どさ

詩を投稿しはじめました。
そのうち、紀行文も予定しています。
落ち着きに欠けたものが多くなりますがそれしかありません。

ぱんだ色

2020-01-25 05:34:29 | 禽獣日記

パンダ色

(令和二年1月25日)

 

 パンダは愛らしいですね。いつまでも、これからもみんなのお友達です。

https://www.youtube.com/watch?v=3A8bb9qHhHw

 

 パンダの故郷の中華人民共和国は今日が春節。今年は1月24日から30日までが休日となり、里帰りや旅行などで30億もの人間が移動する。日本にも、巨大なガラガラを曳いた人々が、ガラガラしがちな商店街や観光地を行き交い、賑やかに消費してくれる。

 もっとも、ガラガラのサイズはさほど変わらないものの、消費の中身は、一時期の高級グッズ爆買い一辺倒ではなくなっている。中国政府が、数年前から外国からの土産品にかける関税をあげたことや、今回は、ネット転売の代理人を登録制にしたことが大きく響くだろう。たぶん、高級時計コーナーで、転売目的のやり手婆とその仲間たちが、あれこれ物色する姿はどんどん減るはずだ。では、わざわざ日本に出向いた人々は、どこで何をどう消費したがっているのだろうか?

 

 確実に増え、消費額もバカにならないのが、ぎりぎり若い女性層の“コト消費”である。彼女らは駆け出しに比べ小銭を持ち、また、ぎり若いので“自分探し”や“占い”のような被暗示性の強いサービス財を嗜好する。しかし、風水などの東アジア・オカルトに疎い今の日本人は、占いや、その分野で付加価値化した商品の供給はいたって弱い(この分野は台湾にもっていかれると思う)。やはり日本は、・・彼女が、イベント参加や旅先で質の高いサプライズに出逢い、出逢ったサプライズを発信し、共感したぎり若いのが再びサプライズを経験、さらに発信・・という具合にリンクが広がる仕組みを構築することである。この際、彼女らをクーポンやポイント還元で囲い込むことは当然であるが、この囲い込みを設計する際、発信者は何人に発信すれば良いのだろうか?手本となる値はあるのか?あるとすればそこにクーポン発行のピークを仮置きしていけば良いわけである。

 

 答えからいくと手本の人数は4.5人である。パーコレーションという概念の臨界浸透ボンド数という考え方からいくとこういう値が導き出される。

 では、1人が4.5人に発信する事は何を意味するだろうか?

   これをおおまかに掴むため、先ほど、子供たちに質の低いサプライズを供給したパンダ先生に、罰として腹開きになってもらう。

 このパンダ図では、パンダの色は白黒つけられない。白地に黒でもあり、黒地に白でもあり、口や目の部分は緑色であると言えるだけだ。だが、パンダの黒色領域に注目すると、それは白色領域を分断して腹開き図の端まで達している。一方、緑色領域は端まで達せず、白や黒の領域の中の一領域の状態である。もし、ここで、腹開きパンダが宇宙だとする。そして、その端は無限まで続いているものとしよう。すると、黒色領域も無限まで拡大されるが、緑色領域は同じ領域のままである。これは言い替えると、ある世界に内包されている領域には、無限に拡がるものと有限のままのものがあるということだ。そして、その両者を相が異なると表現する。実は、上であげた1が4.5に発信する(=つながりを持つ)とは、この値が“相が変化する”境界点であることを意味する。つまり、1人が4.5人につながり、それが続くと、その領域は無限大に大きくなる。

 

 この値を大きいと思うか小さいと思うかはそれぞれの受け止め方であろう。しかし、この値は、古来、しばしば我々の前に現れている。噂話の流布では1人が4~5人にひそひそささやけばよいし、流行するスタイルなどは1人の振る舞いが4~5人に模倣されればよい。ねずみ講の勧誘ノルマや不幸の手紙も4~5という数値が現れやすい。もっとも、今、我々が気にかけておくべきことは、伝染病の伝わり方も、この数値が現れやすいということかもしれない。