両親と暮らしていたときから、家の収納がうまくないし、足りないし。
「何か整理しよう」
と、ゆー話はあったのだが。
年をとると、何かと厄介になり、体力的にもムズカシイし。
結局、「残したいのは自分のもの、捨てたいのは別のひとのもの」であって。
まとまらない。
「時間がたてば、だんだん人数が減るから、その人のものから捨てよう」
と、ワタシは、母にきっぱり言い、本当にそのつもりでいた。
つまり、わざと放置。
が。いざ親に死なれてみると、感情的に、捨てにくい。
すぐ処分できるものはともかく、どうしても、ひとつひとつ収納場所から取り出しても、「ポイポイ捨てる」モードに入れない。
母が亡くなって、少し時間がたち。
たとえば、ベッドで寝てるから布団が余って、押し入れがぎゅうぎゅうなので、どれか捨てようよ、と父と話しても、
「これを捨てよう」
が、それぞれ、ちがうっ!
父も、母への思い入れが強く。
頓挫…。
父が亡くなり、即座に、とにかくココロを鬼にして、判断のつくものは、なるべく一日にひとつでも、捨てたり、寄付したり、してたけど…。なんか、また、滞っていた。
実のところ、二階の弟世帯がいっぱいいっぱいなのと、必要な修繕にからめ、家を直すことになった。
片付けないと!
そして、また始めたんだが…。
父が亡くなる直前まで、サークル活動を生きがいにしてて、パソコンで作った住所録とか、いろいろため込んでいた。やっぱ、誰かの個人情報の入ってるものは、シュレッダーしないと…。
クリアブックから紙を取り出し、取り出し、必要なものはシュレッダー、ただの紙として出せるものは、平塚市の月2回の資源物回収に出す…。
これが、終わらなーい。
果てしなーい。
それと。役に立ってたかどうかはともかく、亡父が「勉強家」だったのは間違いなく。
さまざまな書籍のコピーや、新聞の切り抜きなどが膨大…。
(お父さん、勉強家だったね…)
こんなに勉強してたのに、その本人がもういないんだものね。
知識って、なんでしょうね…。
と、しみじみしてしまい、つらい…。
だが、しかし。
これまた、取り出しても取り出しても、果てしなく、小さな家のいろんなところに…!
そーなるだろーと自分でも思っていたけど、疲れてきちゃって、「しみじみ」はどこかへ遠ざかっていく。
…皆様。
あまり年をとる前に、身辺を整理しましょう。
ワタシも、今回、自分の身辺整理もします。
なお…たまに弟にも手伝ってもらいますが、たまに、です。
これを捨てよう、が、いちいち違って、捗らないだけでなく、ストレス
自宅の片付けも、このていたらく。
友人が、県内の親御さんの家が空家状態になり、たまに通って、戸をあけたり、整理してるけど、はかどらないと言っていた。通いで片付けるのは、大変。
…都市部で孤独死したひとの部屋を、親族が、一度も来ないで、業者にまかせる、という話を聞くが。
無理もない。
連絡をとらなくなった事情もあるだろう。
そのうえ、どこからか来て、どこかに滞在し、片付ける?
職のあるひとでも、時間のある高齢者でも、無理。
経済的にも、無理。
私は、、父上の大抵のものは、、引き受けました。
靴、シャツ、ネクタイ、、。
そう、、コレを着て実家に行くと、母は(産んでもらってはいませんが、もう、、そう呼んでもいいだろ、、)
とっっっても、、喜ぶ。。
結局、、何にもすて切れなかったんだよ。