かみさんのホームページ『うみねこが舞う、漁業と原発の町の議員活動』
チリに奇跡を呼んだ一人の男
地球の反対側の国、チリと日本
日本から見て地球の裏側にある国チリ。
別にチリには何の恨みも無いが、だからと言って、私達三陸沿岸に住む人間には、油断のならない国名であるのだが、何故か。
今年の2月、日本時間の27日午後3時34分頃、チリ中部沿岸を震源とするマグニチュード8.8の巨大地震が発生した。
地震に伴う津波は、広大な太平洋を超えて日本に襲来したのである。
気象庁は翌28日の朝に、青森、岩手、宮城の3県三陸沿岸に大津波警報を出し、その他の太平洋沿岸地域にも津波警報などを発令したのだ。
私の住む三陸沿岸最南端部に位置する女川町は、28日午後4時半過ぎに、堤防を超える津波に襲われ(A)養殖イカダを中心に大きな被害を出し、町中心部も冠水した。
そして(B)日本共産党宮城県地方議員団は、被災者への支援を要請した。
その後(C)宮城県独自の支援策 や、(D)女川町独自の支援策が出されたのである。
驚愕のニュースが全世界を駆け巡る
しかし8月22日、驚愕のニュースがチリ発で全世界に流れて、たちまち全世界の耳目が、名も知られていない銅鉱山に集中したのである。
8月5日、チリ北部コピアポ郊外のサンホセ鉱山で落盤事故が発生したが、当初は残された鉱山労働者の生存は、ほぼ絶望視されていた。
ところが事故発生17日後の22日になって、奇跡的に33名の鉱山労働者の生存が確認され、一躍世界的な大ニュースになったのである。
しかも鉱山労働者のいた場所は地下700メートルで、気温は32℃以上もあり湿度も高く、避難所があり水の備蓄や通気孔があったとはいえ、過酷な状況下の奇跡的な生存だった。
それ以後は連日報道されたから詳しい方が多いと想うので、私なりの観点で彼等の希望を棄てなかった、人間としての本物の尊厳と勇気を讃えたいと思う。
迅速だったチリ政府の対応
まずチリ政府が面子に掛けても全力で救出に動いたのは当然だが、それ以上に政府が全世界に向けて速やかに救援を頼んだのは、隠れた勇気だったと見る。
ドイツ製やオーストラリア製、中国製など各国の機材や日本製の器機など以外にも、閉じ込められた労働者のメンタル面を考慮して、アメリカNASAの専門家も呼んだという。
緊迫した中でのデリケートな精神面への対処が、彼等の救出に大いに貢献した、とも言われている。
私はチリという国がどの程度豊かなのかは知らない。
ただ1970年の大統領選挙で、人民連合のアジェンデ大統領が社会主義政権を樹立し、世界初の民主的選挙によって成立した社会主義政権であったが、僅か3年後にアメリカの支援を受けたピノチェト将軍のクーデターによって、アジェンデ大統領が死亡した。
ピノチェトは軍事独裁体制を敷いて人民を圧迫したと記憶している。
1990年、チリは17年ぶりに民主的な文民政権に移管したが、民政移管後の事は複雑過ぎて私は知らない。
ところで今回の大事故でチリ政府(ビニェラ大統領)は、ある意味したたかな政治的計算をもしていたように見えた。
鉱山労働者で唯一のボリビア人、カルロス・ママニさん(24)=4番目に救出=をめぐって、チリとは正式な国交のないボリビアのモラレス大統領もかけつけたが、この機に両国の関係改善が一気に進展するのでは、との見方があるらしい。
またピニェラ大統領は、救出成功の熱気の中で生まれたチリに対する良好な印象を最大限に活用し、欧米で根強い軍政時代のマイナスイメージから脱却を図りたい考えも秘めている、と思われているらしい。
奇跡を呼びこんだ心優しい男ルイス・ウルスア
話しは救出劇に戻るが、今回の奇跡の救出劇は、現場監督だったルイス・ウルスアさん(54)抜きには語れないし、全世界のリーダー達が彼の類稀な統率力を絶賛している。
しかしそれ以前の17日間に及ぶ絶望的な状況下での奇跡的な生存に、光が当てられる日がいつか来るだろう。
我が国の何とか総理に爪の垢でも呑んで欲しいものだが、如何だろう。
全員の救出に成功し、救助スタッフも全員地上に出て、人類史上空前のミッションは終わりを告げた。
そして70日にも及ぶ地下生活の様子が、徐々に報道され始めている。
リチャルド・ビジャロエルさん(26)が地元メディアなどに語ったところでは、8月5日に落盤事故が発生した数日後、2回目の落盤が発生し、坑内は真っ暗になって地上と完全に遮断されたという。
「私たちはただ死を待つだけだった。消耗し続け、やせこけていった。」と証言しているという。
33名の鉱山労働者たちは地下にあった食糧を、2日おきに小さじ2杯分のマグロの缶詰と牛乳1口、ビスケットを口にするなどして、分け合って飢えをしのいだとされていたが、実際には牛乳は賞味期限が切れ、何とか見つけた水も石油の味がしたという。
当初はお互いを良く知らない33人で、幾つかのグループに分かれていて、もめごともあり、殴り合いになることもあったというが、極限の状況下にあったのを考慮すれば頷ける。
しかし、現場監督だったルイス・ウルスアさん(54)の強い励ましと指導力に、次第に友情が生まれたという。
フアン・イジャネスさん(52)は「最初はただ悪夢だったが、少しずつまとまっていった」と振り返り、別の労働者は、具合の悪くなった労働者に対しては、他の労働者が手を握り続けたことを明らかにしたという。
この時点でもう強固な連帯意識が、生れていたのだろう。
ルイス・ウルスアさん(54)の名は今後、全世界で永い間語り継がれていくだろうし、多くの本などを産むだろう。
そして先にも書いたがやがて明らかになるであろう最初の17日間。
死を意識した絶望的状況下で、32人にいかに生への執着心を芽生えさせ、争い諍いを治め、喰うに足りない喰い物や水を分かち合えたのだろうか。
どうやって生還の可能性を信じさせたのだろうか。
彼は神を見ていたのだろうか。
彼は言い続けたという。
「助けが必ず来る。絶対に希望を失うな」と。
世界中が感動の中で見た、奇跡の最終章
33名の奇跡的生存を経ての救出劇現場には、世界中のメディアから少なくとも39カ国、約1500人が殺到したという。
ただ、周囲のあまりの熱狂ぶりとは対照的に、救出された鉱山労働者たちからは◇「私たちはポップスターではない」◇「普通の暮らしに戻りたい」◇「何故サッカーの試合に招待されるか分らない」など、スター扱いされ疑問に思う声が出ているという。
救出に使われたカプセルの名はフェニックス(不死鳥)。
ウルスアさんと共に最終段階まで地下に残り、最後から2人目の32人目に地上に出たのがアリエル・ティコナさん(29)。
その妻エリサベスさんは、9月14日に帝王切開で次女を出産している。
その名は「エスペランサ(希望)」だ。
そして10月14日。
奇跡の生存・救出・生還劇の最後の1人。
それは小説家でも書くのを躊躇するかも知れないストーリーのエンディングに相応し過ぎるルイス・ウルスアさん(54)、その人だった。
大歓声の中フェニックスから出た彼は、ビニェラ大統領と抱擁し言った。
「我々は、世界が待ち望んだことを成し遂げた。70日間の闘いは無駄ではなかった。強さと精神力を失わなかった。家族のために闘い抜きたかった」。
それから彼は昨日(16日)こう言った。
「われわれの友情と連帯は、永遠に続くだろう」。
後記
今回の奇跡の救出劇の裏側には、名も知れぬ数多くのヒーローたちがいたであろう。
救出した側、された側、双方に深く、祝意と敬意を表する。
同時に、今回の大事故収拾に関わった多くの彼等、彼女等や、祈りを捧げた全世界の人々と祝福をともにしよう。、
最後に一言。
私は、彼等鉱山労働者や家族、そして救助に不眠不休で全力を上げた救助隊の皆さんの心中に想いを致した時に、何度も熱いものが目から流れ落ちたのです。
特に、事故発生から生存が確認されるまでの奇跡の17日間を想うと、胸が苦しくなりました。
やま(鉱山)に事故は付き物という時代を、いつになったら人類は克服出来るのでしょうか。
危険な労働を強いられている全ての人々に、幸いあれと強く念ずるしか出来ませんが、祈り続けましょう。
【参考メディア=ロイター、AP、AFP、CNN、共同、MNS、asahi.com、毎日.jp】
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