のんきに介護

母親と一緒の生活で、考えたこと書きます。

老いてからの引越しは危険

2008年02月04日 11時45分32秒 | Weblog
馴染みがあるかないか、なんて若い頃はどうでもよかった。しかし、老いると細かな区別が難しくなるから、出来ることなら、住居は変えない方がいい。人間は、適度になら何かに依存してる方が健康だ。

道具を使い出したときから、人間は物に神経を通わせる術を覚えた。大リーガーのイチロー選手は、同じ型のバットを愛用しているという。バットが体の一部になっているんだろう。

ことは、イチローにのみ関しない。たとえば、今、話題にしている家。地域を含め、自分の神経を知らぬうちに張り巡らしていると考えるのが自然だ。もし、引越しをして、徘徊等の弊害がないとしたら、家族への依存がその分強くなっているからではないか・・・


「この家におってええか?」と、お袋に尋ねられるときがある。

「おってええに決まってるやん。自分の家や」

そう説明する度に、胸の締め付けられる思いがする。寄生虫という言葉の嫌いな僕ではあるが、このときばかりは、親のおこぼれで生活している自身の身上を正直に打ち明ける。そういう会話を繰り返しして、お袋の依存の対象が家から僕へと変化して行った、という風に見える。これはこれで、結構、辛い。だから、忠告する。人生晩年の引越しは、出来ることなら、避けた方がいい!

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2 コメント

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思いやりの心 (obichan)
2008-02-05 16:43:49
同居してる限りは、お互い多少の依存関係が生まれるのは自然でしょう。
「この家におってええか?」という言葉には、自分の家云々ではなく、「忠太さんに迷惑をかけてもええか?」「私がおるために結婚もしないのん違うやろか?」という申し訳ない気持ちの方が強い気がします。
お互い思いやりの心は通じてると思いますよ。
同居 (忠太)
2008-02-05 17:19:46
かもしれないですね。

励ましありがとうございます。

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