ウマの道はシカ (宗谷支庁:宗谷岬)(08年8月17日)
(Quo vadis, juventus クォ・バディス・ユペントス?)(あんちゃん、どこいくのさ?)
(ヨハネの福音書13章 にあらず)
宗谷の土地はすがしい。周氷河地形といい、氷雪の堆積と融解が永い年月繰り返された結果、地表から険しい表情がとれ、おだやかな起伏に包まれている。起伏のすべては草で覆われているので、そこに立って南を見ると、緑の色が地平に向かい波のように続いていく。次に、そのまま北を向く。すると眼下一面に真っ青な海が見える。この風景も大きい。太陽は海から上がり海へ沈む。そして、太陽の下に横たわるのがサハリンで、海より青々しい陸塊として横たわっている。宗谷に住んでいる方によれば、澄みわたった日には、サハリンの建物まで見え、本当に澄み渡った日には、サハリン最西端(モネロン(海馬島))まで見えるそうだ。
日本最大の折鶴はそんな丘にある。宗谷岬に一番近い丘にある「祈りの塔」という碑である。その塔は白銀に輝く翼を水平と地平に拡げ、すらりとと伸びた頭部は、しかし悲しげにモネロン島を向いている。
*
さて、自分は宗谷岬にいる。もう何時間もぼーっとしている。ここまで来て、次にどこへいくか決めていなかったからである。
「あーあー、最北まで来たけどね~」
岬には次から次へ人が来る。人、人、人、そして人ごとに「オオ、ココ日本最北端アルよ」に類する感嘆の声を上げ、次から次へ去って行く。
“でもねぇ、ここって日本の最北端じゃないわけよ・・” ココロの中でそうつぶやく。
稚内市で宗谷岬について調べているうち、日本の最北端はこの岬ではなく、ここの沖合数百メートルに見えている弁天岩だということが分かった。弁天岩行きの通常の船はない。よしんば、無理矢理自前の船や遠泳でたどりついたとしても、件の岩はトドの領有するところであり、岩盤全てトド、トド、ただトドという有様らしい。上陸などしようものなら十中八九トドとの闘争である。体長3~4mに達するトドはヒグマと互角かその上をいきそうな生き物なので、それは絶対に避けるべきだろう。ならば、黙って沖を見よう、弁天岩を眺め、寝転んだり、荷物整理したり、寝転んだりと・・、なんだか同じような自転車野郎も数人いる。多分、このまま夕暮れまでここにいて野宿してしまおうという魂胆だろう。中には、じっと自分をにらんでいる奴もいる。“なんだこの野郎~”とこちらも同じ微笑みを返したりする。
それにしても海は広いぞ変わんないぞ~弁天岩も岩のまんまだ~。弁天岩については、実はもう一つ知った事がある。アイヌ英雄「サマイクル」にまつわる伝説で大意は以下。
“カムイ(神)にして、はじめてのアイヌ(人)となったサマイクルが、弁天岩を通りかかったとき、巨大なトドの群れと遭遇した。それを見たサマイクルは相方であるオキキリマとともに舟をこぎ出し、一頭のそれはそれは元気なトドに近寄り、エイヤ!と綱付きのノリキリ(木材の一種らしい)の銛を打ち込んだ。しかし、トドもさるものひっかくもの、銛を打ち込まれたトドは、なおなお元気にサマイクルたちが握る綱を引っ張り回し、舟を襲ったりと暴れまくる。彼らとトドの闘争は七日七晩続き、終には相方であるオキキリマは飢えと疲れでついには力尽きてしまう。さすがの英雄サマイクルも悔しながら綱を離してオキキリマを助け上げた。それを見た元気トド曰く
「けーっ、たかが人ごときが俺様の肉を喰らおうなんてオメデテェんだよ。この腐れ○○○の×蛤蟆想×天×肉野郎!!(品の良くない言葉なので伏せ字及び外国語表記)」
と口に出すのも憚られる罵りを彼らに浴びせた。それを聞いたサマイクルはこう叫んだ
「この憎きトドよ、よく聞け。今、我らの打ち込みし銛はノリキリでできているぞ。やがて、ノリキリはヌシの体をむしばみ、ヌシは日々弱り果て、最後にはこのサンナイ(宗谷)の浜に打ち上げられるぞ。そして、あらゆる男という男、女という女、子どもという子どもからションベンをかけられ、その無様な骸を晒していくぞ!」
そして、その予言通り、そのトドは弱り、時化の日に浜に打ち上げられ、人々からションベンをかけ続けられることなったのじゃ。だから人といっても決してバカにするではないぞ。と大トドは若いトドたちに諭すのであった。”
なんだか、少々聞かなかった方がいい英雄譚なわけです。アイヌの口承文芸は、雄大な叙事詩“ユーカラ”や聖なる言葉を伝える“オイナ”の名前は知っていたが、この“ウエペケレ”というトホホな内容も含んだ散文もあるのだ。
“ションベンまみれねぇ~、なんか他にも言いようあるんじゃねぇの~”
・・なんだ、あの野郎またにらんでる。何時間いるつもりだ・・
“でも、ここで海に放尿する、するとそれは海流に乗るわけだ”
・・大体、あいつ野宿する感じの服じゃねぇぞ・・
“オホーツク海、日本海、太平洋と世界を巡るわけだ、自身の痕跡が世界に・・・・はっ!”
分かった!
蛇の道は蛇、いなウマの道はシカである。バ○には○カの考えることが分かるのだ。
“あ、あの野郎、放尿狙いだ!”
軽い眩暈感におそわれつつ、自分は彼を見つめた。彼の頭部は自分とは90度程度を保持しつつも、その視線はしっかりとこちらに据えられている。
間違いない。そして、瞬間、自分はもう一つの戦慄すべきくだらない考えに行き着いた。つまり、彼が放尿魔なのであれば、彼が見返すその視線は同質な者に向けられるはず。そうだ、自分はいま彼にライバルだと思われているのだ。
*
たとえ、どんなに外れていようと一度でもそのような考えにいきつけばどうしようもないことがある。まるで追い詰められたかのように。ともかく、自分はもうここにいることはできない。かくして、このような受身なインセンティブに支えられつつ、自分は荷物をまとめ偶然号に乗り込みペダルを踏みだした。
“あーら、えっこらしょー”
“あー右行くか左行くか、もう道路よ、どうすんのよ?”
そのとき、偶然は自分の視界に一つの看板を投げ入れる。
“祈りの丘、この道を行け。”
右か左か曲がれないないなら直撃さよね、まっすぐしかないのよね。そして自分は、自然その丘に向けて登っていた。
ほどなく、ひょっこりと丘の上に出た。ロードスターの花が咲いている。キリストがゴルゴダの丘に登る際、鞭打たれて飛び散った血の滴がこの花になったという。その青い光の滴のような花は一面に咲き、そこに囲まれるように薄紫色の花も咲いている。その塔は花の中心にあった。近寄って見ると“祈りの塔”と書いてある。塔は巨大な折り鶴の形で、銀白色で空を見上げている。何の塔だ?塔に近寄り、そのいわれを読んで驚いた。
「あ、これなのか!ここにあったのか」(もっと稚内市よりにあるのかと思っていた)
そして、この丘には祈りの塔のほか、多くの碑や悲しい建築物があった。そうだ、ここは日本の最北だった。歴史や地政学に晒される地だった。様々な記憶は層のように重なっていてあたりまえの地、生きざまの地だったのだ。
「そうだったのか、さっきまで浜でバカなことを考えていたものだ。でも、この旅の結節点にこんな丘に行き着いたのはなんだかうれしいぞ、そうだうれしいぞ!」
*
そうして、丘の上でなにがしかの心を得た自分は、丘から下り、そのまま南に向かって進んでいる。風は快適であった。空気は快適であった。音も色も視界も快適であった。ところが、その視線に、おや?何か真っ黒いもんがうずくまっている。
「うーむ、あのシルエットは関東以西の公園でときおり見かけるが、プー太郎(浮浪者)のそれだ。」
そして、こんな北になんでプー太郎かと思いつつ近づくと、それはどうやらスケボー兄ちゃんのようだった。
兄ちゃんは、すでに精根尽き果てたのかクシャクシャの布ザックを枕に、スケボーを日よけ代わりに顔にかざし、路上でのびている。日射病か?それにしても、うーむ、これはスケボー兄ちゃんなんかではなく、やはり単にプー太郎がスケボー拾っただけなのかなと思ったが、ともかく、
「おい、大丈夫か?」
「あ、はい大丈夫です。もう疲れちゃって、さっきの水場で水補給し忘れたんです」
「あらあら、水飲むかい?」
「ぁ、はぃ」
「はいこれ」
ぐがー、ぐぎゅー。うぉぉ、風呂の栓抜いたような飲みっぷりだ。
「ぁありがとうございます。ほんと水場で水補給し忘れて、この道、ずーっと何もないじゃないですか。」
「岬につくまでなーんも無いぞ」
「ぅえぇ~」
「でも、もう少しですよね」
「まだあるぞー、うん(笑顔)」
「ぅえぇ~」
「スケボーで宗谷岬目指すなんて変わったことやるね。」(汝もチャリンコではないか)
「まあ・・」
「なんで、スケボーで宗谷岬なの?」
「いやー、特に宗谷岬じゃなくて、なんだかここまで来てしまったんです。」
「目的地ないの!(やっぱ、こいつプーだ)」
「水ないなら食料もないんじゃないの?パン喰いなよ、ジャムたくさんあるんだ、ほら」
「?、その鍋、ジャム入ってるんですか?」
「ああ」
「ぼく長い間旅行してますけど、鍋にジャム入れて持ち歩いている方初めて見ました。」
「いろいろあんだよね~、これがさ(何もない)」
その後、兄ちゃんとしばらく話して、春に名古屋からスケボーに乗って出発し、あちこちのライダーハウスでバイトを続け、ここまで流れ着いたこと、足首を痛め、もうほとんどスケボーには乗らず、担いで歩いていることなどを聞いた。
そして兄ちゃんは聞いてきた。
「宗谷岬どうですか?」
「別にどうってことない。でもあそこ日本の最北じゃないそうだよ。」
そういって、自分は言わなくていい弁天岩とションベンの話をしてしまった。兄ちゃんは思わずとほほの顔になる。俺の旅のけじめってこんなのかよ~と感じている顔であった。
あ、やべぇ。あわてて、
「宗谷岬に着いたなら、その真後ろの丘にも登ってみなよ。」
「丘に・・?」
「祈りの塔という大きな鶴の形がした慰霊碑があるんだよ。」
「慰霊碑、何かあったんですか?」
「女性と子ども含む民間人二百数十名がソビエト軍に殺され、その慰霊碑だよ。」
「戦争中ですか?」
「いや、1983年でそんな昔じゃないよ。サハリンの西端のモネロン島という島付近で起きた事件でね、ソビエト空軍が民間旅客機を領空侵犯したとして撃墜し、撃墜された方はもちろん全員死んだ。はい、パン。」
「戦争じゃないですよね」
「昔、冷戦といってアメリカを中心とする西側陣営とソビエトを中心とする東側陣営の間で戦争の前段階みたいな対立が続いていたんだ。」
「はい、聞いています」
「そして、1983年当時はソビエトの方がだいぶ追い詰められて旗色が悪くなり、国として余裕なんかない状況だったようだね。なめられちゃお終いよ!ってことかな」
・・・追い詰められた者は、追い詰められた事しかできないのだ・・・
「まあ、着いたら上ってごらんよ。そのほかにも色々な歴史の証拠があるし、旅の締めくくりに良いと思うよ」
・・・そうか、偶然にでも伝えればいいんだ・・・
*
「じゃ、俺いきます。ありがとうございます。せっかくなのでまたボード漕いでいきます。」
そうやって、彼は立ち上がり、片足を引きずりスケボーに片足を乗せた。しかし、この段階ですでにすごく痛々しい。「じゃあ!」と言って出発した彼だが、20~30mも行かないうちに振り向き、こちらに叫んだ、「やっぱり痛くて駄目です、担いでいきまーす。」
「いいじゃないのー」
「ありがとございましたー」
そう言って彼はその長ひょろい生きざまを両肩にかけ、北を向いて歩き始めた。自分は歩いて行くその姿を見ていた。山側からもう少し強く風が吹いてきた。青臭い草の匂いが動いた。その匂いの中でロードスターもサハリンも海も空も輝くものはもう全て輝き、よろよろ歩く彼の姿はまるで光陰で描いたスケッチのようになった。
突然、自分はなぜだか意味も分けもなく彼に追いつきたくなった。
追いついてこう言いたかった。
「おい、きみスケボーかついで歩いているとなんか十字架背負ってるように見えるぞ」
彼はきっとこういうだろう
「え~~、でも、丘までいけそうです、うんいきます」
(ドサ日記 オロロンライン編おしまい)
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