▼ぼくは今日6月23日、東京オリンピック・パラリンピックに対するサイバーテロ対策の拠点、そのゲンバを、見ます。
見ます、と言うとなんだか他人事みたいで、実務担当者のみなさんに申し訳ないのですが、「視察」という言葉、その言葉に表れる評論家然とした、あるいは政治家然とした、姿勢が嫌いなのです。
ほんとうは、視察という言葉は「現地で事実を見極める」という意味であり、言葉そのものには責任がありません。まるで上から見おろすみたいに、しかも現場の邪魔をしながら、わずかに見て回るだけの政治家の行動が、この正しい日本語を歪めたと考えています。
見ます、と言うとなんだか他人事みたいで、実務担当者のみなさんに申し訳ないのですが、「視察」という言葉、その言葉に表れる評論家然とした、あるいは政治家然とした、姿勢が嫌いなのです。
ほんとうは、視察という言葉は「現地で事実を見極める」という意味であり、言葉そのものには責任がありません。まるで上から見おろすみたいに、しかも現場の邪魔をしながら、わずかに見て回るだけの政治家の行動が、この正しい日本語を歪めたと考えています。
不肖ぼくはそうならないように、この件でも努めます。
▼ただし、テロ対策の詳細は、現場を見たあとも語れません。
写真も撮りません。
日本の手の内を晒すわけにいきませんから。
▼ただし、テロ対策の詳細は、現場を見たあとも語れません。
写真も撮りません。
日本の手の内を晒すわけにいきませんから。