功山寺決起

青山繁晴事務所から自由民主党の党員になりました。(2020年)

菅総理におかれては、みずからの解散権をみずから封じられることに(2021-09-01 11:37:41)

2021-09-01 23:21:08 | On the Road
▼今から11時間ほど前、きょう9月1日の午前零時25分にアップしたエントリー ( これです ) で予告いたした通り、『9月半ばの衆院解散と総裁選の先送り』に対して、2か月前からのぼくの反対だけではなく、今度ばかりは反対、反対の大波が自由民主党の内部から、総理経験者から最若手まで噴き出しました。
 昨夜未明から今朝早くにかけてのことです。

 その帰結として、菅総理におかれては、みずからの解散権をみずから封じられることになりました。
 それが午前のぶら下がり会見です。



▼菅総理は、ゆうべひと晩で、政治的体力を大きく喪失されました。
 まつりごと ( 政 ) も人生と同じです。あったことを無かったことにはできません。

 しかし人生においては、「こう望んだ、こう考えた、選択肢としてこれも考えたけど、反対が強いのでやめます」と言うことができます。
 その正直さが、人間を失敗から救います。

 ところが、内閣総理大臣は、菅総理に限らず、「自分の考えに反対が強いからできません」とはなかなか仰れません。
 したがって、もともと考えていないという説明になるのです。
 そして、これこそがさらに、政権の体力を奪います。

 菅総理は、自由民主党の総裁選の前に「党役員人事と内閣改造」を行うことについては、ご自分の考え通りに断行しようと今後も望まれるでしょう。
 しかし、政権が体力を喪ったなかでの人事は、まず成功しません。
 党役員人事は、新幹事長の人選で苦しみ抜くことになるでしょうし、内閣改造は、武漢熱対応の布陣を変えることはできないことを含め小幅にならざるを得ません。
 もともと、今回の人事というのは、そこに無理があるのです。
 そこへ昨夜ひと晩の体力喪失が加わりましたから、もはや、何をかいわんやです。

▼解散に踏み切ろうとして踏み切れなかった総理を、政治記者の時代に何度も間近に目撃してきました。
 海部総理が、そうでした。
 羽田総理も、そうでした。
 いずれも総理の辞任、内閣総辞職に繋がりました。

 このふたつのケースは共に、小沢一郎さんの反対で解散に踏み切れなかったのです。
 両方とも、ほんとうは衆院を解散して、国民の意見を聴くべきでした。それが小沢さんによって潰されました。

 今回の政治的事件を、みなさん、一緒によく見ましょう。
 まるで逆ですね。
 菅総理が模索されたのは、やってはならない解散でした。だからぼくはこの2か月、ずっと反対を申してきました。
 そして、その解散を押しとどめたのは、小型の独裁者然とした陰の実力者だった小沢さん、ではありません。
 みなさんです。
 日本の唯一の主人公である、みなさん、主権者です。
 前述した「今度ばかりは総理経験者から最若手の議員までこぞって反対した」というのは、背後に、明らかな民意が迫ったからです。
 みなさんの勝ちです。

 なにがあっても、こうやって見つめれば、希望の兆しがあります。
 常々、申しています「一致点を探す」、また「一緒に考えましょう」とは、このことです。



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