どさ

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アラビア式恋愛治療法(その1)

2020-01-28 23:50:19 | 猫と和解せよ日記

アラビア式恋愛治療法(その1)

(令和二年1月28日)

    わたしの暮らすS市のH大学前には、書店や古書店、喫茶店が多い。徘徊するたびに、なんらかの店に巡り会う。H大学の横に暮らして数年たつが、それでもいつも、何かを見つけるのは不思議なものだ。ただ、H大学も大きい。総敷地面積は6億㎡以上あり、山手線内より大きい。S市内のこのキャンパスはそのごく一部なのだが、それでも周囲は20km近くあり、考えなしに徘徊すると、川・沼・草原、子連れ鴨・狐・自転車、森・畑・研究施設など諸々がモザイク状に散らばっているため、まず迷って出られなくなる。この土地に寺社が加われば、それはもう間違いなく一つの地方都市だろう。

   そして、大学の外辺、西側には、これまた、学生街でも繁華街でも田舎町でもない、なんとも形容しがたいタウンが長さ6kmにわたって形成されている。

   先日、そんなタウンで、ある店舗の張り紙に目がとまった。

    猫と和解せよ

   なんだろうこれは? 店舗を見る。それは古書店で、古書店はガラス貼りで、ガラス越しの本棚では猫二匹、発酵中の生地のように丸く寝そべっている。わたしはためらいなく入店する。

 猫二匹は、文庫が敷き詰められた上に寝そべっている。なるほど、通りに面し、陽の当たるこの場所は、本には痛いが、猫には心地よい。一冊50円でまとめられたこの本棚は、まさに猫の発酵のため店側があつらえた場所だ。

   手前の猫は焦茶のトラで、ヨガ行者のように眼を閉じている。本を探すそぶりで頭をなでると、焦茶は眼を閉じたまま「いっつも、いっつも・・本当にめいわくなのよね~」というオーラをゆらゆらと内から発する。奥の一匹は銀地に黒い縞模様、ずいぶん高貴な感じだな、とやはり手をかざす。すると銀地は薄目をあけ“ふーぅー”と威嚇する。かまわずなでるとかまわず【がぶ】、わ、痛ぇ。あーぁ血がにじんでいるよ、うれしい、うれしい。

   その後店内を徘徊し、もう一回噛まれようと近づく。新宿の自称預言師シャンティーさんによれば、見知らぬ猫に噛まれる夢はライバルの出現を暗示するそうだが、夢でなくても、そこにはいた、ライバルが。

   ライバルは老夫妻とねぇちゃんで、本を探すそぶりで猫の前に行列している。ねぇちゃんに到っては相当な常連のようで厚手の手袋をつけている。

まず、老婦人が手をかざす。銀地も気前良く

【がぶ】 “痛い”

続いて、他の民も

【がぶ】【がぶ】 “痛い 痛い うれしい うれしい”

罪深き我らは、猫と和解する心などはなから持ち合わせてはいなかったのだ。

                 ・

 さて、銀地らの人気は高く、独占するわけにはいかないので、わたしは改めて店内を徘徊し始めた。文化人類学的なものに強い書店のようであり、きちんとコーナー化されている。「贈与論」「右手の優越」「野生の思考」「想像の共同体」・・等いずれも最初の数ページ読んだだけでぶん投げた本が並んでいる。うむ、わたしの青春の墓標のようだ。そして眺めていると、ひょっこりとあるタイトルが飛び込んできた。

「アラビアの医術」(昭和40年)

あ、知ってる。

これは少年時代、父の本棚にあった本であり、なんとも摩訶不思議なタイトルにひかれて、読んだことがある。アラビアの医学観念、さまざまな治療の臨床例が載っていたが中身はほとんど憶えていない。が、一つだけ強烈な印象をわたしに残したものがあった。それは精神療法で、特に恋愛に対する治療法であった。以下、記憶するところを紹介;

 

昔、アラビアのスルタン(王)の愛するお妃さまが病となった。お妃さまは、飯は食わなきゃ、熱は出る。目はうつろで耳おぼろ。日々衰え痩ほそり、どんな薬石とて通じない。血の涙を流し悲しんだスルタンは、ついに伝説の神医イブン・シーナを探しだし、すがる思いでお妃を診せた。すると神医の診断に曰く:

「スルタン、こりゃ恋の病ですな。どんな薬も草津の湯でも、こればっかりは治せません」

「何か方法はないのか?」

「一つありますが少々大胆ですぞ、実行してよろしいですかな?」

「なんでも良い、朕はこの世のなにより妃を愛する。妃は朕以上に朕なのだ、どんな方法をとっても良い」

それを聞いた神医は、お妃さまの恋い焦がれる相手(故郷サマルカンドのある男)を探し出し、男とお妃さまを一緒に住まわせた。もちろんお妃さまは間をおかずに回復し、その輝く美しさを取り戻した。さすれば神医は、頃合いを見計らって男に毒を盛り、見るもおぞましい醜男に変えた。すると、お妃さまの愛情は冷め、スルタンを愛し、スルタンとお妃さまは幸せに暮らしました。めでたし、めでたし。

ほう、アラビア式とはこういうものか。(それにしても、この医者は神なのか?)

   感嘆すると同時に、この内容はたいへん的確なものだと記憶に残った。それから十数年後、実際、ある研修の小レポートに応用したことがある。結果は、人事方面からの呼び出しとなったが、いまだわたしはあの暴論を気に入っている。

(その2へ続く)



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