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【国際線フライトと海外の旅の物語】 (第66回) UTAフランス航空によるニューカレドニア

 昔、英国は「英国海外航空(BOAC)=現英国航空:BA)」と「ブリティッシュカレドニアン航空(British Caledonian Airways=BR)」の2本立てで、フランスも「フランス航空(AF)」と「UTAフランス航空=Union de Transports Aeriens (UT)」の2本立てだった。

 概して英国航空とフランス航空は世界の主要国を対地に、「ブリティッシュカレドニアン航空(BR)」と「UTAフランス航空(UT)」は昔の植民地対地を中心に航行していたように思う。ザンビアと英国間は「ブリティッシュカレドニアン航空(BR)」が運行していた。

 そんな訳でアフリカのザンビア任務を終え、1979年、西アフリカ方面に飛んだ時、ザンビアの「ルサカ」からカメルーンの「ドゥアラ(Douala)」まで「UTAフランス航空」に搭乗したことがある。



 その1年後の1980年、森村桂の「天国に一番近い島」で有名になったフランス領「ニューカレドニア」へ東京から飛んだ時に「ニューヘブリデス諸島New Hebrides)に行った時にも東京~ニューカレドニアは「UTAフランス航空」だった。週1回の運航だった。。
 「ニューカレドニア」は今もフランス領であるが、ニューヘブリデス」(現バヌアツ:Vanuatu)は当時はフランスとイギリスの共同統治の島だった。

 そんな「UTAフランス航空」や「ブリティッシュカレドニアン航空」は「フランス航空」と「英国航空」に統合され、その名を知る人は少なくなってしまったに違いない。


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