ありあわせのマグカップで、お茶でもコーヒーでも、飲んでいる。
最近。
日本茶を飲もうと。
茶筒の茶葉を、いったん、その蓋にとり、急須にいれる…つもりがマグカップにっ。
それも、一度ならず。
(ああっ、もう何やってるのー自分っ)
と思うけれども…。
逆に、茶筒にお湯を投入しなくてよかった、と、思いかけたが。
(いつか、やってしまうかもしれん…)
茶筒にお湯…。
すげー悲惨だ。
もし、やってしまったら、このブログに書くであろー。
ただし…上記のことを覚えていればのハナシ…。
ありあわせのマグカップで、お茶でもコーヒーでも、飲んでいる。
最近。
日本茶を飲もうと。
茶筒の茶葉を、いったん、その蓋にとり、急須にいれる…つもりがマグカップにっ。
それも、一度ならず。
(ああっ、もう何やってるのー自分っ)
と思うけれども…。
逆に、茶筒にお湯を投入しなくてよかった、と、思いかけたが。
(いつか、やってしまうかもしれん…)
茶筒にお湯…。
すげー悲惨だ。
もし、やってしまったら、このブログに書くであろー。
ただし…上記のことを覚えていればのハナシ…。
引き続き、片付けてます…。
別に広大な家なのではなく、小さいのに、収納がいろいろになってて、手前のものを取り出さないと、奥に何があるかわからない。
で、しかも、一日一個でも処理すると、疲れちゃって、「終わり」て感じ。
処分屋さんを呼んで、まとめて処分すると、いくらかかるのか怖くて、ちびちびやっている。
(呼んでみると、その方がよかった、と思うかもね…)
さて。
もらいものの新品…だけど、大昔から、しまいこまれていた食器など、「その方角へ行くついでのあるとき」に、オフハウスに持っていった。
ダメもとだったとはいえ、マジ二束三文。
ま、このアタシがいらないと思うものなのだから、よく値段がついた。
…しみじみ、
「余計な買い物はしちゃダメだっ」
「なるべく、なるべく、物をもつのは控えよう」
「捨てるとき、捨てやすいものを選ぼう」
という気になるから、一度、行ってみるといい。
えーと…。
両親とも亡くなったあと、しばらく停滞していた家財整理を、今している。
別に金目のものではない。
多すぎるフツーの食器とか、古いフツーの書籍とか文庫とか、父が残したボーダイな「書籍等のコピー」とか、フツーの衣類とか…。
名簿類はシュレッダーし、ただのコピーは「資源再生物」に出す。
二階に弟一家が住んでいる。
弟に手伝ってもらってもいいのだが、こちらからすると、いちいち意見が違って…。
たとえば、6年前に亡くなった母が使っていた、買い物用キャリー。
誕生日祝いか何かに贈った気がするが、母が亡くなったあと、ずっと玄関でほこりをかぶっていた。
さすがに、誰も使いそうもない。ある日、弟に玄関で遭遇し、
「これ、処分しようかしら」
すると弟が。
「でも、これ見ると、おふくろが引っ張ってる姿を思い出すよな」
ええ、ええ、素直な気持ちでしょうよ!
でも、そんなこと言われたら、言われた方は処分できねーよ。
それでまた、キャリーは玄関に置いたまま、さらにホコリをかぶったのだが…。
結局、処分した。
古くなりすぎる前なら寄付できても、限度がある。
亡父は囲碁をやり、現役時代に「隠居してから使うつもり」で、碁盤と石を買って持っていた。
だが、結局、引退後はパソコンで囲碁をする時代になっており…。
肺がんが再発し、本人は知らないが私はいちいち医師から「いつ何か起きても、おかしくない」と言われ続けた2年のあいだに、取り出したけど、
「出してもらったけど…」
結局使わなかった。
ネットで調べると、碁石と碁盤は値がつくらしい。い・ま・は。
「これ、処分しようかと思って」
弟「これは取っておいてもいいんじゃないの?」
えっ。
そうですか。
じゃ、取っておきますよ。
今日、家のリフォームの都合で、建築士と現場監督が見に来て。
昼間、仕事でいなかった弟が、夜、様子を聞きに来たのはいいとして。
説明をかね、いろいろ具体的な話をしたが。
残す家具など、リフォーム業者に聞かれてるわけで。
「このテレビ、処分する」
「え、じゃ1号が欲しいかも」
「え?」
「このクリアケースたち、空いてれば、欲しいかも」
「え」
欲しいかなと思って聞けば、
「ふっ」
て、バカにしたような顔するくせに。
欲しいかもしれない?
「この碁盤はキープでいいんだよね」
「あー…」
てめー…。
てめーが思う以上に、わかりにくい上に、ストレスだってばよぉぉぉぉー!