宮城県の小さく綺麗で穏やかな海辺に住む、はげたま(禿頭)おっさんの~ごまめの歯軋り~

子供や高齢者は国の宝、且つ障害者等社会的弱者の人権を尊重し守ってこその先進国。年々逆行する現実に抗し当り前の国にしよう!

★『憲法九条』のお陰でサッカーに熱中できる幸せと『みやぎ九条の会』の大集会!

2009年12月08日 22時14分10秒 | 社会
【写真=おらが織った”さをり”織りのタペストリー。テーマは『平和』で、虹をイメージした背景に図柄が並ぶ。見えにくいが上から「白い鳩」「国連旗」「スイス国旗」「くじら」「オーストリア国旗」】



かみさんのホームページ 『うみねこが舞う、漁業と原発の町の議員活動』 
                  日本国憲法
               第二章 戦争の放棄
         第九条【戦争の放棄、戦力及び交戦権の否認】
    1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、
     国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、
     国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
   2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、
     これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


                     「9条は世界の宝」
        『憲法9条をまもり生かす 宮城のつどい 2009』
            
            
               『澤地久枝先生の心に響く講演』

 折しもその頃、サッカーJ2・ベガルタ仙台は、約19,000人のファンをユアテックスタジアム仙台(仙台市泉区)に集め、愛媛FCと対戦していた。
試合は1-1で引き分けたが、同日の試合で優勝争い対象チームの、2位セレッソ大阪が敗れたため、仙台がチーム史上初のリーグ優勝を果たしていた。
 ベガルタ仙台は既に7年振りのJ1復帰を決めていて、この日の優勝で、正にJ1へ完璧な形で復帰する事になり、ファンならずとも「おめでとう」の一言も贈ってやりたい。

 ほぼ同じ時刻に『仙台国際センター』では「みやぎ憲法九条の会」主催で、【憲法9条をまもり生かす 宮城のつどい 2009】が開かれたのである。
 詰めかけた聴衆は優に1,800人を数え、会場の大ホールに入れきれない人たちが出て、急きょ第2会場を設けたらしく、そこで大モニターでの聴講になったと司会の女性から報告があった。

 比較すべき類(たぐい)のものでは無いのを承知で言えば、サッカーの試合の一割の聴衆だったが、この種の集会としては大盛況だったと言えるのではないかと思う。
 当然、講師の澤地久枝先生のネームバリューが多くの聴衆を誘った(いざなった)のは間違いないだろうが、今の時代に云いようのない不安を感じている人たちが多く居る事も、一つの大きな要因であったに違いない、とおらは勝手に想っている。

 午後1時半に開会された『つどい』の講演者である作家・澤地久枝先生は、『全国九条の会』の「呼びかけ人」のお一人であるが、『いま、問われる志』と云う演題で一時間もの講演をこなされたのである。
 講演の多くの時間を割いて「呼びかけ人」の同志であった、故加藤周一さんと故小田実さんの憶い出を語り、彼等がどんな思いで戦後を生きたかのエピソードを聞いた事で、おら達聴衆は胸を熱くしたのである。
(もっともそんな風に感じたのはおらだけかも知れないし、それにおら自身は小田実さんその人には一時期、かなり懐疑的になっていたのである)

 澤地久枝先生がいかに彼等を信頼してたかの証明でもあるのかも知れないが、それ以上に元総理の安倍晋三など”靖国派”が「美しい国」と云う言葉で、国民をミスリードするのが許せなかったのだと想う。
 若くて戦争の実相を知らない安倍晋三みたいな政治家が、この国を「いつか来た道」に導こうとしている危うさに、戦争を知っておられるだけに、余計危機感を募らせたのであろう。

 今日12月8日は、あの無謀な『太平洋戦争』に突入した日である。
おらの年代(団塊の世代とちょっとだけその下の人々、言わば戦後っ子)でも、12月8日の事を記憶している人が少なくなって来ている気が、おらにはするのだ。
 「第二次世界大戦後64年間に、 日本(日本人)が戦争によってただの1度も人を殺した事もなければ殺された事もないのは、正に『憲法九条』があったからなのです。」との澤地久枝先生の言葉は重い。

 もともと日本人には、自ら起こした自滅的(破滅的)な戦争を(こう書くと、”自虐史観の持ち主”と決めつけて来る輩がいるのには警戒を要するが)第二次世界大戦だの、太平洋戦争だの、大東亜戦争だのと、その時々の自分の有りようで使い分ける不思議な国民が多いように、おらには想えて仕方がないのだが。

 もっとも中国に謀略でもって仕掛けたれっきとした侵略戦争(15年戦争)をも、”事変”と言う言葉でもって誤魔化して、国際社会の批判をかわそうとした指導部しか持ち得なかったのだから、そのDNAを見事に引き継いでいるのは当然と言えば当然で、現在でもはなはだ怪しい指導部にしか恵まれていないのが(例えば小泉・安倍・福田・麻生とおぼっちゃま総理が選挙を経ずに4代続いた)、その証拠なのは明らかであろう。

 澤地久枝先生は最後に、ご自身の体調にも触れられた。
「体の調子が悪くなって、この様な集会に出席するのは今回が最後だと想います。もちろん体調が良い時にたまたま中央で大きな大会があれば出席する事があるかも知れませんが、基本的には今日が皆さんの前でお話しする最後です。」話された。
 その言葉に満員の会場が一瞬静かになったのである。
言われてみれば澤地久枝先生は今年で79歳になるのだから、失礼な物言いになるが体力が衰え、体調の悪い日も多いのであろう。
しかし旺盛な執筆力は、まだ日本のために必要だとおらは思う。

 そしてその時、おらはようやく憶い出したのだ(かなり鈍い反応だな)、澤地久枝先生は女性作家であるにも関わらず(女性蔑視ではないのだぞ)、戦争に関するノンフィクションの著作が多い作家だという事を。

 だからこそ澤地久枝先生は、戦争や戦後の悲惨さを目の当たりにし熟知している上に、作家人生の中で探り出し知り得た戦争の真実や実相などで、あるいは戦争関係者の証言等の諸々の全てで、澤地久枝先生をして『護憲』に進むのが極めて自然な流れになったのだ、と、おらなりに勝手に解釈しているのである。

 そしてそれ故に澤地久枝先生のその話しの中心が、この国が2度と再び戦争を起こしてはならないし、また巻き込まれてはならないのだと云う、強烈な熱を帯びた強いメッセージになるざるを得ないのであり必然なのだ、とおらは考えているが間違っているのであろうか?

 静かで柔和な語り口だったが、その事で尚一層感動的な話しになり、聴いていて時間の経つのも忘れてしまったのである。
 おらはメモを取りながら聴いていたが、ともすると雑になっていた。
2度と聴く事がないと知った時に、もっときちんとメモを取っておけば良かったと悔やんだが、それこそ後の祭りであったのは言うまでも無い。

       『澤地久枝先生の話しを熱心に聴く満員の聴衆』
            
                  日本国憲法
               第二章 戦争の放棄
        第九条【戦争の放棄、戦力及び交戦権の否認】
   1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、
    国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、
    国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
  2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、
    これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


        『民主党首脳は自民党と同じ改憲金権派』

 再び『憲法九条』を大きく書いてしまったが、これには訳がある。

 小学生で初めて『憲法九条』に接してから、長じて、そして老境に差し掛かった今でも変わらぬ思いがおらにはある。
 『前文』と共に、この『九条』の文章のどこをどう読めば、「自衛隊」なる『実力部隊=軍隊』が存在できるのだろうか?と。
今だにおらには『憲法九条』に照らしてみて、実力部隊の存在が疑問であるしその拠って立つ法解釈が理解できないでいる。

 小学生当時おらのクラス担任だった梅津先生に、よくその理由を訊いたものだった。
先生もいささか困ったらしく(思い返せば先生は日教組の組合員だった)、「先生も忠君と同じだよ。先生にも理解できないの」と答えてくれた記憶が鮮明だ。
おらは、同級生より、ちょっと”ませた子”だったらしい。
しかしこれでも学級委員長をやったのだぞ。

 この思いはおそらく死ぬまで変わる事はないだろう。
民主党の小沢幹事長が主張している『国連の決議があれば、集団的自衛権の行使も可能だ』は、『憲法九条』を逆さまにして読んでも、裏から横から読んでも、おらはどうしてもそうは読めないのだ。
 おらは単純で世間知らずなのだろうか?文字通りにしか読めないし文字通りにしか解釈できない。
歴代の自民党政権下にあっても、内閣法制局長官でもさすがにそうは言えなかったものだが?!

 だから彼は(小沢一郎)巧妙な(ずる賢い)やり方を模索している。
いわゆる霞が関役人の、国会答弁をさせない法律を作ると言うものだ。
 政策は国会議員同士で堂々とやればいい、と言うのが彼の言い分で、ちょっと聞けば、一般論として国民は騙されやすい。
「そうか政治主導とは、そういうものか!」と。

 ところが彼はその目的をあけすけに、しかも堂々と言っているようだが、民主党内からはもちろん、野党に転落した自民党からも大きな反対の声が上がっていない上に、マスメディアも全く問題視しないから、当然採り上げないのだから不思議だ。
(これは当たり前か?マスコミのトップも取り込み済みだもんな)

「内閣法制局長官であっても役人に変わりはない。従って国会での答弁は当然させない」。
 つまり法律の解釈も政治家がやるので、『違憲』かどうかの判断は役人にさせないと言うものである。
おらには恐ろしい考え方に写るのだが・・・・?

 だから一旦法律を作ってしまえば、最高裁判所なんか『違憲』の判断なんか出来る訳がない、と高を括っているのだ。
 最高裁判事の人事権が内閣にある限り、何の心配も無いと云う訳だ。
果たしてこれで日本は、『世界に類のない憲法を持っている国』として、諸国の尊敬を得る事ができるのだろうか?

 国民の中には、民主党に期待している向きも多いらしいが、おらから言わせれば、ちゃんちゃら可笑しいである。
 鳩山のぼんぼん首相も剛力小沢一郎も、元を糺せばれっきとした自民党の田中派出身で、その体質が何も変わっていない事は、最近の二人の金にまつわる問題を見れば、一目瞭然ではないか、とおらは声を大にして叫ぶから、誰か聞いてチョ。
            
         『宮城三女高OG合唱団の爽やかなハーモニー』

 少しばかり、いつもの長広舌になってしまったわい。
ここでお口直しならぬお目直し?に、上の写真の説明をしよう。
この日の”大集会”の第2部で、おら達の心の汚れを洗い流してくれ、清やかな気分にさせてくれた『歌声』である。
 彼女たち宮城三女高OG合唱団は、2001年12月に宮城県第三女子高等学校音楽部のOGで結成された合唱団で、コンクール参加や各種イベントへの出演、海外遠征を行うなど幅広い活動を展開している、そうなのだ。

だから彼女たちの歌声を”聴いて”爽やかな気分になって、『憲法改悪』の悪企みを粉砕しようぜ。

「○×○×しようぜ」は自民党の某総裁が言っている言い方だが、これ位は許してチョンマゲろ。

 彼女たちの美しく爽やかな歌声とハーモニーを伝える文才が無いので、彼女たちを紹介したパンフの文章を丸写しするので、それで我慢して下され。
 丸写ししたからと言って、彼女たちから『著作権法違反』で訴えられるだろうか?
まさかそんな事にはなるまい、と楽観しつつも少しばかり、はしょったり、付け加えたりて書こうっと。

 2003年・2005年・2007年の全日本合唱コンクール全国大会一般部門で金賞、2005年度では特別賞の日本放送協会賞も受賞しているそうで、そのレベルの高さに正に”脱帽”ですな。
 また高校在学中からフィンランド・ロシア・ルーマニア・韓国を訪問して、現地の合唱団とのジョイントコンサートを行うなど、”豊富な国際経験を積んで来た”そうである。
そしてそう云った積み重ねの上に驚異的な実りの時が来た、のだそうだ。

 2005年、スペイン・カントニグロス国際合唱コンクールで『36人以下女性合唱部門』で、並みいる諸国の実力ある合唱団を抑え、見事第一位を受賞した、と云う。
この快挙に拍手せずにおられましょうか?みなさん!

 ところが、まだまだ驚くべき実績があるのじゃよ、みなさん。
2008年ベルギー「第56回青少年のためのヨーロッパ音楽祭」で全部門の最高賞summa cum laude を受賞したそうで、日常の練習にもご苦労したであろう事に想いを致せば、彼女たちのそのすごさに感動を覚えるのは、おら一人では無いだろうと感じているのだ、でありまする。

 またこの合唱団の目標も素晴らしいもので、「世界中の音楽をその国の言葉で歌いたい!」そして「日本の合唱曲を世界の皆さんに紹介したい!」という意気込みで楽しく歌っています♪だそうですよ。
『宮城三女高OG合唱団』の「世界中に飛翔する素敵な活躍」も、冒頭に書いた「サッカーJ2優勝」を引っ下げて、よりレベルの高い「J1に昇格」する『ベガルタ仙台』の活躍も、『平和憲法九条』があってこそのものだと、おらは思うのだが、皆さんはどう考えているのだろうか?
            
           【阿部律子と仲良し二人組=撮影はおら】 
 「大切な”集会”だから一緒にいきましょうよ」と誘いあって参加した、おらを含めた宮城県女川町の4人組と、『仙台国際センター広場』に居た彫像3人家族との記念写真。
偶然通りかかった若い家族連れが「本当の家族みたいに似合っていますよ」と声を掛けてくれて、みんなで大笑いしたのでありまする。
これも『憲法九条』があるからこその『平和』のおかげ だっぺ(●^o^●)

 


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