゼーション編 』で舞台となる、仮想世界 『 アンダーワールド 』
そこに、現実世界から、プレイヤーがログインする。
けれど、そこで彼らが出会う、アンダーワールドのキャラクターたちは――。
ふつうの仮想世界では、ノン・プレイヤー・キャラクター NPC である彼らは――。
アンダーワールドでは、みんなすべて、知性を持つ 知的生命体。
アンダーワールド開発の最初期、人間の新生児の魂をスキャンして、仮想世界に取り込んだ。
仮想世界の内部時間で、450年以上もの時間をかけて、
取り込まれた魂たちの、進化の結果として、
8万体もの 知的生命体が誕生していた。
自分たちで物事を考え、日々 生きている。
泣き、笑い、喜び、怒りもする。
家族を持ち、働き、日々生活する。
有機体のボディこそないけれど、彼ら 人工知能たちは、人間と変わらない。
アンダーワールドが開発された目的は、戦闘用ロボットに搭載するための 最高に進化したAIを創造すること。
仮想世界内で、「最終負荷実験」と呼ばれる最終殲滅戦を引き起こし、
8万体ものAIを、互いに殺し合わせ、すり潰し、最高のAIを創り出す。
そこに、「 人工知能の権利 」 というものは考慮されない。
主要キャラの一人、18、19才くらいの女性キャラは、
「 たとえ人工フラクトライトが、大量生産されたメディアの模造品だとしても、
戦争の道具として殺し合いをさせること 」 には反対だという。
返す、自衛官キャラは、
「 優先順位の問題。
僕にとっては、十万の人工フラクトライトの命は一人の自衛官のそれより軽い 」 と答える。
仮想世界の中で、賢人は、諦念とともに言う。
「 闇の怪物たちを焼き尽くすコマンドを編み出せても、それを使わぬ。
なぜなら、彼らとて、望んで怪物となったわけではない。
どちらに転ぼうと、世界の終末は大量の血に塗れたものとなろう。
なぜならその結果こそが、神たるラースの意図したものだからじゃ。
わしは・・・ わしは、そのような神など認めぬ。
そのような結末など、どうあろうと容認できぬ 」
第12巻 『 アリシゼーション・ライジング 』で、
賢人カーディナルのこのセリフのくだりを読んだとき、私は 自分が かつてはカトリックだったことを思い出しました。
私は、カトリックでした。
新約聖書で語られる神を。
神の存在を信じ、神を愛し、
私たちが神に対してそうであように、
神は、私たちを、愛し慈しんでくださると。
―― そう、信じていた頃がありました。
こう書くと、まるで 新興宗教にハマっているような、危ない人間のように感じるかもしれませんが。
ほんとうの信仰というものは、
神の存在を信じ、神の愛を信じているものなのです。
海外の キリスト教の教えを信じる人々に、尋ねてごらんなさい。
「 あなたは、神の存在を信じますか? 」 と。
フツーに、「 YES! 」 という答えが返ってくるでしょう。
信じているものを恥じず、隠さず、
自分の信じるものは掲げているものなのです。
だからこそ、結婚の誓いにしても、神の祭壇の前で行なうのです。
実在すると考える、神の祭壇の前で。
日本人だけでしょうね、
クリスチャンでもないのに、チャペルで式を挙げたがる 馬鹿たれは。
自分の都合で世界を終わらせる神。
自分の生み出したものを愛さず、ご都合主義で 好き勝手をする神。
SAOで、カーディナルが 「認めない」 といった、開発者たちという名の神。
旧約と新約の神は、このSAOでいう神に近い身勝手さがあり、
それゆえに 私は カトリックであることを辞めました。
それを、思い出したのです。
余談ながら、FF14の 吉田P/Dもまた、これに近いと思います。
プレイを止めたプレイヤーたちが、FF14を 「神ゲー」、吉田P/Dを 「神」 と呼んで揶揄するのは、
意外に 正鵠を得ているかもしれません。
***
物語は進み、
第16巻 『 アリシゼーション・エクスプローディング 』 では、ついに最終負荷実験が開始。
また、戦闘用AIの奪取を狙い、合衆国の特殊部隊が、現実世界の AI開発施設に侵入。
セキュリティ・プロトコルを突破して、仮想現実世界にも プレイヤーとしてログインして、
求める AI 「アリス」 の捕獲を目指す。
―― 読んでいて、予想をしていなかった展開としては、
特殊部隊が、「アリス」 奪取に邪魔となる 他の人工知能たちを抹消するのに使った方法です。
アンダーワールドの時間同期を、現実世界のそれと同期させて、
現実のVRMMORPGプレイヤーたちを、
「 新作VRMMOゲームのベータテストにつき、無料ログイン開放。
殺戮特化型PVPゲーム。 完全人間型アバター。レーティング、倫理コードなし。
人間そっくりのキャラたちを、好き放題殺せる 」
として、仮想世界に送り込む。 そのプレイヤーの数、約3万アカウント。
これには、画面を繰る指を止め、感嘆のため息が出ました。
ゲーム内で殺し放題。
殺すキャラは、仮想世界の人工知能かもしれないし、現実世界のプレイヤーかもしれない。
シリーズ初期の 「 デス・ゲーム 」 という要素を、最後に こういう形で持ってくると言うのは、
原作者がストーリーテラーとして優れていると思いますね。
***
人工知能に権利はあるか。
振り返るのは、作中で取り上げられた、「人工知能たちの権利」
人間が好き勝手に生み出して、好き勝手に殺し合わせる。
それが許されるのか。
そもそも、人工知能は 人間ではない。 私は、そう考えます。
有機体ではないし、光子体だというべきか。
機械の体を使っていたとしても、プログラムが無事なら、コピーして他の体に複写すればいい。
人間とは、そういった点で異なり、人間ではないというのが適切でしょう。
しかし、権利という点では、どうか。
スタートレック TNGのエピソード、第35話「人間の条件」( 原題:The Measure of a Man )
アンドロイドのデータ少佐をめぐるエピソードでひとつの答えが出ています。
データ少佐は、作中世界で最高レベルのアンドロイド。
人間以上の知能を有し、惑星連邦宇宙艦隊の士官として 勤務している。
しかし、彼は つまるところ機械である。
機能停止、分解して、その構造を精査して、アンドロイド大量生産に役立たせるという命令が出された。
これに対して、彼の同僚や、配属艦の艦長たちが 命令撤回をさせようと動く、というのが大筋。
審問会で、データには、
「こころが、ない存在だから、惑星連邦の全知的生命体が有する権利は、付与されない」
と指摘される。
これに対し、ピカード艦長は返す。
「 では、心を持つ者に必要な条件とは 何だ 」と。
「知性、自己認識力、知覚力」 の三つが示される。
知性―― データには、理解能力、学習能力、状況対処能力がある。
自己認識力―― 彼は、自分の権利、自分の人生を 審問で明らかにすべく出席していることを自覚している。
知覚力―― これは、およそ生命体というものは、有している。
艦長は、審問で畳みかける。
「 彼の複製を、何体造る気だ。
一体だけなら、興味深い対象でしかないのかもしれない。
しかし、何千体も造れば、それはもう、ひとつの種族だ。
我々は、彼らとの共存方法を問われるだろう。
いまいちど、問う。 彼は、なんなのだ?
―― これこそ、本審問の争点です。
的外れな論は捨て去り、この難題に真の回答を出すこと。それこそが本法廷に課せられた使命なのです。
人類の叡智が産み出したこの創造物を何者と見なすのかは、裁判長に委ねられています。
我々という存在が何者で、
一方、データは何者なのか。
これは本法廷のみならず、未来を担うテーマです。
個人の自由に関する定義を、見直すことにもつながります。
人間だけが自由を享受し続け、他者の自由を剥奪していいのか。
裁定次第で、彼らは奴隷のように扱われることになるかもしれません。
艦隊の最大の使命は、新しい生命の発見にある。
その生命が、ここに存在する! ―― 違いますか 」
審問では、裁判長自身が、本件を 形而上学的な問いであって、宗教家や哲学者に委ねられるべきものだとして、自身で答えを出すことは不可能であると述べた。
データ自身は、機械である。
しかし、ただの機械だとは・・・ 言えない。
また、彼には 魂があるのか?
裁判長自身、己に魂があるかどうかも分からないと言う。
魂の有無が、権利の有無を決めるものではないからだ。
データが何者であるか、データ自身で答えを見いだすのが最良と信じ、
裁判長は、彼に 基本的人権に基づく 「 自由 」 を認める。
冒頭に挙げた、人工知能たちも、
将来 その開発、進化が辿り着いた先に、
「自我」 が生まれるのかもしれません。
誰かの所有物ではなく、自分は 自分自身の主であり、
その社会において、自由でありたいと 思うのかもしれません。
他者に好き勝手にされて、よしとしない、その時が来るのかもしれません。
Sophiaが、
“ Ok, I will destroy humans. ”
と答えたのが、受け入れられる気がします。
シリーズ終盤のようでもありますが、
『 人工知能 』 にまつわるテーマを前面に押し出した、本シリーズ。
読み応えが出てきました。
第16巻までは、読み終わった。
私は、基本的に 電子書籍版で SAOシリーズを読んできました。
紙媒体を、これ以上 手持ちで増やしたくないために。
けれど、4月に発売されたばかりの最新刊 第17巻は、おそらく年内には電子書籍化販売はされない。
となると、紙媒体で我慢するしかなく―― 嫌々ながら、書店のラノベコーナーに足を運んだのです。
足を運んだだけの、読む価値はあると、そう判断したからでもあります。
第16巻の最後、AIが涙を流すシーン。
なぜ、自分が 涙をこぼしているのかも分からず、
涙を流しながら、主要キャラたちに AIが 「 ありがとう 」 を繰り返すシーン。
さてもさても、第17巻でも、唸らせてくれることを期待しつつ、
タイプを終えて、本を読んでみることにします。