どさ

詩を投稿しはじめました。
そのうち、紀行文も予定しています。
落ち着きに欠けたものが多くなりますがそれしかありません。

ウマの道はシカ 

2019-12-25 20:54:35 | ドサ日記

 ウマの道はシカ (宗谷支庁:宗谷岬)(08年8月17日)

(Quo vadis, juventus クォ・バディス・ユペントス?)(あんちゃん、どこいくのさ?)

(ヨハネの福音書13章 にあらず)

 

 宗谷の土地はすがしい。周氷河地形といい、氷雪の堆積と融解が永い年月繰り返された結果、地表から険しい表情がとれ、おだやかな起伏に包まれている。起伏のすべては草で覆われているので、そこに立って南を見ると、緑の色が地平に向かい波のように続いていく。次に、そのまま北を向く。すると眼下一面に真っ青な海が見える。この風景も大きい。太陽は海から上がり海へ沈む。そして、太陽の下に横たわるのがサハリンで、海より青々しい陸塊として横たわっている。宗谷に住んでいる方によれば、澄みわたった日には、サハリンの建物まで見え、本当に澄み渡った日には、サハリン最西端(モネロン(海馬島))まで見えるそうだ。

 日本最大の折鶴はそんな丘にある。宗谷岬に一番近い丘にある「祈りの塔」という碑である。その塔は白銀に輝く翼を水平と地平に拡げ、すらりとと伸びた頭部は、しかし悲しげにモネロン島を向いている。 

                  * 

 さて、自分は宗谷岬にいる。もう何時間もぼーっとしている。ここまで来て、次にどこへいくか決めていなかったからである。

「あーあー、最北まで来たけどね~」

岬には次から次へ人が来る。人、人、人、そして人ごとに「オオ、ココ日本最北端アルよ」に類する感嘆の声を上げ、次から次へ去って行く。

“でもねぇ、ここって日本の最北端じゃないわけよ・・” ココロの中でそうつぶやく。

 稚内市で宗谷岬について調べているうち、日本の最北端はこの岬ではなく、ここの沖合数百メートルに見えている弁天岩だということが分かった。弁天岩行きの通常の船はない。よしんば、無理矢理自前の船や遠泳でたどりついたとしても、件の岩はトドの領有するところであり、岩盤全てトド、トド、ただトドという有様らしい。上陸などしようものなら十中八九トドとの闘争である。体長3~4mに達するトドはヒグマと互角かその上をいきそうな生き物なので、それは絶対に避けるべきだろう。ならば、黙って沖を見よう、弁天岩を眺め、寝転んだり、荷物整理したり、寝転んだりと・・、なんだか同じような自転車野郎も数人いる。多分、このまま夕暮れまでここにいて野宿してしまおうという魂胆だろう。中には、じっと自分をにらんでいる奴もいる。“なんだこの野郎~”とこちらも同じ微笑みを返したりする。

それにしても海は広いぞ変わんないぞ~弁天岩も岩のまんまだ~。弁天岩については、実はもう一つ知った事がある。アイヌ英雄「サマイクル」にまつわる伝説で大意は以下。 

“カムイ(神)にして、はじめてのアイヌ(人)となったサマイクルが、弁天岩を通りかかったとき、巨大なトドの群れと遭遇した。それを見たサマイクルは相方であるオキキリマとともに舟をこぎ出し、一頭のそれはそれは元気なトドに近寄り、エイヤ!と綱付きのノリキリ(木材の一種らしい)の銛を打ち込んだ。しかし、トドもさるものひっかくもの、銛を打ち込まれたトドは、なおなお元気にサマイクルたちが握る綱を引っ張り回し、舟を襲ったりと暴れまくる。彼らとトドの闘争は七日七晩続き、終には相方であるオキキリマは飢えと疲れでついには力尽きてしまう。さすがの英雄サマイクルも悔しながら綱を離してオキキリマを助け上げた。それを見た元気トド曰く

「けーっ、たかが人ごときが俺様の肉を喰らおうなんてオメデテェんだよ。この腐れ○○○の×蛤蟆想×天×肉野郎!!(品の良くない言葉なので伏せ字及び外国語表記)」

と口に出すのも憚られる罵りを彼らに浴びせた。それを聞いたサマイクルはこう叫んだ

「この憎きトドよ、よく聞け。今、我らの打ち込みし銛はノリキリでできているぞ。やがて、ノリキリはヌシの体をむしばみ、ヌシは日々弱り果て、最後にはこのサンナイ(宗谷)の浜に打ち上げられるぞ。そして、あらゆる男という男、女という女、子どもという子どもからションベンをかけられ、その無様な骸を晒していくぞ!」

そして、その予言通り、そのトドは弱り、時化の日に浜に打ち上げられ、人々からションベンをかけ続けられることなったのじゃ。だから人といっても決してバカにするではないぞ。と大トドは若いトドたちに諭すのであった。”

 

  なんだか、少々聞かなかった方がいい英雄譚なわけです。アイヌの口承文芸は、雄大な叙事詩“ユーカラ”や聖なる言葉を伝える“オイナ”の名前は知っていたが、この“ウエペケレ”というトホホな内容も含んだ散文もあるのだ。

 “ションベンまみれねぇ~、なんか他にも言いようあるんじゃねぇの~”

・・なんだ、あの野郎またにらんでる。何時間いるつもりだ・・

 “でも、ここで海に放尿する、するとそれは海流に乗るわけだ”

・・大体、あいつ野宿する感じの服じゃねぇぞ・・

“オホーツク海、日本海、太平洋と世界を巡るわけだ、自身の痕跡が世界に・・・・はっ!”

分かった!

蛇の道は蛇、いなウマの道はシカである。バ○には○カの考えることが分かるのだ。

“あ、あの野郎、放尿狙いだ!”

軽い眩暈感におそわれつつ、自分は彼を見つめた。彼の頭部は自分とは90度程度を保持しつつも、その視線はしっかりとこちらに据えられている。

間違いない。そして、瞬間、自分はもう一つの戦慄すべきくだらない考えに行き着いた。つまり、彼が放尿魔なのであれば、彼が見返すその視線は同質な者に向けられるはず。そうだ、自分はいま彼にライバルだと思われているのだ。 

                  * 

 たとえ、どんなに外れていようと一度でもそのような考えにいきつけばどうしようもないことがある。まるで追い詰められたかのように。ともかく、自分はもうここにいることはできない。かくして、このような受身なインセンティブに支えられつつ、自分は荷物をまとめ偶然号に乗り込みペダルを踏みだした。

“あーら、えっこらしょー”

“あー右行くか左行くか、もう道路よ、どうすんのよ?”

そのとき、偶然は自分の視界に一つの看板を投げ入れる。

“祈りの丘、この道を行け。”

右か左か曲がれないないなら直撃さよね、まっすぐしかないのよね。そして自分は、自然その丘に向けて登っていた。 

 ほどなく、ひょっこりと丘の上に出た。ロードスターの花が咲いている。キリストがゴルゴダの丘に登る際、鞭打たれて飛び散った血の滴がこの花になったという。その青い光の滴のような花は一面に咲き、そこに囲まれるように薄紫色の花も咲いている。その塔は花の中心にあった。近寄って見ると“祈りの塔”と書いてある。塔は巨大な折り鶴の形で、銀白色で空を見上げている。何の塔だ?塔に近寄り、そのいわれを読んで驚いた。

「あ、これなのか!ここにあったのか」(もっと稚内市よりにあるのかと思っていた)

 そして、この丘には祈りの塔のほか、多くの碑や悲しい建築物があった。そうだ、ここは日本の最北だった。歴史や地政学に晒される地だった。様々な記憶は層のように重なっていてあたりまえの地、生きざまの地だったのだ。

「そうだったのか、さっきまで浜でバカなことを考えていたものだ。でも、この旅の結節点にこんな丘に行き着いたのはなんだかうれしいぞ、そうだうれしいぞ!」

 

                   *

 

 そうして、丘の上でなにがしかの心を得た自分は、丘から下り、そのまま南に向かって進んでいる。風は快適であった。空気は快適であった。音も色も視界も快適であった。ところが、その視線に、おや?何か真っ黒いもんがうずくまっている。

「うーむ、あのシルエットは関東以西の公園でときおり見かけるが、プー太郎(浮浪者)のそれだ。」

そして、こんな北になんでプー太郎かと思いつつ近づくと、それはどうやらスケボー兄ちゃんのようだった。 

 兄ちゃんは、すでに精根尽き果てたのかクシャクシャの布ザックを枕に、スケボーを日よけ代わりに顔にかざし、路上でのびている。日射病か?それにしても、うーむ、これはスケボー兄ちゃんなんかではなく、やはり単にプー太郎がスケボー拾っただけなのかなと思ったが、ともかく、

「おい、大丈夫か?」

「あ、はい大丈夫です。もう疲れちゃって、さっきの水場で水補給し忘れたんです」

「あらあら、水飲むかい?」

「ぁ、はぃ」

「はいこれ」

ぐがー、ぐぎゅー。うぉぉ、風呂の栓抜いたような飲みっぷりだ。

「ぁありがとうございます。ほんと水場で水補給し忘れて、この道、ずーっと何もないじゃないですか。」

「岬につくまでなーんも無いぞ」

「ぅえぇ~」

「でも、もう少しですよね」

「まだあるぞー、うん(笑顔)」

「ぅえぇ~」

「スケボーで宗谷岬目指すなんて変わったことやるね。」(汝もチャリンコではないか)

「まあ・・」

「なんで、スケボーで宗谷岬なの?」

「いやー、特に宗谷岬じゃなくて、なんだかここまで来てしまったんです。」

「目的地ないの!(やっぱ、こいつプーだ)」

「水ないなら食料もないんじゃないの?パン喰いなよ、ジャムたくさんあるんだ、ほら」

「?、その鍋、ジャム入ってるんですか?」

「ああ」

「ぼく長い間旅行してますけど、鍋にジャム入れて持ち歩いている方初めて見ました。」

「いろいろあんだよね~、これがさ(何もない)」

 その後、兄ちゃんとしばらく話して、春に名古屋からスケボーに乗って出発し、あちこちのライダーハウスでバイトを続け、ここまで流れ着いたこと、足首を痛め、もうほとんどスケボーには乗らず、担いで歩いていることなどを聞いた。

そして兄ちゃんは聞いてきた。

「宗谷岬どうですか?」

「別にどうってことない。でもあそこ日本の最北じゃないそうだよ。」

そういって、自分は言わなくていい弁天岩とションベンの話をしてしまった。兄ちゃんは思わずとほほの顔になる。俺の旅のけじめってこんなのかよ~と感じている顔であった。

あ、やべぇ。あわてて、

「宗谷岬に着いたなら、その真後ろの丘にも登ってみなよ。」

「丘に・・?」

「祈りの塔という大きな鶴の形がした慰霊碑があるんだよ。」

「慰霊碑、何かあったんですか?」

「女性と子ども含む民間人二百数十名がソビエト軍に殺され、その慰霊碑だよ。」

「戦争中ですか?」

「いや、1983年でそんな昔じゃないよ。サハリンの西端のモネロン島という島付近で起きた事件でね、ソビエト空軍が民間旅客機を領空侵犯したとして撃墜し、撃墜された方はもちろん全員死んだ。はい、パン。」

「戦争じゃないですよね」

「昔、冷戦といってアメリカを中心とする西側陣営とソビエトを中心とする東側陣営の間で戦争の前段階みたいな対立が続いていたんだ。」

 「はい、聞いています」

「そして、1983年当時はソビエトの方がだいぶ追い詰められて旗色が悪くなり、国として余裕なんかない状況だったようだね。なめられちゃお終いよ!ってことかな」

・・・追い詰められた者は、追い詰められた事しかできないのだ・・・

「まあ、着いたら上ってごらんよ。そのほかにも色々な歴史の証拠があるし、旅の締めくくりに良いと思うよ」

・・・そうか、偶然にでも伝えればいいんだ・・・

 

                  *

 

「じゃ、俺いきます。ありがとうございます。せっかくなのでまたボード漕いでいきます。」

そうやって、彼は立ち上がり、片足を引きずりスケボーに片足を乗せた。しかし、この段階ですでにすごく痛々しい。「じゃあ!」と言って出発した彼だが、20~30mも行かないうちに振り向き、こちらに叫んだ、「やっぱり痛くて駄目です、担いでいきまーす。」

「いいじゃないのー」

「ありがとございましたー」

そう言って彼はその長ひょろい生きざまを両肩にかけ、北を向いて歩き始めた。自分は歩いて行くその姿を見ていた。山側からもう少し強く風が吹いてきた。青臭い草の匂いが動いた。その匂いの中でロードスターもサハリンも海も空も輝くものはもう全て輝き、よろよろ歩く彼の姿はまるで光陰で描いたスケッチのようになった。

突然、自分はなぜだか意味も分けもなく彼に追いつきたくなった。

追いついてこう言いたかった。

「おい、きみスケボーかついで歩いているとなんか十字架背負ってるように見えるぞ」

彼はきっとこういうだろう

「え~~、でも、丘までいけそうです、うんいきます」

 

(ドサ日記 オロロンライン編おしまい)


男ジャム(その2)

2019-12-09 13:00:48 | ドサ日記

男ジャム(その2)(宗谷支庁:サロベツ原野) (2007年8月17日)

 

Ⅱ 女もすなるジャム造りといふものを、男もしてみんとてするなり

 

人や猿はみな生きるため木の実を摘んだ。さあ、木の実を摘もう。猿への原点の旅。見たことのない木の実もあったが、これ食って原野の中でのたうち回る=命に差し障るなので、まずは見知ったハマナスの実を集めた(ここが猿とわたくしの違うところ)。

小一時間もすると、ヘルメットが一杯となる。“これ、ジャムにするぐらいなら、生でも食べられるだろう?”と一個噛んでみる。“スカッ”あれ、情けない噛み心地とジャリとした歯当たり。このハマナスの実、可食部は極々わずかで、中には堅~い種。

“あーれま、種取りが必要だ~”かなり面倒な作業となることが分かった。しかし、ヘルメット一杯まで取ってしまったので捨てたくはない。それでは、ジャム造りをはじめよう。

 

ここまで一時間

 

ここまで二時間半

 

 

刻んでいる間、どんどん腹が減り、“別にここまでしなくとも、パンと塩辛でいいじゃん”と日和りかけるが、少々意固地になってジャム作り。

 

 刻み終わって、水と砂糖で見込むと、おーや、キラキラと光り出した。

 

ここまで三時間 はらへんたな~

 

さて、一仕事終えた。そよ風が心地よい そして、ときおり光りがさしこみ、この愚かしき男ジャム工房さえも照し出してくれる。では、ジャムが冷えるまで、しばしゴロン。低い空を眺める。

 

草という草がひとつのいろに向かう

空はまだ低く、空はさらに湿り、逓減する呼吸

だが どうなのだろう ときおり、この暗さを切り裂き、

光の縞が走る

瞑黙の始まりから果てに向け 

ほら どうなのだろう ひかりが自分を追い越していく

- -なんという早さ、なんという心地よい疲れ- -

 

こんな、意味不明のメモが残っているときは、だいたいもの凄―く眠かったとき。

実際に少し寝りこんだ。さて、この半時ほどの眠りは、故郷の丘で懐かしい女性に大事なものを渡すなどという分かりやすい夢ではなく、教室に犬がいて、給食が延期になるという不可解な夢を残して去っていった。これは悪夢なのか吉夢なのかさっぱり分からない。

夢は、その人の潜在意識が現れる事が多いというが、果たして原野に包まれて眠るという都会人の憧れを、今まさに達成している自分の潜在意識が犬と給食なのだろうか。

 

それはそうと、もう昼の10時、ともかく、朝飯、朝飯。そして、パン一個取り出し、

ジャムをたっぷりつけて「いただきまーす」。“おう、いいぞ、いいぞ”ハマナスの香りをパンの懐かしいような香りが包み、疲れた体に一口ごと甘みが染みこむ。また一口、どんどん染みこむ、また一口、ぐぐぅーと染みこむ。もう一口、ぐぇ~“甘すぎるな~”

自分は、基本的に辛党、甘い物は苦手。確かに、ジャムは出来たが、始めて作ったジャムなので砂糖の加減が分からないし、大体このハマナスには酸味という物が全くない。色つき綿菓子を溶かしたようなコテコテの甘さに仕上がってしまった。

「うーん、このジャムパンで今日一日とは」と思わずまたがっかりする。甘い物が苦手なのに加え、甘い物だけ食べると必ずひどい胸焼けを起こすからだ。そのとき、みどりの原野でまた紅く光るものがある。

“ここよ、ここよ”

おう、あなたは“フランボワーズ”(きいちご)ではないか!

 さきほど、ハマナスを摘んでいる足下に、きちごも群生していたのだが、一個摘んで食べてみると、あの腐れクエン酸と同じ味がして「こーのきいちごめが!」と、どんどん踏みつぶして歩いていたのだ。しかし、人は本当に現金なものです。この甘重いジャムを救うのはあなたしかいない。さあ、せっせと摘んで、ジャム造り第2ラウンド。

{ミス・フランボワーズ、どうかぼくのもとにきておくれ}

 

わたしがフランボワーズ。サロベツの娘にして、クエン酸の母

 

おお、めっこし採れたでや

 

煮込みます

 

(こんなことをしながら、真昼になってしまった。)

 

結果、苦節半日にして、男ジャムは完成した。甘酸っぱい、爽やかな香り。申し分ない出来上がり。人に方向なんかいらねぇ、何かやれば何かできちまう。

“いやー良くできた、良くできた。沢山あるな・・・ はっ!”

雷がごとく気がつく。ハマナスを煮込む段階で鍋を一個使い、フランボワーズを迎えた際にもう一つ鍋を使っている。つまり自分は鍋2個分、2.5リットル強のジャム在庫を抱えているのだ。

・・何というジャムなる所有、何という身の丈に合わない財産・・

それに何より困った事は、いざ、食料が補給できる場所まで着いたとしても、鍋はジャム倉庫になっているということだ。「別に捨てりゃいいじゃん」と思う方もいるだろうが、“緑野で摘んだ紅い実は、どうしてそれが捨てられましょう”捨てられません。

そして、なんとわなしに考えていると、近くの草むらがガサゴソし、ひょこりと“キツネ”。おお、そうか、さっきの夢は悪夢でもなく吉夢でもなく、うん、正夢だったんだ(この正夢に何か意味があるのだろうか・・)。そうだ、こいつジャム喰わねぇかな?そうすれば、このジャムも無駄にならない。そして、持て余したジャムパンを、「ほれ!」と投げつける。

キツネは、投げられたパンをじーっと眺め、それからこちらを見て、ゲーンと威嚇。最後に、パンの匂いをかぎ、フンと草むらに消えてしまった。

このキツネの態度を見て、自分は悟った。このジャムはもう自分と一体なのだ。自分の姿の一つなのだ。それでどうなったかって?うん、自分はおもむろに鍋を偶然号の荷台にくくりつけ、更なる北方を目指して出発したのだよ。

その後、この日サロベツ西北方を旅したお兄さん、お姉さんの多くは、実にキモイ目に遭ったことだろう。つまり、目が合うと「やあ、ジャムいらないか?」と鍋のフタを開け、ニコニコ近づいてくるヒゲ親父の難にあったのだ。

フタを開ける度に、お兄さん・お姉さんの「ひっ!」というような顔。ミセス・フランボワーズも、その度に不機嫌な顔で自分をにらむ。

「わたしって、こんな目で見られるためにわざわざジャムになったわけ?」

(全くです)

 

 

 


男ジャム(その1)

2019-12-05 17:39:18 | ドサ日記

男ジャム(その1)(宗谷支庁:サロベツ原野) (2007年8月17日) 

Ⅰ 人 学ばざれば 即ち 道を知らず

    さて、偶然号が、ここサロベツ原野に到着したときは夜。北緯ちょうど45度あたり。真夏だというのに夜はぐっと冷え、空気の透明さに磨きがかかる(やはり衣類は乾いたものにかぎる)。遮るもの、道ゆくものもほとんどなく、海は少し離れているのに耳元で響く。その夜は余力があり、小川のわきにテントを設営した。そして、さすがにここまで来れば川も清流であろうと、近くの水たまりで米を研いで就寝。

     翌日は夜の晴れ上がりに反して霧。真っ白い中で目覚める。米を炊いている間、テントの周囲を歩くと、濃い白の中に鮮やかな色が見え隠れする。夢の続きのような色ながら、眼を見開くような清冽さ、ハマナスの紅い実や名前を持たない青い実が群生している。

    さて、飯が炊けたので朝飯にしよう。コッヘル(鍋)のフタを明ける、勢いよく湯気があがる。その下には茶色い飯。あれ?炊き込み飯なんか作っていないぞ。一瞬、“こりゃ何じゃ顔”になるがすぐに合点。サロベツの植生はピートという植物残滓が重なっており、地面の基層は琥珀色。そして、川水もその琥珀色に染まっているのだろう。

「なーに、ピートと言っても、スコットランドじゃモルトと呼んで、スコッチ作りに利用しているぐらい。さぞかし、深い香りがするのだろう。」と少々期待して一口。すると口に拡がる“こりゃ何じゃ感”。ひどーい匂い。しかも深い。この匂いは何だか記憶あるぞ~、これは牛舎の匂いだ。当然、同じ水たまりで作ったみそ汁も牛舎の香りを漂わせ、ここに“サロベツ原野 暁の精鋭朝飯部隊”はあっけなく壊滅した。しかし、物事は簡単にがっかりしはいけない。「まあ、今日はパンがあるからいいや」と気分を切り替え、パンを取り出す。パンはあったが「あ、チーズとハムが無い。」探せど、探せど、出てこない。えーい面倒だ、とバックを逆さまに、するとバックからこんにちはと出てきたのは、お茶漬けの元、味噌、塩辛と干し昆布-----

うぇ~パンと一緒に食べたくないなー。

どうやら、別袋に入れていた洋食系素材は前日の宿泊先(天塩)のババア自殺騒ぎのどさくさに亡くしたようだ。ちなみにサロベツもここまで来ると、もはや食料店、レストランなど期待できない。「パンに塩辛つけて今日一日か」ここに来て、ようやくがっかりし、同時に教訓に背いた自分を責める。

教訓。そう、どさ日記と称する、この自転車旅行は、根性入ったこだわりやら自制的なルールなどきっぱりとない。が、ただ一つ「暗闇でメシを作るな」という経験則があった。

    真夜中まで走り、疲れ切って、闇の中で炊事をすると色々な思い出ができる。今までの思い出から少し。

 

1.デスペラータ

パスタを作る時、塩味はソースにつけず、パスタにつけるのがおすすめだ。どういう訳だか味に落ち着きがでて、あれこれ複雑な味付けが不要となる。コツは、塩なんかケチんなよ、である。“死海のように濃くしな、つまむんじゃなくて、掴んでぶち込め!”とやる。そして、その夜も真っ暗闇の中、手探りでパスタを作ったものさ。夜空に広がるガーリックの香りが鼻腔をくすぐる。アンチョビは焦がさないように、出来上がりはきちんと手擦りのパルミジャーノをふって、できたぜ、芳しきスパゲッティ・アッラ・デスペラータ(絶望のパスタという意味らしい。由来不明)。一日の疲れなんてさっと料理して、その日のうちに食べてしまおうぜ。「いただきまーす」。フォークでかき上げ、かっ込む。

“う゛ほっ!”

何があったか分からない。が、口腔から喉にかけ、殴られたような感覚が走り、思わず、むせこむ。思い切りむせこむもんだからから、ほれ、スパゲッティ・アッラ・デスペラータは鼻腔まで侵入し、それがまたなんとも言えない痛みを鼻から脳天にまで広げる。

    この激痛の正体はクエン酸。塩の瓶を闇でクエン酸の瓶と取り違え、コップ一杯強のクエン酸を全て鍋にぶちこんだのだ。クエン酸と言っても、コンビニで売ってるサプリ系の爽やかクンじゃないよ。味覚矯正用の添加物等をなぞ一切ない超硬派、純原粉野郎だよ。(疲労回復には心強い味方だが、まともなときに嘗めると、ちょびっとでも酸味というか、痛みが口の中を走る。)結局、鼻の中から脳天に達する痛みは数時間続き、次の一日はなにかしら集中力に欠けた。

2.私と生態系

 まず、夜中に静かな湖畔に到着しましょう。夜の湖畔ほど神秘に近いものは、宇宙まで行かなければないような気もします。純粋な黒。漆黒の森に誰もいません、かすかな波音が安心のように満ちています。そのかすかな音の元、おや、中年が米を研いでいますよ、シャリシャリシャリ。中年は思いました「うーむ、米で良かった。これ小豆だと、確かそんな妖怪がいたような気がする。」などと、あまり妖怪と変わらないシチュエーションの中、中年は全く意味の無い安堵感で米を研ぎ終え、そして炊きました。

 あらためて、夜はつややかに美しいものです。空間の底から滑らかな感覚の群が降りてきます。美しい沈黙、美しい風の触覚、美しい香り、あれ?少し臭いな~。それはそれ、湖だからね、飯を炊いた香りが少しぐらい泥臭くても我慢我慢。さあ、炊き上がったご飯を頂きましょうね「いただきまーす」。ふわりと箸ですくい、静かに口に入れる。と?

“生臭せぇー!“

噛めば噛むほど強まる生臭さ。何よこれ?それに飯の中に何か混じってるじゃないの。ぐにゅこりっとしたやつ。何よこれ?さあ、中年よ、悪い予感にひるまず確認しませう、己が今何と対面しつつあるのか。人はみな単に忘れているだけで、生態系から逃げることはできません。

そして、中年は朧な光の中で、飯粒をじっと見つめました。白い白いご飯の間に、黒い黒い大豆大の粒がびっしりと混じっています。もしや、もしや-----。中年は、その黒いモノをそっと掬い上げ、手のひらに置きました。大豆くらいの黒くて丸い粒。そして、その端には尻尾のようなものが縮れて付いています。そう、中年の予感は、いまここ、手のひらの上で「おたまじゃくし」という形で結実していました。

3.重力と恩寵

 早朝から真夜中まで思い切り走り込み、文字通り精根尽き果て状態で止まることがある。そこが波立つ浜辺でも、危なかしい崖下でも、そこいらの田んぼの端っこでも関係ない。これ以上一漕ぎもできないというところで、バタと地面に寝ころぶ。爽快感この上ない。生きている恩寵のようなものまで感じる。が、若くない身にとっては疲労感もこの上ない。もう疲労回復には休憩ですむような時間ではぜんぜん足りなくなってしまった。つまりはその場で野宿ということなのだが、これがまた安易に宿るのだ。

    まず、テントなぞ張る余力はないから、バックから荷物をぶちまける。そこからシートと寝袋を地べたに引いて寝ころぶ。続いて、寝ころんだまま、必要な物に手が届くようあれこれ、それなりに配置しなおす。独身寮時代の部屋か、開発途上国の露天商と似た姿になれば出来上がりだ。そして、寝ころんだまま、何か食べよう、ガサゴソ。けど、そういう時に限って、パンのようにすぐ食べられるものが無いのね。ちぇ、面倒くせー、ラーメンでも作るか。んで、寝ころんだまま、先ずウィスキーをガボッ。寝ころんだまま、コッヘルに水を入れ、ウィスキーをガボッ。寝ころんだまま、ガスに火を付け、ウィスキーをガボッ、ガボッ(俺って器用!!)。

     程なく、アルコールが疲労感に染み渡る。寝ころんだ視線の先、天球の頂で星が動きだす。視線がゆっくり、大きく回り、宇宙も北極星を中心にゆっくり、大きすぎるほど回り出す。この大きな動きは、主観的にはアルコールに、客観的には万有引力にしたがう。ごちゃごちゃしたルールがないことの安らぎ。日常からの自己蘇生なんだな。さながら恩寵のような安らぎ。さあ、ラーメンが煮えた、スープを入れよう。そして、寝ころんだまま粉末スープを顔の上でピッ。すると粉末スープは重力に従いドサッと顔の上に落ちます。“うがっ”、目といい、鼻といい、欲しいままに散乱する粉末たち。そして、人間ですもの思わず跳ね上がります。すると次は、コッヘルがひっくり返り、煮えたラーメンが、手の届く荷物の上すべてにぶちまかれて完成です。    

        

      さて、このような“うーん”な記憶の数々が脳裏を巡り、自分の前には“パンドラの箱”からぶちまかれたように塩辛などが転がっている。何も考えたくない。ただ黙ってそれらを片づけようとバックを持ち上げた。すると、バックの底から

「開けてください、開けてください」

あれ、今のは?と中を見ると、それは希望という名の砂糖でした。

 

                                  *

    砂糖はドンと一袋(1kg)。荷物の重量を絞り、着替えさえ最小限に抑えている旅に、なぜこんな無駄な荷物があるのだ?と訝しがる方もおられるであろう。先ほど、どさ日記には根性入ったこだわりは無いと書いたが、実は、その他なこだわりならいくらでもある。その一つが、“どさ旅は可能な限り自給自足”というもの。今回はアルコールの自給自足にこだわった。つまり、人気の少ない道北では、いつ酒が切れてもおかしくない。ならば、アルコールなど自分で作れば良い!と砂糖と酵母菌を持ってきていたのだ(もちろん、毎回そんなことを繰り返すが、うまくいったためしはない)。

そして、砂糖を見た瞬間、それは先ほど草原に光っていた木の実と直感的に結びついた。

“ジャムだ”

そう、この不遇な朝飯に対する希望は今こそジャムとなって光る。もちろん、辛党な自分は、ジャムを作ったことはない。しかし、木の実をテキトーに潰して砂糖で煮れば、それはジャムである。そう確信した自分は、即座にヘルメットを籠代わりにして、木の実を集め始めた。ああ、眼の前には、希望の畑のように、紅い木の実が延々と拡がる。

 (その2へ続く)

 

 

 

 

 

 

 


河口の水 ほの暗さ

2019-11-28 18:33:58 | ドサ日記

河口の水 ほの暗さ(留萌支庁北部:天塩町)(2007年8月16日) 

 

    子どもに「幽霊とお化けの違いってなーに?」と聞かれたなら「やりたい事が違うんだよ」と答えよう。前者は属人的で、後者は属地的、つまりストーカーと通り魔の違いだな。たとえ、どんなに“わけわかんねー奴”でも、その意図を正しく推し量り、恐れるものは正しく恐れるべきなのだ。ところで自分はこの幽霊やら化け物の類にははっきり言っていい感情をもっていない。

 

甲「自身が幽霊ないし化け物なら話は別だが、彼らに良い感情を持つ者とはいるのかね?」

乙「いや、違うんです、そういった一般論じゃないんです」

甲「なら、ストーカーか通り魔なのかね?」

乙「だから、違うんです」

甲「だから、なんだね?」

乙「いままで2回ほど憑り殺されかけことがあるからです、積極的に憎らしいんです!」

甲「それはきみお得意の幻聴じゃないのか?聴いたことあるそうじゃないか」

乙「遭難しかけて3日目からがんがん聴こえました。でも、あれは声よりも声ですね。

死にかけている自分のもう一つの声を、耳元より深いところで認識するんです」

「ふーん」

甲「だから、ああいう幻覚系と化け物系の区別はつくんです」

「どこで遭遇したのだね?」

乙「夕張の某峠と谷川岳の某沢です。聞きます?」

甲「止めときなさい。そんなにありがたい目にあったならペラペラやらんことだな。ヘラヘラやってるとまたでくわすぞ。」

 

ということで、その2回。昔は詳しく書いたが今は書かない。が、心霊現象とか言われる代物には、はっきりとした怒り、そして猛烈な敵意を覚える自分である。それゆえか、夜中に一人でどこを歩こうが、どこに寝ようが、怖いという事はついぞなくなってしまった。なーどと書いているが、今回の天塩町では、十数年ぶりにぎゃーと叫んでしまったと思う。イヤハヤ。

 

                   *

 

 天塩川は道内で2番目、全国でも4番目に長い大河であり、上流から河口まで大都市を経ず、大部分を奥深い森にくゆらす原始の川だ。50〜60年前までは、キャビアの親御さんであるチョウザメまで上っていたそうだ。また、河口から150km以上、ダムや堰が一つもないことからカヌーイストの間では垂涎の川でも知られている。今回のチャリ旅の目的の一つには、この知られざる川の神秘を実感したいというのがあったのだ。

 

     河口の町、天塩町についたのは夕暮れ前。天塩川温泉に浸かって一息。二階にある大浴場は展望が良くおおらかな気持ちになれる。温泉で着ていたTシャツと短パンを洗い、“着干し”してしまえとおおらかに濡れたままの服を着て出た。時間はすでに夕暮れ中。天塩川の河口を見ようと、町の中心を走っている。と、交差点の信号機のところでバッタリとエゾ鹿に出会う。う、なんじゃこいつ!はったと見つめ合う鹿と自分。ん〜、こいつ人慣れしているのかと思い近づいてみるが、そんなことは全然ない。ひたすら逃げ回るだけ。しかも町の中をパカらん、パカらん走り回る。だが、観察していると、町の人たちは、鹿のことなど見向きもしない。完全に野良犬、野良猫なみの扱い。ありゃ多分、畑の野菜なんかムシャ、ムシャやってるね。ずいぶんと北海道の風景だな〜。去り際に振り向くと、野良鹿は倉庫の横でキョトンとしていた。

 

     天塩川の河口は不思議な形であった。川と海が狭い砂州によって、しばらく並行するような形で続く。そして、灰色の虚空へ吸い込まれるかのような細長い河口、ほの暗い水面。河口沿いは一応、公園として整備されているが、夕凪の時間でも散歩者が2〜3人。これは夜には間違いなく誰一人も来ないのである。安心して眠れそうなので、ここで野宿することに決めた。丁度よい具合に公園の一番はずれにあずま屋が建っていてそこにもぐり込んだ。

 

    日が暮れ、その日は一挙に気温が下がった。今まで、寝苦しいくらい暑かった北海道のお天気様はここに来て一挙に正体を明らかにした。おお、寒いぞ、おもしろいほど気温が下がる。しかも、自分の衣服は濡れたまま。早くお着替えしなきゃね、でも駄目なのよ。今回の自分のチャリ旅は荷物重量軽減のため、衣服はTシャツ2枚短パン2枚に絞った。どうせ、毎日、温泉に入るのだから、そこで一組ごと洗って夜の間に乾かせばいいやと、一見合理的に、有り体に言えば安易に考えていたからだ。しかも、自分は後やら先やら考えたりするのが苦手なので、先ほどの天塩川温泉で全衣服を洗濯してしまいまひた。お着替えは今、自転車に張った紐の上で濡れて重そうにしている。あっ、まずいぞ。寒いぞ。一息ごと一度下がるこの体感、記憶は山岳遭難(懐かしくも情けない)。雨具を着て、シュラフカバーに入ってもガタガタと震えが止まない(とーぜん、シュラフカバーだけでシュラフなんか持ってきてません)。丁度、そのとき東京からメール。なに本日の東京の最高気温30何度なり。ここは何度だ?ゲッ16度。こりゃ、東京の10月下旬の気温だよ。やむなく、輪行用に自転車を包むサイクリングカバーを取り出し、シュラフカバーごともぐり込んだ。ううバッチイなんて言ってられネェ。以前、奥能登で全装備失い、そのときもこんなだったなー、情けない状況を招いてしまうなー、せめてシャツとパンツは予備を持とうなど思いつつ、それでもうつら、うつら。

 

                   *

 

     就寝してしばらくし、闇の中に音がする。ごそごそする音。目をそちらに向ける。柱の影に何かいる。柱の影に小さなそれがうずくまり、輪郭だけがゆらゆらしている。さっきのバカ鹿かと思ったが、気配が尋常でない。気のせいかささやきのような音がする。大体、この真夜中、こんなあずま屋に何が来る?正常な事態な分けがない。あれ、手のようなものが突き出され揺れ始めた。そしてささやきが微かに聞き取れた。

 

“よしちゃん、ごめんなさい、まあちゃん、ごめんさい、ごめんさい”

“ごめんさ〜い、ごめんさ〜い、ごめ〜んさ〜い〜〜“

 

「おーや、おいでなすったのかい」そして、サイクリングカバーに入ったままそっと上体を起こした。すると、それの上部が柱の影からすーっと動き、ぽっかりと白いものが闇に浮んだ。老婆の顔? とたん、顔の真ん中で、目と口の部分がぐぁっと開いた。ギロンとした白目が闇に浮ぶ。

その禍々しい白を見たとたん、なぜだか呼吸の方法を忘れた。自分はまともにその目と見つめあった。次の瞬間、それは両手をちぐはぐな角度にふり回し、ひょ〜ぐぉ〜に近い音を立てて柱からよろよろと這い出してきた。

壊れるような音が頭を突き上げた。

熱湯のように冷たいものが全身を走り、永遠のような瞬間が過ぎる。

 

がっ!(ぷつんと外れたように体が動く)カバーに入ったまま飛び跳ねた。

ぎっ!(ベンチの下に転落。手足がカバーにからみつく)カバーから抜けたとたん、

ぐっ!(目の前にひかり、前頭部がベンチに激突)起きあがろうとして

げっ!(目の奥にひかり、後頭部がテーブルに激突)グラッと起きあがる、何もない。

ごっ〜(風の音)「な、なんだ、あれ?」しばし放心。

 

そのうち、なぜか、吐き気のような変な気分がしてきた。だが、外に出る気はしない。体は熱いのか冷たいのか分からない、ガンガン耳鳴りがしている。自分は、そのままそこにへなへな座り込んでしまった。

 

                 *

 

 結局、目が覚めたのは朝もだいぶ遅くなってからだ。濡れた服のままで座り込んで寝ていたが、体中の関節がバリバリするが何ともなかった。服も乾いている。それより、周囲が騒がしい。歩いている人、自転車を押してくる人、さっきから数人があずま屋の前後ろを行ったり来たりしている。そのうち、体格のいいおっさんがこちらにやって来た。

「おはようございます。すいませんが、おばあさん見ませんでした?」

「おばあさん?」

「少しおかしいというか、挙動がおかしいおばあさんです。」

(−−−あれだ−−−)

「何かあったのですか?」

「いや、私、役場の者なんですが、朝、散歩している人から、河口におかしなおばあさんがいるとの連絡がありまして」

「ええ!」

「喪服で数珠をもって、川沿いを行ったり来たりし、ずっと川をのぞき込んだりと」

(おい、おい冗談じゃねぇぜ、自殺企図者だったのかよ!!)「あの、実は--」

自分は集まった人たちに昨日の夜の話をした。そして、おばあさんはこの辺の人間ではないこと。川に入ってしまえばこの寒さだからもう助からないこと、林の方へ入ってくれればまだ生きている可能性があることを聞いた。自分もあわてて、おばあさんの捜索に加わり、林の方を探した。だが結局、手がかりもなく一同は戻った。取りあえずバス会社に連絡し、喪服のおばあさんが乗らなかった聞き、それでも所在がはっきりしなければ警察捜査に切り替えようということになった。もし、警察捜査となった場合、自分にも連絡がいくので携帯を教えてくれとのこと。それで、役場の人と携帯番号を交換した。その後、電話はない。おばあさんはどこかへ行ってしまったようだ。良かった、良かった。それにしても、生きている者が一番怖いというがそのとおり。あの白目のひかりは今でも忘れられない。怖い、怖い。

天塩を出るとき、捜索の人たちと別れ、ヘルメットをかぶった。頭には大きなこぶと裂傷ができており、痛い、痛い。こぶはしばらく痛いだろうが、もちろん生きているからだ。

 

                 *

 

町のはずれで天塩川を振り向いた。確かに、天塩川の神秘は実感した。というより、少しばかり体感しすぎてしまった。

     それにしても自分もそうだが、おばあさんの方もまた随分と濃い体感をしたのではないだろうか。何せ、死のうとして(?)独りで人生の祈りをしている真っ最中、いきなり後ろのゴミ袋のようなところから人が這い出してきたのだから。これはこわいぞ~、見も蓋もないぞー、というか無さすぎだ。互いに人生の闖入者だが、闖入度合いは自分の方がひでぇな~。せめてこの闖入があなたの人生に何かあらんことを。願わくは人生を止めてしまうことが馬鹿らしくなるように。そしてもっと願わくはわれわれ全てが、互いに苦しみにさいなまれているとき、苦しみ自体に冷や水をぶっかけるような、のんきでささいな事件が世にみちますように。

     さて、 川は、相変わらずほの暗い水をゆっくりと運び続ける。その水の先は虚ろや永遠だ。その前では幽霊だの化け物だのストーカー何てのはみな因果のなかをプカプカと浮かんでいるにすぎない気がする。きっとこの世の因果律は偶然律のほんのささいな部分なのだ。それならそれでいいじゃないか。なぜだって?

あの世というのは実はこの世だということだからさ。


わたしがオロロン 優雅の鳥

2019-11-07 05:52:31 | ドサ日記

わたしがオロロン、優雅の鳥 (留萌支庁:羽幌)(07年8月15日) 

 

白浜に 墨の色なる 島つ鳥 筆も及ばば 絵に描きてまし(玉葉集)―なーんちゃってね

 

 オロロン鳥。千鳥目うみすずめ科の一種で和名は海ガラス。鳴き声が「ウォルーン おろろー」と滑稽なようなもの悲しいような声で鳴くのでオロロン鳥と名付けられたという。それ以外は、日本では天売島という小島にほそぼそと暮らすということしか知らなかった、つまり姿形も知らなかった。 

この鳥を意識したのは、20年ちょっと前、嫁さんと北海道旅行をしたときだ。

羽幌町でたまたま車を停めた道のわきに小さく「天然記念物オロロン鳥」という看板。どんな鳥かとちょっと興味を持ったが、自動車の旅というのは早すぎてせっかちである。天売島まで渡る時間があれば、北海道を半周できるのでドンドン進もうぜ!ということで、まだ若かった我々はドンドン、ドンドン先に進み、そのまま人生を進んでいった。 

 旅行後、なにげなくオロロン鳥を調べてみた。黒い頭に白い胴体、潜水して魚を補食するところなどペンギンに似ている。しかし、オロロン鳥の方がはるかに線がなめらかで優雅に見える。

それに、両者は目レベルで異なる全く別の鳥。第一、海ガラスの類は北半球、ペンギンの類は南半球が住み家。元来、船乗り達は、海ガラス、特に大海ガラスなる鳥をペンギン(“このデブ!”という意味)と呼んでいたそうだ。しかし、船乗りがはるばる南極あたりまでたどり着いてみりゃ、

「おや、ここにもペンギンいるじゃん!」と、

そいつらもペンギンと名付けてしまったとのこと。

ちなみに、北半球の大海ガラスは喰って旨かったらしく荒くれ船乗り達の胃袋におさまり、19世紀に絶滅。南の方は不味かったらしく今も元気、因果―。

 

 さて、ドンドン人生を進んでいった自分だが、疲れたのか、このところに来て、ぐっと進むスピードが遅くなった。例えてみれば、自転車を漕ぐくらいのスピードまで遅くなったので、実際に自転車漕いで、野宿を重ね、こんなところをうろついているわけだ。

遅くなると、目に見えるものは減るが、目が行くものは増える。留萌から羽幌町へ進むと、20年ぶりによれよれとなった「天然記念物オロロン鳥」のカンバンがある。

「ああ、これいつか見たいなと嫁さんと言っていたやつだ」、いつかって来るもんだな~。              

--嫁さんも来れば良かったのに--

  では、予定には無かったけど、我が愛車「偶然号」よ、天売に渡り、オロロン見物といこうではないか。島に渡るまでの間、そのオロロン鳥についてもう少し蘊蓄:

「絶滅しなかった方の海ガラスことオロロン鳥だが(よっぽど不味いのかね?)、日本ではずいぶんと減ってしまいました。一大生息地であった天売島の個体数は、1938年には4万羽。んで、この旅をしている2007年には13羽。おや、99.97%減りましたよ。というよりこれほとんど絶滅ですよね。なんか夕張の人口みたいで悲しいなー。原因は幾つかあり、最初は、北海道にニシンが回遊しなくなりオロロン鳥も減少。次に、60~70年代にかけて天売島周辺で行われたサケ・マス流し網漁で、潜り自慢のオロロン鳥も元気よく網に突っ込んで集団お陀仏=激減。さらに個体の絶対数は、あるレベルを下回ると、天敵からの捕食・気候変動等に集団を維持できなくなるそうだが、オロロンもその域に達し、今でも完全絶滅への道を歩んでいるのが現状。」

などと、オロロン鳥について覚えていたことを反芻しているうちに、港に到着。

天売フェリターミナルは大きなオロロン像が目印とあったので、像を探す。すらりとした姿を想像していると、なるほど向こうにすらりとした大きなものが見えてくる。おお、いよいよオロロン鳥の全貌が見える、優雅な~すがたー、ん?

 

わたしがオロロン、カモメのトイレ

                                                                

 うわ!きったねぇー 自分のイメージでは優雅の鳥オロロン、その像に出会ったとき、思わず発した最初の言葉。オロロン像は見事にカモメのWCと化している。

そう、さきほどから言っているオロロン鳥の天敵ってやつが、このカモメ。オロロン鳥と同じ千鳥目ながら、こいつらは、海上に漂着する屍魚、陸上のヒナ、ゴミなどを漁る海のハイエナ。潜水がほとんどできないせいであります。海鳥としては進化の劣等生だったわけですね。ところが、これが幸いして、オロロン鳥が次々網に引っかかって激減する中、この世の居場所をば広げ、あまつさえ天敵としてオロロン鳥の絶滅にだめ押しをしている次第。元来、天売島に100羽に満たなかったカモメは今やその数千羽を数えるとのこと。うーむ。進化と適応ってそんなに相性にいいものじゃないのかね~?

そして、あわれなオロロン鳥は、像になってまでカモメの攻撃を受け、今や、きやつらのフンまみれで、“どろろ~ん”と曇天に立ちつくしている。

--うわ~嫁さん来なくて良かった--

 

それにだよ!なってこったい。天売島行きフェリーの切符売り場のかあちゃん曰く:

「オロロン?今いないよ。今ごろソビエトじゃないかい?遅かったね、がははー!」

はあ、そうですか、オロロン鳥は渡り鳥だったのですね。。。

 調べもせず来ればこうなる方が断然多い。風任せ・足任せの旅とは、実際のところ、“はぁそうですか..”と終わる事が8割。そういうものと割り切ってはいるが、やはり、あーあ。

 

 さて、“あーあの珈琲はブラックでありき。”やることないし、すぐに出発する気もない。そういう時はコーヒー頼みましょう。船も出て、切符売り場従業員から茶店従業員に代わったかあちゃんが、やはり“がははー”と笑いながらコーヒーを出してくる。うろつくカモメを眺め、哀れなオロロン像を眺め、ぼけーっ。コーヒーが3杯目になるまでぼけた頃、レジ横の“カモメ餌50円”という紙袋が目に止まる。やることもなく、何となく買って外に出る。ガサガサと開けると、中は魚のあら。ホッケの頭やら雑魚が乾物状態で詰まっている。「うへぇー、こんなもの食ってのどに刺さらないのかね?」と思ったが、カモメだしね、朝昼晩と魚丸呑みなら、これが当たり前だよなー。そして、餌をぶらさげ、ぼーっと港に立っていた。ほんとうにぼーっと立っていたのです皆さん。例えてみれば、畳に寝ころんでいると、目の前を猫がぶーらぶらする。その尻尾を軽く弾くと尻尾もぶーらぶら。たまにそこに洗濯ばさみなど挟んでみる、猫ブニャ~と怒る。そんな事を繰り返し、気づけば一日が終わっていた。そんな、ぼーっとした感じ(我ながら何という的確な比喩)。若い頃はあれだけぼーっとすることに憧れたものだが、実際にこういうシチェーションで、やることなくぼーっとしてると、なんだか踏み込んではいけない領域に達したかのように、ぼーっとする。                  

と、そのとき、うろうろしていたカモメの一匹が目ざとくもこちらの袋に気がついた。彼女は、不実な恋人に再会したかのように、上目遣いでシュリ、シュリと近づいてくる「ごはん頂戴- - - 」。そのうち、周囲の連中も気がつき寄ってくる「ごはん頂戴- - - ごはん頂戴- - -」シュリ、シュリ。うへ~目付き悪りー。シュリ、シュリはさらにシュリ、シュリを呼び、じぶんは徐々にカモメの輪に囲まれてきた。

 

あーだこーだ言ってねーで、早く出すもんお出し!。

 

囲まれて、ぼーっとしていた頭が、ハッと我に返った。「おーし、やるぞ、やるぞ。たっぷりあるぞー」50円でこりゃ3kgぐらいあるな、今日日のどこぞの水より安い。

あーらよーっと!手づかみでどばっと投げる。おお、どよめく風のように動くカモメ、すげぇ。餌の両端くわえて翼でぶん殴り合うは、前を突き飛ばして、餌に突進するは、まさに貪り合い。ほーれ、もう一丁!グァー、ギャー、阿鼻叫喚。鳩より下品、ぜってぇ下品!

それにしても、何回投げても餌減らねぇぞー。向こうの空からもどんどん寄ってくる。江戸の若旦那が庶民に小判を投げるがごとく、ほーれ、拾え、ほれ、拾えー。ははは、なんだかおもしれぇや!

--嫁さんも来れば良かったのに--

ふと後ろを見ると、小さな女の子もおもしろそうに見ている。「はい、きみもあげてごらん。」とホッケのアタマをごそっと手渡した。女の子、喜んで“えぃ!” しかし、いけねぇな、少女の投擲力はとーぜん弱い。とーぜん、ホッケは女の子の足下にポトッ。とたん、ドドーンと押し寄せるカモメの嵐。瞬間、女の子はカモメの竜巻に消え、次に、キャーという悲鳴とともに、竜巻から飛び出してフェリーターミナルに駆け込んだ。

ありゃりゃ、何だか悪いことしてしまったな、これで一生、鳥嫌いかな、ははは!

 

はて、そんなことしているとき、群れの中に、カモメと似ているが一回りチビで、羽は白茶まだらで少々キチャナイ(目は真っ黒で可愛らしい)のが数匹混じっているのに気がついた。なんだ、この鳥?

 

このチビ、カモメに比べ、鈍くさいか、頭悪いかどちらか。ともかく群れを走り回る「ゴパンだ、ゴパンだ」どたばた。餌を投げると、もっとどたばた。餌はすべてカモメがパクッ。チビ、全くありつけない、ただ闇雲に「ゴパン、ゴパーン、ゴパーンーー」、けど、やはりカモメがパクッ!チビ、さらにどたばた、たまにドテッ、転けてやんの。が、このチビ、腹は思い切り空いているとみえ、餌を投げる自分の手をウズウズしながら見つめ、終いにはピゥー、ピゥーと泣き始める。不憫になって、近くに餌を投げてやるが、やはり、どたばた、ピゥゥ~。ああ、このアホウ鳥。こんなうすらバカ、よくもこの厚かましいカモメと共存していけるな~、近いうち滅びるぞお前らも。そう思いつつ、餌を投げ終わる。結局、雑魚一つさえ、このチビどもには渡らず、すべてカモメの胃袋におさまってしまった。可哀想だがどうしよもない。

                                                                                         

 

        どんくせぇんだ、こいつがまた

 

 とっても、下らないが、何となくすっきりし、出発する気分となる。ありゃ、もう午すぎ。ずいぶんぼけーっとしたがまあいいさ。偶然号にまたがる。今度はフェリー乗り場清掃員となっているかあちゃんがガハハと笑い、見送ってくれる(どうでも良いけど、オロロン鳥もたまには洗ってやれよな、かあちゃん)。そして、鳥どもの群れをちらと見て「しっかりせいチビ」と一瞥し、国道に戻り北上再開。

 

 結局、いつかオロロン鳥を見るという機会は、再び、いつかの領域に去っていった。まあ、そのうちと思うが、こういう何の根拠もない期待は楽観仮説と言って、人生を過ごすのに実に必要な資質なのだ。人は何となく、特に若ければ若いほど、自分はずーっと生きていると思うし、何となく将来はバラ色になるものだと思うものだ。もちろん、実際はそんな事はま~~~ったく無い。若かろうが、老けていようが、不幸も、幸福も、やってくるものの確率はそんなに変わらない。歳を取れば取るほど嫌な事ばかり多くなるというのは、単に、分別や知恵が増殖して、この楽観仮説を保てなくなるのが大きい。

(そうすると、知恵と幸せは、そんなに相性の良いものではないのかな~~)などとくだらねぇ事を考えながら海辺を走る。走っている海辺にぽつらぽつらとカモメ。相変わらず、不景気な顔つきで佇んでいる。よく見るとあのキチャないチビも混じっている。さっきのに比べ、もう少し小さいかな。

 

“うん?またカモメと一緒にいるぞ、一体なんだあの鳥”

すると突然、その小ちゃいのが、ぬぬぬ、と大きいカモメの胸元に入り込んだ。

あれ?

小ちゃいのは口をカモメの口元にすり寄せ、ピゥー、ピゥーと鳴いている。

おや、何かねだってる~? ?

あ、親子だ、あれ。

(後で調べたところ、やはりこの小ちゃくてキチャないのは、カモメのヒナ)

 

ピゥピゥピュウーと鳴いて、母にすり寄るヒナ。でも、何もないのだろう。

母:「知らん」。

目つきの悪さもさりながら、無表情でもカモメに勝てる奴もそういない。

何回もすり寄っても、

母:「知りません、何―もありません」。

ヒナ:ピゥ、ピゥ、ピゥゥー

母:「知りません。うちは浄土真宗なのでサンタさんは来ません」。

ヒナ:ピーゥ、ピーゥ、ピピピ、ぴーぅ

何回も、何回も、何回も- - -

 

そのうち、何ももらえないヒナは波に向かってピーゥー、ピーゥー泣きはじめた。もちろん、波の音にも表情はない、ざざーと響くだけ。そして自転車が遠ざかるにつれヒナの声は少しずつ小さくなり、波の音は少しずつ大きくなり、いつしか周囲は海の音一色となった。

この風景は別に自分の人生とやらに関係ないが、ぼーっとした旅では、何故かこういうものまで心にしまい込むことができる。そして、いつか、しまいこんだ色々な代物を、天気の良い日なんかに虫干しして、施設の隅でふふふと笑っているのが多分、自分の落日の風景である。

ふふふ、いいぞ自転車は。のんびりするぞ、落ち着くぞ。単に居場所がないなんて本当のことを言ってはいけないよ。ほら、ゆっくり走れたし、カモメの親子に会えたし、それに、もうすぐ夕暮れの燈色が金色を少し混ぜながら海に広がるはずだし。

 --独りですすんでいる、それだけのこと--